第三三四話 舐めプ
アケチは思い出していた、この世界に召喚された時の事を。
修学旅行のバスの中から、突如異世界に飛ばされた日のことを。
あの時、アケチ以外の全員は、気がついたらあの召喚の間にいたことだろう。
だが、アケチだけは違っていた。それはアケチが選ばれた人間だから。そう、完璧なアケチという存在だからこそ、あの一瞬、地球と異世界との狭間に呼び出され、そして魔神と対峙することが出来たのだ。
『わしは堕落のアセディア――お前がこれから召喚されし世界で、魔神と恐れられている存在よ』
そのいかにも老獪といった雰囲気の漂う老人は、アケチにそう名乗ってきた。
当然アケチは、何故自分に魔神などが声を掛けてきたのか? と問い返す。
『な~に、お前から中々の素質を感じた故な。我々は異世界からやってくる強きものを求めているのじゃ。そういった連中を見つけては、こうして話を持ちかけたり、まあ時には勝手に事を進める場合もあるがのう。とにかく我らに仕えるにふさわしい人間に力を授けているというわけじゃよ』
つまり僕はその有象無象の一人として選ばれたというわけかい? と最初はアケチも不服そうに口にした。
だが、アセディアは違うと述べ。
『お前から素質を感じると言ったじゃろう? 本来わし自らが顔を合わせることなどそうはない。それがこうして対面し、しかもお主に加護を与えようと言うのじゃ』
加護? とアケチは問い返したが。
『そう、加護じゃ。これによりお主は今より更に強い力を手にするばかりか、特殊なスキルやアビリティを一つ手に入れることとなるじゃろう』
一体そのスキルとは何か? とアケチは問うたが、それに対する明確は答えはなく。
『どんなスキルが手に入るかはわしにもわからん。運もあるしのう。生き方や、性格など様々な要因も絡んでくる事じゃ。だが、お主の力が本物なら、相当な能力が手に入ることは間違いないと思うがのう』
だが、その答えはアケチにとって非常に魅力的な物ともなった。少々見え見えの煽りにも思えるが、とりあえず今のところは素直に協力する振りをして、加護を手に入れておくのも悪くない。
何より自分という完璧な存在に、一体どれほどのスキルが生まれることになるのか、純粋に興味があった。
なので、アケチは一旦はその申し出を受けることとし、魔神の加護により能力を一つ授かった。
それこそが――
『――これは驚いたのう。大当たりじゃ。隠しスキルというだけでも見事じゃが、よもやアカシアの記憶とはのう、使いようによっては神さえも凌げる代物じゃ――まあ、わしの加護を受けた関係で多少は制約も生まれているようじゃがな、大切に使うが良い――』
こうしてアケチは、魔神の加護を受けた後、気がついたら皆と同じように召喚の間にいた。
夢とは思わなかった。すぐにステータスを確認し、そこにアカシアの記憶があることも確認した。
するとアケチはすぐにそのスキルの力を行使し、称号を修正、スキルも勇者に見えそうなものを取り出しステータスにも反映させた。
それからアケチは皆と行動をともにする振りをしながら、陸海空を異世界でも上手く手懐け、更に宮廷内の女官も魅了しつつ、情報を集めつつ、時に陸海空にあてがい(とはいっても結局サメジはアケチの世話になるほど女には困ってないといって乗ってこなかったが)餌付けしたりもした。
あまりにアケチにのめり込むような、例えば召喚の儀に参加していた女魔術師などはあまりにしつこかったので、シシオとカラスに任せ、やることをやったらバラさせたりした。
こういうときにもあのふたりは役に立った。そんな事をしつつも情報を集めていたら、皇帝の目的などはすぐに知れた。
皇帝はこの国を脅かすものから守って欲しいといいつつ、実は落ち目になりつつある帝国の威光を取り戻すため、召喚されたアケチ達を利用しようとしていただけであったのだ。
それを知ったアケチは――あまりに小さいと思った。皇帝にして、この底の浅さ。目指す高みの低さ。
それに呆れ果て、そして考え、思いついたのだ。皇帝の考えなどよりも更に、素晴らしく完璧な計画を。
そしてその道具としてアカシアの記憶を辿り――アケチは見つけた、悪魔の書を。
そしてそれを見つけた瞬間、アケチは思い出した、この悪魔の書を持つにふさわしい人物を。
自分を英雄に押し上げるための道化として、これほどふさわしい相手はそういない。そうそれこそがサトルであったのだ。
アケチは力を使い、既にサトルの判決の日は知っていた。なので、それに合わせて、行動を開始する。
アカシアの記憶を手に入れたアケチであれば、サトル一人ぐらい好きな場所に召喚するぐらいわけのない作業であった。
そして、アケチは適当なそれっぽい場所を見つけ、アカシアの記憶から悪魔の書を取り出した。
「もうじき、一人の少年がこの近くを通る。君を使うに相応しい憎しみを秘めた人物だ。そういう相手なら、君の念も届くのだろう?」
『……一体何なのだ貴様は。突然そのような事をいいおって。一体何の目的があってこんな事をする?』
「僕の目的はたったひとつ、その人物と契約し、彼の復讐を手伝って欲しいのさ」
『……おかしな男だ』
「ふふっ、あ、それと事前に話を聞いていたことや、僕のことも黙っておいたほうがいいよ。ややこしくなるだけだからね」
『もともと我は余計な話は好かぬ』
「ふふっ、だよね。やっぱり君を選んで良かったよ」
そしてアケチは悪魔の書を置き、その場を離れた。
計画はアケチの思っていたとおりに進んだ。アケチが手に入れたパーフェクトアイズは遠くの光景も瞬時に把握できる。それを使用し、サトルのことは合間を見て観察していた。
そして、アケチの計画はやはりパーフェクトだった。サトルはアケチの予想していたとおりに動き、まさにアケチの掌の上で踊る道化そのものだった。
このままいけば、間違いなくアケチの計画通り事が運ぶ。後は絶好のタイミングでサトルの前に姿をさらし、煽りに煽って憎しみを増加させ、悪魔の書に封印された序列一位のオーディウムを解放させれば、アケチの計画は達成されたも同然になる――そう、そのはずだった。
そう、あの、男が現れるまでは。きっかけはアケチに加護を与えた魔神の配下からの伝令。
そこでナガレという男が何れ脅威になるかもしれないと聞いた。その話でインキとマサルという、魔神が目をつけたふたりが次々とその男に倒されたのだという話も聞く。
だが、アケチからしてみればそれがどうしたといった話であった。インキなど所詮はただの魔物使い、マサルに関して言えば歪んだ妄想だけが取り柄のとんだサイコパスである。
倒されたなどと言っているが正直アケチであればふたりとも瞬きしてる間に切り刻める程度のゴミ屑でしかない。そのような相手が倒されたから何だというのか。
その程度の相手に恐れおののいているのか、とアケチは魔神に対しても失望感を抱かずにいられなかった。
とはいえ、協力すると約束した手前もある。だからこそアケチはサメジを上手いこと動かし、王国側の辺境伯であるアクドルクに働きかけた。
もともとあの男が、帝国から密かに奴隷を輸入していたという情報は掴んでいた。だからこそこちらがわに組みさせやすいと思ったのだ。
そしてそれは完璧な計画だった。ナガレという男はアケチがわざわざ手を出さずともサトルが壊滅させた町の犯人として濡れ衣を着せれば、後は勝手に皇帝あたりが処刑してくれる。
その程度の相手だと、思っていた。そう、完璧なアケチによる鮮やかで完璧な手――その、筈だったのに、今アケチは、その男、そう、ナガレという男の手で地面に叩きつけられ、完璧な自分相手に、舐めプをしているとまで言われ、あまりに、あまりに屈辱的な、仕打ちだった。
「この、ド畜生がぁあああぁあああぁああぁあああ!」
「う、うん……」
サトルは夢現の真っ只中にいた。きのせいか後頭部に何故かとても暖かく、柔らかいものを感じる。
一体ここは何処だろう? と覚束ない記憶の紐を少しずつ手繰り寄せていく。
意識は少しずつ覚醒していった。自分がアケチや陸海空を追って古代迷宮までやってきたこと。その途中でナガレと出会い、悪魔の書を手放すことになった事。
そして――アケチとの戦いになり、あと一歩のところまで追い詰めたものの、結局届かず――ふと暗闇にぽつんと浮かぶサトルの足下に穴が開き、自らの身が落ちていく。
死ぬ、と、そう感じた。手を伸ばそうにも、そうだ、自分が今伸ばそうとした方の腕は既にない。
そしてサトルは思う、自分は結局負けたのか、と。そして、この腕も結局無駄だったのかと。
――ありますよ。無駄なんかじゃありません、それに、貴方は勝ったのです。
ふと、耳に届く優しい響き。ふと見ると、なくしたはずの腕が戻っていた。
サトルはそれを認め、どこか感慨にふけつつも、必死に手を伸ばす。すると、サトルの腕に絡みつく柔らかい感触。その瞬間、暗闇が揺れ動き――とても柔らかいそれを手がかりによじ登ろうとしたその時……。
「い、いつまで掴んでるのよ……」
「――へ?」
だが、ふと耳に届いた聞き覚えのある声にサトルの意識は完全に覚醒された。そして、その左腕の先にあったのは、彼女の中々にボリュームのある胸を掴み、指を動かす左手の様相。
サトルは顔から血の気が引くの感じ取った。
「ご、ごめん!」
「いいから! さっきまで酷い怪我してたんだからおとなしくしてなさい!」
慌てて手を放し、いつの間にか膝枕されていたことにも戸惑いつつ、起き上がろうとしたサトルをマイが押し付け、強制的に膝枕の体勢に戻された。
「それと、い、今のは、悪気がなかったって事で許してあげるわよ。次は流石に許さないけど」
「ご、ごめんなさい……」
目線をサトルから逸しつつ、仄かに頬を染めるマイに、心底申し訳ないといった表情でサトルが謝った。
「あ、サトルさん、目が覚めたのですね」
すると、今度は随分と可愛らしい白ローブ姿の少女がサトルの顔を覗き込んできた。
「彼女は聖魔導師のローザよ。貴方の傷を治療してくれたの」
「え? じゃあこの腕も貴方が?」
「あ、いえ、それは普通だと私でも難しいのですが、ナガレ様が治療を施した様で、私はその他の傷などを魔法で――」
そう語るローザ。つまり、ナガレは本来魔法でもそう簡単に治せない程の事をやってのけたことになる。
その凄さに今更ながらに驚きを覚えるサトルだが。
「ところで腕と怪我の調子は如何ですか?」
「腕の方は問題ないわよね~サトルくん?」
少し意地悪な顔で問いかけるマイに、固い笑いで返すしかないサトルである。とはいえ、確かにしっかりと柔らかい感触が左手に残っているし、動きも問題ない。ある意味これは僥倖でもあるが。
「怪我の方も問題ないと思います。傷みもないし、あ、それよりも! アケチは、ナガレさんは?」
「それなら、今戦ってるところだ」
そんなサトルの疑問に答えたのは目下、ふたりの戦いを観戦中のフレムであった。
「戦って、そうかナガレさん俺の願いを――だったら!」
「あ、だから無理しちゃ!」
「もう大丈夫! それに、これは俺だってちゃんと見届けないといけないんだ!」
真剣な目で訴えるサトルに、マイも止める気をなくしたのか、サトルと一緒に立ち上がり、戦いの様子に目を向ける。
だが、視線の先ではアケチがナガレを睨みつけたまま、そういった状況である。
「これは……」
「うん、アケチがなんか勝手に怒鳴りだして、一旦距離を離したんだけど、それからちょっとした膠着状態ね、て、サトル気づいたのね!」
「あ、はい。え~と」
「あ、そうか、初めましてだもんね。私はナガレとパーティーを組んでいて、リーダーも任されているピーチよ、よろしくね」
「……え? ぴ、ピーチさん、なのですか?」
「ピーチだけど?」
こてんっと首を傾け、疑問げに返すピーチ。しかしサトルは驚きを隠せない。マイと一緒で、彼もまた、ピーチがガチムチのおっさんか、ガチムチの女戦士なのだろうと勘違いしていた一人だからだ。
「あ、いや、ところで、ここまで一体何があったのですか?」
どこか怪訝そうにじ~っとサトルを見てくるピーチに戸惑いつつ、気になっていた事に話を変えてごまかすサトルである。
すると、戦いを見ていたピーチが簡単にわかりやすくこれまでの概要を説明してくれたわけだが。
「あれが、やっぱりアケチなのか、驚いたな。それに……舐めプ、ははっ、なるほど、ナガレさんらしいな……」
「え? そう? 私は結構意外だなって思ったんだけどな」
隣で聞いていたマイが目をパチクリさせながら言う。確かにその言葉だけを聞くと、ナガレが使うには少々違和感があるかもしれない。
だが、今回の場合ナガレはサトルの依頼を受けてアケチと戦っているという前提がある。
そして、サトルは思い出していた。
『あはは? どうしたのかなサトル? 全く反応が追いついてないじゃないか! さっきまでの威勢はどうしたのかな? ねえ? ねえ! いいことを教えてあげるよ。僕はねこれでも君に対してずっと舐めプしてたのさ。舐めプだよ舐めプ、判るかな? それに対してちょっとだけ調子に乗ってたに過ぎないんだよお前は! それを、勘違い、するな!』
アケチはサトルに対してそんな事を言っていた。だからこそ、勿論それはサトルの思い過ごしかもしれないが、だからこそナガレは敢えて、アケチにも舐めプ返しを決めてくれたのだろう。
そう思えて仕方ないのである。
尤も、同じ舐めプでもアケチの場合はその後、調子に乗ってサトルの一撃を貰い、頬に一生消えない傷をつけられたのに対し、ナガレの場合は安心感が違う。貫禄も違う。どう見繕っても、アケチはナガレに一撃を与えることすら不可能だろう。
「ところで、気になってたのだけど、その舐めプって何?」
すると、ピーチがそんな疑問をぶつけてくる。確かに、異世界育ちのピーチが舐めプなんて言葉を知っているわけがないだろう。
なので、サトルがその意味を異世界の人たちでもわかりやすいように教えてあげた。すると、いつのまに興味津々といった様子で帝国の騎士たちも聞き耳を立てており。
「ぷっ、あははは! 確かにそうね! ナガレがあんなやつに本気になるわけないし」
「当然だな! その舐めプってので十分だぜあんなやつ!」
「……舐めプ、気に入った」
「う~ん、でもナガレっちならその舐めプでも魔神ぐらい倒せちゃいそうだよね~」
そして、サトルの説明を聞き、それぞれが感想を述べ、更に帝国騎士さえもアケチを指差しながらあざ笑っていた。
「はは、舐めプか、これはいい! あの男、さんざん勇者だ完璧だといいながら!」
「まさか舐めプされた状態で手も足も出ないとは!」
「わざわざ魔神化までしておいてあのざまとは情けない限りだ」
「まさに無様であるな! あの男に姫様が一目惚れしていたと聞くが、あのような姿を見ては百年の恋も冷めるというものぞ!」
嘲笑と、小馬鹿にしたような声がアケチへと降り注ぐ。それを一身に受け、アケチの肩はプルプルと震え、そして――
「この僕を笑うなァアアァアアアァアアァ!」
全身を怒張させ、空気を震わすほどの咆哮。それは周囲をだまらすに十分な一声であった。
「あまり調子にのるなよ虫けらどもが! そしてナガレ、貴様もだ!」
「……私がですか?」
「そうだ! 支配される側とする側の違いも判らず! 偉そうな事ばかり言いやがって、挙句の果てに、舐めプだと? ふざけるな! それは貴様の台詞じゃない! この僕にこそ相応しい言葉だ! この僕にだけ許された権利だ!」
「……遂にとんでもないこと言い出したわね……」
マイがジト目で呟く。確かに舐めプは特に誰のものと決まっているわけでもない。
「そうだ、この僕は完璧なんだ! この僕より上なんて存在しない! 常に下だけだ! だから貴様が僕を見下ろすことも、舐めプすることも許されない! だから僕が殺す! 貴様を殺す! お前は今ここで、この僕に、殺されるべきなんだーー! パーフェクトクローンハンドレッド!」
すると、全てをぶちまけた直後、アケチの身体から一〇〇人のアケチが現出する。
「な! あの男が増えた!」
「そ、そんな馬鹿な!」
その様相に騎士たちが驚愕し。
「……一人でもウザいのに」
ビッチェが冷ややかな目で言った。
そして――
「またその技ですか。懲りない方ですね」
平然とナガレが告げる。特に動揺した様子すら見せないが。
「馬鹿め! 今度は魔神化した僕が一〇〇人だ! さっきとは能力が全く別物なんだよ! そしてナガレ! 僕には判った! 貴様は魔法が使えない! それこそが貴様の弱点だとな! さあうけてみろ!」
その瞬間、一〇〇人の分身と本体が両手を前に突き出し、かと思えばナガレのいた場所が連続で爆轟する。
激しい爆発の連鎖に、思わず悲鳴を上げるビッチェ以外の女性陣。
更に、まだまだ! と無詠唱で魔法は行使されつづけ、闇の長槍が数え切れないほど生み出されナガレに襲いかかり、地面から生えた巨大な漆黒の手がナガレを押しつぶし、炎の竜と水の竜が荒れ狂い、火炎竜巻が生み出され、鋼鉄のスパイク付きの壁が迫り、ナガレを軽く飲み込めそうなほどの紫電が何度も何度も何度も何度も何度も何度もその場に降り注いだ。
「さあ、これでとどめた! 魔法の後は、全方位からの圧縮した闘気弾を浴びせまくってやる!」
一〇〇人の分身とアケチ本体がナガレを取り囲んだ。そして再び広げた両手に闘気が集束していく。
「ハァアアァアァアアアァアアァアアァアアアァアアアァアァアァアア!」
そして一息のもとに、ナガレに向けて闘気の弾丸を連射、連射、連射、連射、連射、連射!
本体と分身によって放たれた闘気弾は弾幕となり、そのあまりの量に、全方位を囲む極厚の壁のようですらあった。
切れ目なく放たれた闘気が着弾の度に激しい余波を生み、周囲で見ていた全員にも降り注ぐ。怪我こそないものの、目を開けているのがやっとであり、油断していると衝撃に飛ばされそうにすらなる程。
そして――アケチと分身による攻撃のフルコースが終わった後、それでもなお、もうもうと煙が立ち込め、ナガレの姿は判然としない。
だが、これといった反応もない。
そして――
「……やったか? やったな? やったんだ! そうさ、これで無事な奴がいるがはずない! 遂に僕が、奴を殺ったんだーーーーーーーーーー!」
アケチの歓喜の声が、辺りに響き渡った――




