「罪と告白」
数十分、歩を進めると山頂を示す広大な星空が木々の間から覗くのが見えた。あと少しだ、と大河は呼吸を最低限に抑えつつ、前のめりのまま足許だけを照らしながら歩いた。
山道を抜けて視界が拓けると、足を止めて上を向く。雲間から月光が射し入り、先程よりも見える世界がとても明るく感じられた。
息を整え、大河が再び足を踏み出そうとすると――突然、顔に強い光を受けた。車のヘッドライトのような黄色い光に照らされ、大河は目を細める。その光は草を踏む音とともに、徐々に近づいてくるようだ。
魔物ではなく、人間の足音だと大河は悟った。その音は近くまで迫ると、不意に止んだ。
「大河?」
聞き覚えのあるその大らかのようで、怯えたような声は、前方からはっきりと届いた。
大河は、懐中電灯で目の前の人物を照らし返す。目を見開いた桃山の姿が、大河の瞳に鮮明に映された。桃山もまた、右手に持った懐中電灯で大河を照らしている。やがて、桃山は怪訝そうな声音で大河に尋ねた。
「どうして……君が、ここにいるの?」
「お前こそ、何してる」
「おれはちょっと……山の空気を吸いに来ただけだよ」
「こんな時間に?」
日はとうに沈んでおり、電灯を消せばほとんど何も見えなくなってしまうだろう。
「た、大河こそ、何をしに来たの?」
「お前を探してた」
「……え?」
困惑したようにくぐもった声を漏らす桃山に、大河はさらに接近しながら、電灯を持っている逆の手をズボンのポケットに入れ、そこから一つの櫛を出した。それを桃山に見せ、
「これ、お前のだろ?」
と、きいた。桃山は大河から櫛を受け取ると、驚いたような声を発した。
「わぁ……。探してたんだよ、これ」
瞬間、プラスチック製のものが大河の頬を掠め、木の幹か岩かはわからないが、硬いものに当たる音が背後からかすかに響いた。桃山が、大河に向けて櫛を投げつけたのだ。
「なんでお前が持ってるんだよ!!」
桃山の怒号だけが、山頂に響いた。
大河は、何も言わなかった。沈黙が流れる間、風の音や虫の声の合唱が、草木のざわめきと不協和音を奏でていた。
先に大河が口を切り、先程の桃山の質問には答えずこう言った。
「山科から聞いたよ。お前んとこの会社、倒産したんだってな」
「あ、うん……」
桃山は俯きがちに、こくりと頷いた。
小型懐中電灯の光ではやはり弱く、彼の表情までははっきりとはわからないが、何故か大河には寂しそうに映った。次第に見ていられなくなり、また上空に目をやった。夜空には、少し欠けた月が青白く輝いているだけだ。
月に視線を送ったまま、大河は桃山に問いかけた。
「桃山製薬……全国的にはあんまりメジャーじゃないけど、この辺では割と有名だよな。繁盛してそうだったけど……何かあったのか?」
「ライバル会社の策謀だよ」
桃山の声を聞き、大河は視線を彼に戻した。その瞬間、ゴーッという音を立てながら、やや強い風が二人の間を駆け抜ける。そして、風が去ると辺りに再び静寂が訪れた。
それを見計らったように、桃山が話し始める。
「大河の言う通り、父さんの会社ってこの辺では結構流行ってた。だから、おれもそれが誇りだったんだ。父さんも、すごく嬉しそうだった。だけど、他の製薬会社の人間が、虚偽の情報を流したんだよ。父さんが、外国の会社と違法取引をしてたんだって」
大河は言葉を失った。かける言葉もない。ただ、得体の知れない激しい憤りが、全身を駆け巡るのがわかった。
桃山は目線を下に落としたまま、言葉を続けた。
「本人は最初、あまり気にしてなかった。でも、その情報を鵜呑みにした顧客が、どんどん父さんの会社から離れていっちゃって。それで景気はダダ下がりさ。長い間、うちで働いてくれてた人も切らなきゃいけなくなるくらい、厳しい状況になったんだ」
桃山は強く両手を握りしめ、腕が少しだけ震えているのが大河にも伝わった。無意識のうちに、大河は再び彼から目を逸らしてしまっていた。
「父さん、社員の人たちに頭下げて……とても辛そうだった。見てられなくなるくらい。挙句の果てには辞めていった人にも恨みを持たれて、噂を流したライバル社に加担したりしてた。それでさらに景気が悪化して……あとはお察しの通りだよ」
ふと顔を上げた桃山の両眼は、大河を真正面から捉えた。懐中電灯の淡い光に照らされたのは、悔しさの権化のような顔であった。
「どうしてだよ……なんで、こんなに理不尽なことばっかり起こるんだよ!」
その叫びは、大河の胸の奥にある扉を豪雨のように強く叩いた。
桃山は、父親と祖母の三人暮らしだった。父親が多忙の日は、彼が祖母の介護を一任されていたということは、大河も本人の口から幾度か聞き及んでいた。だが、父親が職を失った今、桃山家は傾きかけているのだという。
桃山は、左手で大河の肩を掴むと、目を逸らそうとする大河と強引に目を合わせ、主張するように言った。
「おかしいだろ? 目障りだからって、何でもやっていいわけないだろ? なんで、こんな目に合うんだよ……父さん、一生懸命に薬を売って、病気の人のために、頑張ってたのに……。誰かの力に、なろうとしてたんだ……」
最後に、桃山は「こんな世界なら、滅んでしまえばいいのに」と付け加えた。その言葉は、頑丈につながれた鎖が強大な力によって千切られた音に似ていた。
そんな彼に対して、大河は冷静に返す。
「【魔界門】を開放したのは……桃山、お前なのか?」
それを聞いても、桃山は驚きの声を出すことなく、むしろ清々しいまでの落ち着いた様子で答えた。
「やっぱり、君にも見えるんだね、大河」
「見える。見たくもないものが」
「忘れたいものを強制的に思い出させられるって、ほんとにどうなってんだろうね、この世界は。そうだよ、おれが【魔界門】っていうのを開放したんだよ。魔界人? とかいうのに頼まれてさ」
「そいつとは、どうやって出会った?」
ジカルから少しは聞いているが、確認のために大河は一応尋ねてみることにした。すると、やはりこんな返答があった。
「父さんが失業して、ちょっとバタバタしてた時期に、変な夢を見たんだ」
桃山は大河から手を離すと少し距離を取り、思いのほか素直にこれまでのことを白状した。
高校一年の十二月初旬頃、桃山は最初の夢を見た。そこに、人間とは程遠い風貌をした人物が出てきた。頭から二本のツノが生え、マントを纏ったその男はさながら悪魔のようだった。彼は、初めはただの夢だと思っていたらしい。しかし、同じ夢を毎夜のように何回も見たのだ。その人物がここは魔界だと主張し、しきりに【魔界門】のことを話してきたという。それが創られた由来、呪文の唱え方、魔界に伝わる伝説――【ツインクル・テール】のことも。
それらのことをすべて、桃山はその人物から聞いたのであった。
桃山の話を黙って聞いていた大河は、彼も【ツインクル・テール】の存在を知っていたのだと知り、これまでの憶測は確信へと変わる。
「……その人が言ってたんだ。人間界はもう存在する意味のない世界だから、お前のあの世界への憎しみでもって壊してしまえばいいって。おれも、その通りだと思った。だから門を開放させて、その人に教えられた通りにして魔物をこの世界に解き放つために【ツインクル・テール】を外に連れ出した。……逃げられちゃったけどね」
「だから、あの部屋から【ツインクル・テール】を持ち出したんだな?」
「いつ気づいたの?」
不自然なほど桃山の冷静な声に、大河は一瞬、身の毛のよだつ思いに駆られた。
「……俺も昨日、夢を見た。そこで、魔界のやつ……多分、お前に命令したやつじゃないやつが、櫛を渡してきた。人間の落としたものらしいって。俺は、確かにそれに見覚えがあった。その時、お前を疑った」
「へえ、大河も来てたんだね」
笑いを混じらせた声で桃山は言うと、さらに言葉を継いだ。
「おれも、夢の中で魔界の人に呼び出されてさ。例のあの、【魔界門】の開け方を教えてくれた人だよ」
「何のために?」
大河は桃山の言葉を途中で切るように尋ねると、彼はしばらく押し黙り、やがて口を開いた。しかしそこで出た言葉は、大河の質問にはまるで答えていなかった。
「ところで。大河は、本当に櫛を渡された時まで犯人がわからなかったの?」
懐中電灯で互いを照らし合う二人の胸元を、魔界から湧き上がってきたような不穏な夜風が揺らす。山頂の静寂が、彼らの沈黙を見守るように。
大河はゆっくりと息をつき、桃山の顔を照らし出した。理性を保つみたいに、彼の瞳孔の色は至って純粋さを見失っていず、白い光を宿しながらゆらゆらと揺れている。その子供のような瞳と目を合わせつつ、大河は静かに答えた。
「初めてお前を怪しいと思ったのは、昨日の午後、【ツインクル・テール】が消えたことに気づいた時だ。だけど、確証はなかった」
桃山と連絡が取れなくなったことと、【ツインクル・テール】が失踪したこと。この二つの出来事を、大河は初め別々の事象として考えていた。しかし、あの部屋に自由に出入りできるのは、あの時あの部屋にいた人間の中では二人だけしかいないということが引っかかっていた。
「あの部屋を自由に開閉できるのは、昨日の朝、あの部屋に来たやつの中では、おそらくお前と聳城だけだと思った」
「聳城のことは疑わなかったんだ?」
桃山が意外そうな顔できいてくる。確かに結紀は吹奏楽部だが、大河には確信を持てることがあるのだった。
「初めはあいつも疑おうとした。だけど、あいつは今、自分を変えようとしてる。強くなろうとしてるんだ。なんとなく……そんな気がしたから」
「へえ……」
結紀は、大河が嫌になるくらい、何度も己の過去と向き合うようにと説得してきた。それは彼女が、昔の自分と大河の現在とをリンクさせていたからではないか。今だからこそ、大河にはそう思えるのだ。
「まあ、大河が【ツインクル・テール】のことを調べてるって聞いた時点で、まさかっていう気はしてたんだけどね〜」
あれは、先週木曜日の昼休み。高原が「大河は今、【ツインクル・テール】のことを調べてるんだよね」と言ったのを、桃山も聞いていたのだ。
「もしかして、他の魔族から【ツインクル・テール】を捕獲するようにって頼まれてるのかもって思って、内心すごく焦ったよ」
そして、その日の夜、桃山はまた同じような夢を見たという。例の魔族が出てきて、【ツインクル・テール】を早く捕まえるようにと、今度は鬼のような、閻魔のような形相で迫ってきたらしい。それに、さすがの桃山も恐怖を覚えたという。
「だけど結局、見つけられなかった。そしたら昨日、学校に行ったら、大河たちが二本も尻尾が生えてる猫を連れてるのを見て、確信したよ。おれの推測は間違ってなんかなかった……ってね」
桃山は、口許を歪ませて笑う。
大河は突如、彼のその表情に魅せられた。名状しがたい、親近感のような何かが、大河を虜にしたのだ。それは親友だからということではなく、理由は違っても似たような懊悩を持つ、同士として。ずっと我慢して心の中に蓄積してきた憎悪や絶望、倦怠感という様々な感情がついにキャパオーバーし、洪水のように外の世界へと溢れ出たような感覚。
今すぐにでも、桃山に近づき、抱きしめ、頭を撫でてやりたいという普段なら絶対に現れることのない衝動にも似た感情が芽吹く。
「……お前は、この世界の破滅を願ってるのか?」
気がつけば、そんなことを尋ねてしまっていた。それを聞き、桃山はさらに笑みを強くしてこう言った。
「大河だってそうじゃないの? 仲間に裏切られて、居場所を失ったんだよ? だからこんな世界、滅びかけてたって何も感じないはずだろ? みんな、魔物に喰われて死ねばいいんだって、そう思ってるんだろ?」
桃山のその言葉は、大河にとって理に適いすぎていた。ただ、ここで同意してしまえば理性を失い、発狂しそうでもあった。だから少しの間、目を閉じて呼吸を整える。
『大河くん、大河くんっ!』
小さい頃、前を走る自分を追い駆けてくる好桃が何度も何度もそう言って、名前を連呼してきた姿が思い浮かぶ。大河は口では「うっとうしい」「はやく自立しろ」などと言っていたが、家族以外で唯一守り続けたいと思う存在が、彼女だったのかもしれない。それは無論、現在も変わることはない。
好桃にも、魔物もジカルも見ることができる。魔力も使える。しかし、彼女がこの世界の滅びを願っているとはどうしても思えなかった。彼女は、この世界のすべてを愛しているのかもしれない、と。
再度目を開くと、懐中電灯の光を顔中に浴びた桃山がこちらを見つめている。しかし、その顔はもう笑ってはいない。目に光もない。死んだ魚のような目で、大河に冷たい視線を送っているだけだった。大河も溢れる混沌とした感情を抑えつつ、彼を睨み返す。
「どうしたの? 文句があるの? 君も、世界の破滅を願ってるんだよね? 幸太朗にみたいに中二病的妄想じゃなくて、本気で」
「俺には……守ってやらなきゃいけないものがある」
大河が答えた瞬間、桃山の表情がこわばった。よくないものでも目の当たりにしたように、目を見張る。だが、その顔は、次第に軽蔑のそれへと変わった。
「……残念だよ、大河。君ならわかると思ったのに」
桃山は悲しそうに、大河から視線を逸らすと夜空を仰ぎ見た。
「わかるよ」
その声に、再び桃山の目線は大河の顔へと引き戻される。大河はきょとんと目を見開く桃山と目を合わせたまま、言葉を続ける。
「だけど、どうして言ってくれなかった? 俺たち、友達じゃないのか?」
正直な話、大河は彼が【魔界門】を開放したことより、何の報告もしてくれなかったことに対して言いようもなく憤慨していたのだ。現に、山科からあの記事を見せられるまで、大河は何も知らされなかったのだから。
「……この前、お前、俺に言ったよな? 友達が困ってる時は、力になりたいって。だから、俺もお前の力になりたかった」
「じゃあ、一つきくけど、君に何ができるの?」
冷たい声でそう返してくる桃山を前に、大河は思わず口ごもる。
桃山の懐中電灯が大河の腹のあたりを照らし続け、そこから汗が滲み出てくるのがわかる。ただその熱を感じていると、また桃山の声が耳に響く。
「父さん、口には出さないけど、辛そうな顔してた。死んでしまいたい……っていう、そんな顔してるところ、見ちゃったんだよ。だから、おれ……自分のしたことが間違ってたとは思えない」
「だからって……」
大河は口を開きかけるが、その声を桃山の口から矢継ぎ早に出る言葉が遮った。
「君は知ってる? このまま放っておけば、魔物が増え続けて、やがて地球上の生き物は絶滅するって」
「……俺も、魔界のやつから聞いた」
大河の返答を聞いて、桃山は「フッ」と口許を緩めると、説得するように言った。
「もうやめろよ、こんなこと。どうせどの道、人間は滅ぶんだ。そうなれば、醜い争いも嫉妬もなくなる。人間さえいなくなったら、それだけでこの世界は生まれ変われるんだ!」
眉を下げながら、身振り手振りで桃山は言い放つ。その間、彼の右手に握られている電灯が大河の身体のあらゆるところを、斑模様でも描くように満遍なく照らしていた。
ここまで本気なのは、本気でこの世界を憎んでいるからだ、と大河も思った。それでもまだ納得したわけではない。
「もしこの世界が滅んだら、お前も死ぬんだぞ? それでいいって思ってるのか?」
「……思ってるさ。ここに来たのは、自分で死ぬ勇気がなかったからだから」
人間は感情を持っている。その心で互いを傷つけ合い、憎しみが生まれる。
――俺は、どうすればいい? 今、ここでこいつを殴ることはできる。だけど、本当にそれで満足なのか? いや、違う……違うんだ。俺は、誰のために……何の目的があって、ここへ来た……?
無意識に、大河は、桃山にこうきいていた。
「……【ツインクル・テール】は、今どこにいる?」
「逃げたよ。まだ探す気?」
桃山はやや呆れたような、それでいて嘲るようにも聞こえる声音で問い返してきた。
それでも大河は毅然として、桃山に背を向けた。
「……お前は、もう山を下りろ」
大河がそう指示を送るが、桃山からはこんな答えが返ってくる。
「残念だけど、そのお願いは聞けないよ」
大河は振り向き、再び桃山を照らすと、彼も真剣な視線を送り返している。
「言っただろう? 人間がいなくなれば、この世界から争いも嫉妬もなくなる。君も散々な目に遭ったんだから、わかるだろ? それでも、探しにいくつもり?」
桃山は、大河の決意を蹂躙するように問う。大河はまた、身体を桃山の方に向けると、
「確かに……人間は嫉妬する生き物だ。自分を優位につけるために、他人を見下し、陥れる。でも、すべてが悪人ってわけじゃないだろ。善人もいる」
「……そうだよね。だったら、俺からもお願いがあるんだ」
桃山はそう言いながらズボンのポケットに左手を入れ、そっとあるものを取り出す。大河は訝しみ、電灯で桃山の手許を照らしてみた。
彼の手中にあったのは、携帯用の小型ナイフだった。
「これで、おれを殺してくれ」
「……何の真似だ」
大河は眉間に険しい渓谷を刻み、問い質した。桃山は十秒ほど沈黙を挟んでから、おずおずと切り出した。
「さっき、魔族に夢の中に呼び出されたって言ったじゃない? 実は、その魔族が言ったんだよ。もしも【ツインクル・テール】が他のやつの手に渡れば、お前を殺すって。だから、おれも必死に探そうと思った。だけど結局、大河たちに先を越されちゃったんだ。大河たちが珍奇な白猫を連れてるのを見た時、それが【ツインクル・テール】だって察した時、怖かった、すごく……」
桃山は強くナイフを握りしめながら、それを大河の前に差し出してきた。その手がブルブルと震えているのを、大河は暗い視界の中、波長で感じた。
「おれは、もともと死ぬ運命だったんだ。だから……君がどうしても探すっていうなら、おれを殺してから行けよ」
「そんなこと……できるわけないだろ」
大河は断固、拒絶する。
「この企みが魔界の王様に知られたら、重い罰が下るらしいからね。バレないうちに、魔力でおれを殺すんだって。口封じ的な目的で」
桃山は必死に声を殺しつつ理由を話すが、大河にはどうしても腑に落ちないことがあった。
「魔族は、人間界に入ることを禁じられてる。第一、【ツインクル・テール】が魔界に戻ったら、魔物でさえ出てこられない。お前も、それはそいつから聞いてるんじゃないか?」
冷静に質問する大河に、桃山は今度は毅然とした口調で言った。
「知ってるよ。けど、やつの目は本気だった。恐ろしかったんだ。だから、死のうと思った。あいつに殺されるくらいなら、自分で。でも、死ぬ勇気なんかなかった。だから、君がおれを殺してくれたら、きっと楽になれる。友達だから、大河がいい。お願い、大河」
桃山は左手にしっかりと握られているナイフを、大河に渡そうとする。大河は抵抗し、左手をズボンのポケットに収める。右手には懐中電灯。これが、大河にできる最大限の抵抗だったのかもしれない。
しかし桃山は、大河にとどめを刺すかの如く告げた。
「君には、二つの選択肢しかないよ。おれを殺して世界を破滅から救うか、それともこの世界が魔物によって侵食されるのを黙って待つか。残念だけど、それしかないんだ」
理不尽極まりない世界。誰も信用できない世界。この世界を救うことに、果たして意義があるのだろうか。大河は、本気でわからなくなりそうだった。頭痛がして、それが段々と酷くなり、見えない何かが自分の脳髄を蝕んでいるような感覚に襲われた。
月が雲に隠れ、闇がさらに濃くなる。大河の懐中電灯では、足許を確かめるので精一杯だ。桃山の顔すら見えない。
そっと相手の左手を照らすと、ナイフが握られている。大河は、それを見つめ続けた。
何十秒、何十分、いや何時間過ぎただろう。そこに「生」は存在せず、不条理な「死」のみがあるだけだった。
このシーン、気付いたら1万字オーバーしてましたので、さすがに分けないとなって思いまして、すごく中途半端なところで切っております。それでも長すぎましたね、申し訳ない。




