プロローグ 2014/4/29
この世界は残酷だ。
私にとっては、それが当たり前だった。
変異体という名の天災が人類を脅かすようになってから一八年。
それらはある日突然、どこからともなく世界中に現れた。
この世に存在する如何なる生物にも属さない異形の化け物たちは、自分たちを除く全ての生き物へと牙を剥いた。
切り裂き、踏みつぶし、食い千切って。食事を必要としない生命体にとって、捕食ですら単なる殺傷行為の一つに過ぎなかった。
ただ殺す。それだけを目的としたような侵攻は人類の生存領域を瞬く間に狭め、多くの国家がなす術もなく消滅していく。
生き残ったのは辛うじて対抗しうる軍事力を保有していた一握りの大国と。
当時から〝都市〟と呼ばれていた、太平洋沖の無人島を開拓した巨大な研究施設のみ。
共同研究開発要地――通称『アクシス』。
人類史上最大の発明とされる次元技術発祥の地であり、国家という枠組みから外れた特殊な地域であった。
実際に訪れるまで、そこについて知る情報は数えるほどしかなかった。
どの国よりも発展した技術を持ち、各国に一つだけ設置された転移ゲートだけが移動手段で。
この世界のどこよりも安全な所なんだと、周りの大人たちは言っていた。
だからこそ私は、突然届いたメールの要求を迷うことなく受け入れた。
決め手になったのはママの病状が急変したことだったけど、どんな形であれ家族全員で噂に聞いていたあの場所へ行けるというのは子供心に胸が躍った。
私にとって都市は非日常の象徴で、世界一安全な楽園だった。
変異体の出現にある一定のルールが存在することは、早期の内に発見されていた。
広い空間を優先して、月に一回程度の周期で現れる。理由は不明ながら、都市と生き残った国家がそれぞれ調査した情報に共通している部分であった。
多くの国が最低限の生活空間を確保した地下へと逃げ延びる中、都市は生活基盤を地上に残した。地下には次元エネルギーを生み出す唯一の機関である次元炉が存在し、万一にもそこへ干渉を受けることを防ぐためだ。
だがそれでいて尚、受ける人的被害が最も少ないのも都市だった。
≪サードアイ≫によって形成された強固な監視網により変異体の出現は即座に都市全体へ通知され、現在位置ごとにシェルターまでのルートを分配し避難を効率化。更に次元技術の結晶たる次元兵器を持った特殊戦闘員による即時殲滅の体勢が、被害総数を最低限に抑えていた。
他国では小型の変異体が数体潜り込んだだけでより悲惨な結果を迎える。狭いということは逃げ場がないと同義だ。屋内で使用可能な兵装が限られた防衛戦力では対応自体が後手に回り、最終的な死者は総人口の割合から見ても都市を超えていた。
ある程度の周期を予測できていながら、これほどの被害が出る。
なら、イレギュラーが生じた場合に起こるのはどれほどの惨劇なのだろうか?
私は、何も知らない子供だった。
この世界に生きている限り、本当の意味で安全な場所なんてあるはずがなかったのに。どんなに最低限と言っても、犠牲は出ていたのに。
どうして私は、都市に行けば家族との幸せな時間がずっと続くと、盲目的に信じたのだろう。
あの日に鳴り響いた警報が、いつまでも耳から離れない。
都市に来て初めての防衛戦を終えて、またしばらくは平穏な日々が戻るのだと安心しきっていた。私だけではない。誰もがそう考え、気を緩めていた。
天災という言葉の意味を、誰も正しく理解していなかった。
◇
「久しぶり……って言っても、まだ一週間しか経ってないんだ」
いつもの感覚で切り出したものの、実際にはそれほど久々でもなかったことに少女は苦笑した。
ルナリア・カミカワが話しかけているのは人ではなく、彼女の背丈程の高さがある白い石だった。これだけでは彼女が非常に寂しい人間に見えるかもしれないが、半分正解で半分不正解だ。
石は正確に言うならば石碑であり、光を反射するほどに研磨された表面を覆うように大量の文字列が刻まれていた。文字列は文章ではなく、一つ一つが人物の名前を示している。ルナリアが見ているのは、その中にあるたった二つだけだった。
イサオ・カミカワ。
セシリア・カミカワ。
この石碑の下には、彼女の両親が眠っている。三年前の防衛戦で犠牲となった、他の市民たちと共に。
月に一度、ルナリアは両親の墓前に参り、その日までにあったことを報告するようにしていた。その大半は他愛のない日常の話題で、仕事についての話はあまりしない。これは二人がまだ生きていたころからの習慣であり、危険な職務へ従事するルナリアを彼らが極度に心配していたことに起因している。
戦いがどんなに辛く、時には死にかけようと、家族と過ごすルナリアはただの一四歳の少女だった。
「本当はまだ来ない予定だったんだけどね。どうしても、話したいことがあって」
ただし、今日に限っては。
ルナリアはその話題に触れざるを得なかった。
天涯孤独の身となった彼女は、周囲の人々に支えられながらも強く生きてきた。都市で暮らしていくうちに守りたい存在は増え、彼らが少しでも笑って日々を過ごせるように努力し続けた。
弱音を吐くなんて、いつ以来だろうか。
久しく感じていなかった、どうしようもない感情。
何をすればいいのかわからないという無力感を吐露せずにはいられず、縋れるのはもうこの世にはいないたった二人の肉親だけだった。
「新しい仲間が……友達が出来たの」
友柄春近。
彼は、普通ではない人間だった。
元々この世界にはいなかった、別の世界から来た少年。世界を渡った影響によって時間の流れに干渉する力を得た、稀有な存在。
しかし春近の持つどんな特異性も、ルナリアにはどうでもいいことだった。
彼の暮らしていた世界はどこまでも平和だった。
変異体に襲われる心配もなければ、人間同士の争いからも遠い。次の日に会うことを約束した人物と、突然二度と会えなくなるようなこともない。
陽だまりの下を自由に歩けることに何の疑問も抱くことのない、優しい世界だった。
この世界は残酷だ。
ルナリアにとって――否、この世界に生きる全人類にとって、それは当たり前の事実であり、大前提であった。
だけど、春近にとっては違う。
いきなり過酷な世界に放り出され、残酷な現実を知らされ。
遂には両親すら手にかける結果となった。
変異体に肉親を殺されることはあれど。
家族を自分の手で殺さなければならないほど、この世界は残酷だったのだろうか?
「私は、どうすればいいのかな……」
震える声で尋ねても、死者は何も語らない。
代わりに墓地を吹き抜けていくそよ風が、少女の髪を優しく撫でた。
第二章開始。プロローグだけささっと上げときます。




