Chapter02-4
「次は二つ目の理由について解説するが、その前に前提条件を設定しておこう。ついさっき観測は不可能とした平行世界の観測手段が確立され、無限にある世界の内からこれまた偶然にも春近君がいた世界を特定できたとする」
いやちょっと待てや。
「それができないから無理って話じゃなかったのか?」
「まあ聞きたまえよ。先程述べた理由は言わば、〝実現する可能性はあるにせよ途方もない時間を要する〟ということだ」
「……どれくらいかかる?」
「そうだな。現代技術の進化スピードと、将来的なブレイクスルーも視野に入れて大雑把に計算すると……」
数秒間フューリーは瞑目し、
「どんなに軽く見積もっても千年以上だな」
「わかってたけど長ぇよ! 老化を通り越して風化するわ!」
「お互いに寿命が尽きているのは間違いないね。君をクライオスリーパー――冷凍睡眠装置に放り込んで未来に託すというのもありかもしれないが、帰れるようになった頃にはもう元の世界にも居場所はないだろう」
「だ、だろうな、うん」
さらりと恐ろしい仮定を示すフューリーだったが、それについては俺も同意だ。
千年も経ってしまえば、いくら同じ世界だとしても俺を知る人間なんていないし、俺の大切な人たちだってみんな死んでいるだろう。最悪なケースだが、人類が存続しているかすらも怪しい。
そもそも、自分を冷凍して保存するなんてゾッとしない話だ。
「ちなみに聞くけどさ、その冷凍睡眠って使われた事例あんの?」
「技術としては確立してるが、あんなもの世界が滅亡にでも瀕しない限り使われんよ。今なら記念すべき第一号となれるが――」
「いやいいです遠慮しときます!」
「賢明な判断だね。話を戻すが、仮に全ての条件をクリアし、いざ君を元の世界へ送る段階になったとする。実は、この世界から別の世界へ生物を転送すること自体は可能とされているんだよ」
「できるのか!?」
「送り先の平行世界を観測できない以上、理論上になるがね。この理論にも無視できない問題があるのだが、それを説明するにはまず『次元軸説』について理解してもらう必要がある」
「じ、次元軸説?」
本日何度目かもわからない新しいワードが出現し、頭上にクエスチョンマークを浮かべてしまう。
如何にも学術っぽい感じの単語だ。ただでさえ情報過多な今、あんまり専門的な話をぶち込まれるといよいよ脳がパンクしそうなんだが。
メーターが振り切れる寸前ですという表情を作っていると、フューリーはやれやれとでも言いたげな顔で小さく息を吐いた。
「ならば表現を初等プログラム並みのレベルに落とそう……ミルフィーユというケーキを知っているか? 君の世界に存在しなければ別の例えを使うが」
「ミルフィーユなら知ってるし、食ったこともあるぞ」
「ならこのまま続けよう。率直に言うと、世界はミルフィーユのようなものだ。このケーキは生地とクリームが折り重なって複数の層を作っている訳だが、この一枚一枚の層が次元だ。一番下の層を基底次元、または零次元とし、そこから一つ上の層になる度に一次元、二次元、そして我々が住まう三次元へとシフトしていく」
フューリーによって説明されたことを、何となく頭の中で反芻する。
要は、エレベーターの階層のようなものなのだろう。階数が上がれば、表示される数字も変わるといった感じに。
地上を一階ではなく零階としている点で微妙に違うが、認識そのものに致命的な齟齬はない……はず。
「そして一番上の層が次元の果てであり、正式には最終次元と呼ばれている。次元軸説とは、零次元と最終次元に挟まれた次元の連なりを軸と見立て、世界はこの一本の軸によって形作られているという説なんだ。ここまではイメージできているかい?」
「えっと、つまり世界は棒状のミルフィーユってことか?」
「実に初等生らしい解答だな」
「おい、今ちょっと馬鹿にしただろ」
初等生がどれほどのもんかは知らんが、ニュアンス的には小学生並みと言われたような気がする。
しょうがないだろ。
俺は知識がゼロで、今の説明はレベル的に初等プログラムだったんだから!
「まあ棒でも柱でも何でも構わない。世界の上下には端があり、層状になっている。そして果てのない平面に次元軸が直立し、無数に生えているのが平行世界の構図だ。一本一本が世界で、平行に直立しているから交わらない」
一度言葉を区切り、再び脚を組みなおして再開。
「ここからが本題なのだが、過去にとある人間がこの次元軸をひん曲げようとした」
「ひ、ひん曲げる?」
「そうだ。比喩でも何でもなく次元軸を強引に曲げて、その上端を別の平行世界に接続しようと試みた者がいたのさ。もっとも彼のいた世界では次元軸なんて考え方はなく、ただ単に時空歪曲実験と称して行われたそうだがね」
「……彼のいた世界?」
世界をひん曲げるやら時空歪曲やらとんでもないスケールの話になってきたが、そんな中で一際俺の注意を惹いたのはその部分だった。
彼という存在も気になるが、それよりも彼のいた世界という表現に引っかかる。
まるで、この世界で行われたものではないとでもいうような。
それこそ、いやまさか――
「お察しの通り、時空歪曲実験はこことは違う平行世界で行われたものさ」
はっと顔を上げた俺を見て、フューリーが悪戯を成功させた子供のように笑う。
「そして実験を主導した彼……ライト・シェーファー教授こそ、この世界で確認された一人目の転移者。言うなれば君の先輩だな。彼の出現により時空歪曲の技術がこちらの世界へ流入し、他世界への干渉に一歩近づいた。しかし、問題はその成功率だ」
ここに来て、フューリーの表情に初めて暗澹たるものが降りて来る。
思い出すのも嫌だと、そう顔に書いてあった。
「ライト教授曰く、彼らの世界は既に生命が存在できる状態にあらず、新たな安住の地を求めて世界移動を敢行したらしい。運悪くも資格を得てしまったライト教授を含む一〇億人もの人々が、一斉にこちらの世界を目指した。だが――」
――まともな状態で現出したのは、ライト教授ただ一人だったよ。
フューリーは意図せずしてか、額に手を当てて天井を仰いでいた。
少し離れたところで耳を傾けていた久道も苦虫を噛み潰したような表情になっている。
彼もまたフューリーと同じものを見て、今それを思い出しているのだろうか。
「大半はこの世界に現れすらしなかった。十中八九、こちらの世界に同一の存在がいたんだろうな。世界そのものに拒絶されて元の世界に帰れたのか、はたまた今もなお世界と世界の狭間を彷徨っているのかは確認のしようがない。まあ、消滅したと考えていいか」
消滅。
下手をすれば死よりも恐ろしい響きがあるその言葉に、背筋が冷えた。
一歩間違えれば、俺もそうなっていた可能性があったのだ。
俺が生まれていなくてよかったと、ある種矛盾した理由で安堵してしまうのも仕方のないことだと思う。
「そしてこちらの世界に出現した人間は、ライト教授を除いて全員死亡した。都市の外壁付近で彼は発見されたんだが、その周囲には原型を留めていない死体がざっと一〇万人単位で散らばってたよ。あれは酷かった。流石の私も、その日は何も食べれなかったよ」
「ど、どうしてそんな……ただ世界を移動しただけじゃないのか?」
「春近君や彼らが考えていたほど、世界移動は単純なものではなかったのさ。彼らの間違いは、捻じ曲げて接続した世界をただのパイプと勘違いしたことだ。彼らは移動の過程で通過する次元について、一切考慮していなかった」
ぎしっ、と。
背もたれを鳴らしながら、フューリーが姿勢を直す。
未だ表情は優れていなかったが、話す調子に変化はない。
「次元にはそれぞれ最大情報という、その次元が司る情報がある。零次元は『存在』。一次元は『質量』。二次元は『平面』。三次元は『空間』といったようにね」
「ああ、何となくわかる。よく『二次元の嫁』とか言うよな」
「……さっきといい、君の世界の表現は中々エキセントリックだな」
「そうかな?」
まあ、俺の世界にあったゲームとかアニメとかの文化がこっちにあるとも限らない。慣れ親しんだネットスラングはこっちの世界ではあまり使われていないのかも。
「三次元より上はどうなってんだ?」
「勿論これより上の次元にも最大情報は存在しているが、今もなお四次元の『時間』以降の特定はされていない。ただ、時空歪曲実験による転移者の出現から、最終次元は『可能性』。世界の在り方を司っているとされている。彼らは最終次元の情報を操作することで異なる可能性を持つ世界に接続し、移動しようとしたわけだ」
世界の在り方ねぇ。
つまり、「この世界はこのような世界である」という情報ってことか。
俺の知識に当てはめるなら、ふしぎなポッケから出てくる例の公衆電話で「もしも○○だったら」と言う際の○○がそれに該当するのだろう。
あれはそれこそ自由自在に平行世界を移動していたことになるのだが、現実はそう甘くないらしい。
「いざ世界移動しようと元いた世界を旅だった彼らを待ち受けていたのは、無数の次元からなる層だ。ここで質問だが、春近君は宇宙に放り出されて生きる自信があるかい?」
ふっ、何を聞かれるかと思えばそんなことか。
考えるまでもない。
「無理に決まってんだろ!」
「それは何故?」
「だって空気もないし重力もないし……とにかく、人の生きれる環境じゃ――」
言いかけて、俺はフューリーの言わんとしていることに気づいた。
宇宙に放り出された人間は生存できない。人間が生きるために必要なものが存在していないからだ。
それがもし、三次元より上の次元にも言えたら?
「ふむ、もう随分と頭が回るようになったようだね。安心した」
「え?」
ふとフューリーが小さく頷きながら、ほっとしたように笑んだ。
藪から棒に言われた言葉の意図を計りかねてつい見つめ返していると、彼女は極まりが悪そうに目を逸らす。
「秀一君も言っていたが、それなりにショックを与えた自覚はあるのだよ。放っておけば飛び降りかねない顔をしていたしな。だから、私との対話で多少なりとも気が紛れてくれたようなら何よりだ」
「……」
「何だねその目は」
「あ、いや。フューリー室長も一応そういう気遣いは出来るんだなーって」
正直言って、かなり意外だった。
解説一辺倒ではなく適宜俺に話を振ってきたのも、彼女なりに頭を使わせてショックから遠ざけようとしていたのか。
なるほど、そういう意味でなら確かによく効いた。
帰れない理由をきっちりと説明されていく内に、何となくそれを受け入れ始めている自分がいるのだ。
もうさっきのように、自暴自棄な思考へ陥ることはないだろう。
「ハッハッハ、何を言うんだい春近君は。私ほど他人に気を使っている人間なんて、都市どころか世界全体でも希少な部類だよ?」
俺の返答を聞いたフューリーは、調子を取り繕うかのように嘘くさい笑い声を上げる。
部屋のどこからともなく、「嘘つけ」と小さく呟く声がした。