72話 兄・信長包囲網③ 本願寺、襲来
― 兄・信長 ―
大坂の天王寺砦に集結した我ら織田軍四万の軍勢は、集散を繰り返しながらちょこまか動き回る三好勢に決戦を挑むべく、川向う(現在の堂島川北岸)の野田村・福島村に陣取った敵砦に挑戦状を送り付けた。――が、応答などむろんなく、厳重に岸辺を固めて、一向に出てくる気配が無かった。
時々、走船を繰り出して挑発してみるものの、種子島の猛射を喰らってほうほうの体で逃げ帰る始末。ちっとも良いとこ無しだった。
「あの辺は大阪駅あたりか?」
「いいえ。梅田よりはもうちょい西よ。なぁに? 北新地に興味あるの? このオマセさん」
「アホか。オレの言うのは中之島だ。昔、同人誌即売会あったっけなぁって、ふと思い出しただけだ」
「あらら、そっち? オタク系な人種だったわけね?」
松永弾正は今日も快調である。というか、快調すぎるっ。わああっ、オレの下半身に近づくなっ!
「くおらあ! この屈強女! ワシの大事なラマンに手を出すなや!」
脇から鋭くガードしてくれんのは、これまた前々回からトバしすぎな帰蝶。
自分で縫ったというミニスカの赤い着物の上に黒の陣羽織。すっかり戦陣になじもうとしている。いや、なじみ切っている。今や織田足軽らのアイドルと化している。
戦況思わしくない中、下降線を描きそうな士気の回復に努めてくれているのは良いがな。風紀乱すような失態はくれぐれも犯すなよ?
「ラマンってなんなのよォ。信長ちゃん、この女、どーにかしてよォ」
「オマエらヒマなんだな? だったら戦功争いでもして来いよ?」
「はいっ! ワシ、行く。確かに、ここにいたってツマランもん」
挙手した帰蝶に三百の兵を持たせて出撃させた。ついでにオレはダンジョーの尻も叩いて、本陣から叩き出した。
「なんだか暑いし、ヤダぁ。あのロリ、口悪いしィ。仲間になれないわ」
などと文句を垂れたが、眼をギラギラさせ、ニヤついた笑みを浮かべていた。恐ろしい。根っからの武闘派。イカスルメルに返しちゃいけないヤツだ。そう理解した。いい。オマエはここで果てろ。
「殿。将軍がご着陣されました」
「足利義昭! テメエ、遅かったじゃねーか」
「ごめんなさいー。出かけようとしたときに、ちょうどお客さまが来ちゃって」
オレより大事な客ってなんだよ! 将軍のクセにナマイキに口答えしやがって。
「……で、その両手に大事そうに抱えてるのは何だ? 大量の同人誌じゃねーか? いったいソレ、どーしたんだ?」
「いやー。陣中ヒマだから読もうかなって」
「アホッ! 聞いてんのはそこじゃないっ。ダレから貰ったんだって聞いてんだ!」
するとヨッシー、フリーズ。演技なのかホントにパニクってんのか分からんのがハラ立つ。ギロッと睨むとビクッと震えて数冊地面に落とした。……チッ。拾ってやると「ニコーッ」と目尻を垂れ下げる。に、ニクめねぇ、クッソー!
「ヨッシー。前に出るぞ、オレたち」
「えーっ、どうして? メンドーだし」
「オマエな……。このままグズグズ戦ってたら、別の戦線でいったい何が起こるか分からんのだぞ? ノンビリできねーんだ」
ピリピリの空気を感じたのか、近習から渡されたリュックに同人誌をしまい始めた。そのリュック、オレが誕生日にあげた物か? オマエってヤツは……。
「ち、ちょっと待っててね。スグに支度するから」
いつかの京での同人誌事件以来、将軍はすっかりオレに従順になっている。……でもな、それはうわべなんだ。オレは知ってる。コイツは表裏自在の俳優さん。そー思わせるネタは、各所に忍ばせた情報屋らによって逐一耳に入っているのだ。よってオレは、コイツの素直さを不信感と憐憫の情によって咀嚼し、おいしく受け入れている。なんせ見たままだけの彼は、すっごく懐いてる子犬のようなんだから。
天王寺砦を出て、天満森に駒を進めた。
帰蝶、ダンジョーがそれぞれ目覚ましい働きを見せ、それに他の連中も奮起し、鉄壁の防衛線を張っていた三好軍も次第に押されだした。
オレらは徐々に重囲を狭めていきつつ、ついに敵主力の西方一帯を制圧する。ようやく戦終結にメドが立ち始め、ヤツらの中にも厭戦ムードが高まり出したのだと想像できた。
ところがだ。
突然どこかの寺の鐘が鳴り響いた。
「何事だ」
「本願寺が我が方の先陣に攻撃を仕掛けてきました」
「な、なんだと?!」
「楼ノ岸砦および川口砦が相次いで被害を受けた模様、死者多数! 雑賀をはじめ本願寺に味方する種子島衆に圧倒されております!」
オレはただちに戦線を縮小し、各地に散った精鋭を再編成した。




