Chapter03-6
静寂が包む室内に、ただ計測機械から規則正しく発せられる電子音のみが響く。
言ってしまってから、途轍もない後悔の念が押し寄せて来た。
どうしてあんなことを言ってしまったのか。
この部屋に入ってから、不自然なまでに心が不安定だった。本来は言おうとも思っていたなかったことを、頭に浮かんだ先から声に出していた。
まるで、封じ込めていたものがあふれたかのように。
問い自体がルナリアからすれば意味不明だが、俺からすればそれ以前の問題だ。
他の世界から乗り込んできた異物の分際で、彼女たちが生きる世界を言うに事欠いて悪夢と表現するなんて。
謝罪することすらままならず、いたたまれなくなった俺はルナリアから目を逸らした。
どこまで矮小な人間なんだろう。
でも、これが俺の真実だ。
たまたま超常現象に巻き込まれただけの、何も特別でもない一般人のくせに。
住む世界が変わったからと言って、一体何を出来るつもりでいたのだろうか。
……今度こそ、見放されるだろうな。
「私は三年前。一四歳の時に、両親と一緒にここ――アクシスに来たの」
不意に、ルナリアがそう切り出した。
彼女の意図が掴めず、思わず話しかける。
「それ、さっき聞いた気がする」
「理由までは話していないでしょ」
「……」
確かに、そこまで踏み込んだ話はしていなかった。
他人の過去に土足で踏み入る趣味はなかったし、自分から話さないのであればそれでいいとも思っていた。
だが、何故今更それのことについて話す必要があるのだろうか?
ルナリアが何を考えているかはわからないが、俺は視線を彼女の方へと戻し聞く態勢を作った。
「元々、私たちは合衆国で暮らしていた。お金持ちでも貧乏でもない普通の家庭だったけど、家族三人でそれなりに幸せな生活をしてたと思う」
合衆国って、アメリカのことなのだろうか。
この世界では日本が東京と呼ばれていたりと、微妙に国家の枠組みが異なっている。
でもルナリアはどう見ても西洋系の風貌だし、あながち間違ってもいないだろう。
「ママは昔から心臓が悪かったんだ。それでも苦しそうな素振りなんて少しも見せなかったし、私が一四になるまでは薬で誤魔化せてたんだけど……ある日突然、容体が急変してしまったの」
「でも、シアを治療したみたいなナノマシンでの手術なら」
「ええ、その通りよ。でも私たち家族には、ナノマシン手術にかかる膨大な治療費なんて支払えなかった」
不治の病とされていた疾患の殆どを僅かな期間で快復させるナノマシン手術は、医療用ナノマシン自体の製造コストの高さから凄まじい額の治療費を請求されるらしい。
少なくとも、三人で慎ましく暮らしていた一家が家財の全てを投げ打とうが、その十分の一すら満たせないほどには。
借金をするにしても、それだけの額を貸し出してくれる組織は合法非合法問わず存在しない。
それでも母の命を諦めきれずにいたところへ、一通のメールが届いた。
差出人の名は、フューリー・バレンタイン。
彼女はその文面にて、アクシスに務める科学者であると自らの身分を明かした。
「最初は悪戯かと思って消そうとしたんだけどね。読み進めていくと家族構成とかママの病気のこととか、融資を拒否した裏の金融機関の一覧まで全部書かれてた」
「あの人の情報網どうなってんだよ……」
「本当にね。当時は私も恐くなったんだけど、その後にこう書いてあったの」
――ある条件を飲んでくれれば、君の母上の治療を承ろう。
そこから綴られていたのは、条件に関する細かい規定だった。
ルナリアが臨床技術試験員としてフューリーに雇用される。
仕事には命の危険が伴う。
身柄は都市に縛られるが、望むのであれば家族も都市に移住が許される。
そして、
契約そのものの対価として、フューリーは母親の治療を確約する。
「パパは危険だって反対したけど、私は一も二もなく飛びついた。メールが来た時にはもうママの意識は殆どなくて、一刻も早い治療が必要だったから」
ルナリアの必死の説得もあり、最終的には父親も承諾。
メールに添付されていたゲストコードを用いて合衆国の転移ゲートを通過し、一家は遂に噂だけに聞いていた都市を訪れた。
彼女たちを出迎えたのは、今よりも三年分若い頃の久道さんだったようだ。その頃から苦労人としての片鱗を見せてた彼に案内され、管理局本棟の一室にてフューリー本人と初めて対面する。
ルナリアが彼女に抱いた第一印象は、俺と概ね変わらなかった。相手を観察するようにねめつけ、一方的に話したいことを話す性格は今も昔も変わらないらしい。
一頻り捲し立てたフューリーは一度だけルナリアの意思を確認した後、すぐに母親の治療へとかかったそうだ。
使用された最新型ナノマシンの値段は、ルナリアの父親が五回生まれ変わっても払いきれない金額だったらしい。
「パパは値段を聞いて卒倒しかけてたけど、その分効果は覿面だったわ。あんなに死にそうだったママが次の日には見違えるように元気になってて、家族みんなで泣いて喜んだのを覚えてる」
母と父はそのまま都市に住まうことになり、ルナリアは契約通りガーディアンとしての活動を開始した。
最初は命を伴うという文言が脳裏をチラついていたが、突然変異体との戦闘に放り込まれるようなことはなかった。
先輩であるガーディアンたちは親身になってルナリアを指導してくれて、フューリーとの実験に関しても安全には充分配慮されたものだった。
何より、自分よりも小さい子供でありながら変異体と真っ向から立ち向かうノインの存在が大きかったようだ。
「都市の外壁に近寄る変異体を駆除して、たまに室長の実験に付き合って。仕事がない時にはノインたちと遊びに行ったり、家族と三人で過ごしたり。あっという間に半月が過ぎた」
ルナリアは懐かしむように、過ぎ去った日々について語る。
都市の随所で見られる次元技術の数々に家族全員で驚いたこと。
最初の迎撃戦で、瑞葉さんとミハイルさんの連携に見惚れたこと。
出会ってから一週間経って、初めてノインがフルネームではなく「ルナ」と呼んでくれたこと。
初めて自分の力で変異体を倒した時、久道さんが褒めてくれたこと。
フューリーが自分のためだけに、専用の武器を作ってくれたこと。
彼女から語られるのは、どれも美しい思い出だ。
美しい、思い出だった。
「今、ご両親は?」
「死んだわ」
無神経にもほどがある質問に対し、ルナリアはあっさりと答えた。
いっそドライとも言えるその態度こそが、この世界の現実を表しているようだ。
「都市に来て二度目の防衛戦で、二人とも殺された。私が最初に参加した防衛戦から三日後だったから、運が悪かったとしか言いようがないわね」
周期外れの変異体の出現。
フューリーの言っていたことがフラッシュバックする。
確かあれも、最初の出現から三日後だった。
「……ごめん」
「謝る必要はないわ。都市に限らず、今の世の中では良くあること。あなたもそうなんでしょ?」
ルナリアの言葉に、俺は俯くしかなかった。
違うと、声を大にして言えたらどれだけ楽だろうか。
俺の両親は、友達は、死んだ訳ではない。
二度と会えない場所にはいるが、彼らが生きていることを俺は知っているのだ。
シアやルナリアのような悲劇なんて俺にはないのだ。
しかし、そのことを話すには俺が転移者である事実を避けて通れない。
今更隠す必要があるのかと思いさえするが、いざ話そうとすると声が出なかった。
「ママを助けるために都市へ来てガーディアンになったのに、でも結局ママもパパも死んじゃった。春近は、私がしたことに意味があったと思う?」
「そんなの――! 俺に、とやかく言う資格なんてないだろ……」
「そうね。私もそう思う。だから、春近のやったことに意味があったかどうかなんて、私にも言う資格はないの。でもね」
ルナリアは屈みこみ、見下ろすのではなく真っすぐ俺を見据えて。
毅然と、叩きつけるように。
「私は、自分のやったことに意味がないとは思わない」
はっきりと断言する。
「ここに来たことで得られた家族との時間はかけがえのないものだったし、仲間たちと今日まで過ごしてきた時間だって楽しいことは沢山あった。今の生き方に意味がなかったなんて、誰にも言わせない」
「……だけど、俺には何もないんだ。ガーディアンとして守るものも、目的も」
あの時は二度と会えない家族に胸を張れる生き方がしたいと思い、この道を選んだ。
だがそれも結局、俺がそう思い込んでいるだけなのではないだろうか。
ここでどんな生き方をしようが、別の世界にいる二人には何の意味もないのに――
「なら、これから増やしていきましょう」
「――え?」
再び負の思考に沈みかけた俺を、あっけらかんとした言葉が引き上げた。
「何もないなら、これからいくらでも見つければいいじゃない。意味も目的も、生きていればいくらでも見つかるわ。持ちきれなくなったら、みんなで分け合えばいいし」
「で、でもシアはどうなる。もしあの子が――」
「知らないわよ! それこそあの子の勝手でしょうが!」
「ちょ――!?」
「ああもう、男のくせにいつまでもウジウジしてんじゃないわよ! お見舞いに来た人間の方が死にそうな顔してたら世話ないじゃない! ここは葬式会場かっての!」
突然烈火のごとく怒りだすルナリア。
あまりに突き放すような言い様に、俺は絶句した。
誠に身勝手ながら、俺を励ましてくれる流れかと思っていたのに……。
酸欠の鯉よろしく口をパクパクさせてる俺を見かねてか、ルナリアは特大の溜息をつき。
「大体ねぇ、春近がどうしてシアちゃんに対してそこまで卑屈になってるのかは知らないけど、意味がどうとかそんな下らないこと気にしてる暇があったら――」
「その子が目覚めた時にこの世界も捨てたもんじゃないって思えるくらい、まずあなたが幸せに生きなきゃ駄目じゃない!」
ガツンと、頭をぶん殴られたような衝撃が走った。
いや実際、後頭部に物理的なダメージを受けたのは確かだ。
情けない話、ルナリアの勢いに押されて微妙に壁から浮かせていた頭を思い切り引いてしまったのだ。
だがそれ以上に、心に響いた。
「ちょ、ちょっと大丈夫!?」
結構凄い音がしたからか、無言でうずくまる俺の近くでルナリアがオロオロしたような声を上げていた。
直前までの毅然とした態度なんて霧消していて、そのギャップがあまりにもおかしくて俺は思わず、
「っは、はは!」
「えっと、頭打っておかしくなった?」
「い、いやまあ、うん。むしろ、頭打って正常に戻った感がある」
笑いを必死に堪えつつ、俺はゆっくりと立ち上がった。
一緒に立ったルナリアの脇を通り抜けて、ベッドで眠るシアの傍らへと移動する。
近くで見てみると、本当に眠っているだけのようだ。
俺は左手首に提げっぱなしだった紙袋から、八番ラインの気が滅入るほどファンシーな店で買ったそれを取り出し、そっと枕元に置いた。
お見舞いの品にクマのぬいぐるみなんて、流石に子供扱いしすぎだろうか。
でも女子のニーズに疎い男子高校生の発想力ではこれが限界だった。
だから、代わりと言っては何だが。
「目が覚めたら、話をしようか」
いつになるかはわからない。
ならいつ目覚めても良いように、話のタネはどんどん増やしていこう。
それこそ自分では抱えきれないくらい。
仲間たちと一緒でなければ話しきれないくらいに。
「……悪いな、心配かけて。他の人たちにも会ったら謝っとくよ」
背を向けたまま、俺はルナリアに声をかける。
すると帰ってくるのはある種予想通りの反応だった。
「べ、別に謝ることないわよ。私はただ、辛気臭い顔でウロチョロされたら全体の士気にかかわると思っただけなんだから」
謝罪に関しても、やはりルナリアは固辞するようだ。流石ツンデレ。
しかし、何だろうな。
今日会ったばかりなのに、面倒見の良さが半端ない。
誰に対してもこういう態度なのだろうが、厳しくも優しいこの接され方にはどこか懐かしさを感じる。
そうか。
ルナリアって、
「ルナリアって、俺の母さんみたいだな――あ」
心の中で思い浮かべていた言葉を、気づけばそのまま口に出していた。
失言した! と思ったのもつかの間。
「……へぇ?」
ギギギ、と。
音が鳴りそうなぎこちなさで振り返ると、とても綺麗な笑顔のルナリアがそこにいた。
人の笑顔とはこれほどまで人に対し恐怖を覚えさせるものだっただろうか。
そういえば昔読んだ漫画の名言で、こんな感じのがあった。
笑うという行為は、元々攻撃的な意味合いを持っていたと――
「ねぇ春近」
「ひぃ!?」
もはや返事とも言えない悲鳴だったが、ルナリアは構わず一歩距離を詰めて来た。
一歩、一歩、また一歩。
「誰が、誰の、お母さんですって?」
距離――ゼロ。
「ちょ、ま、待って! 違います違うんですこれは言葉のあやというか決してルナリアが所帯じみてるとかそういう意味で言ったんじゃああああああああああああああああああああ――!!」
この後何が起きたかは、俺の名誉のために伏せておく。
余談だが、この時眠っているシアの眉間に若干皺が寄った気がするんだが……。
まあ、気のせいだろう。
遅れを取り戻す三連投!
なお話の進行が遅いのは作者の未熟故、ご勘弁を……