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第二六九話 追い詰められし少年

(失敗した! まさかこんな失敗をしてしまうなんて!)


 小森 純一(こもり じゅんいち)は魔物の巣窟とも称されるその森の中を一人疾駆していた。

 その表情からは怯えの様子が見て取れ、何かから懸命に逃れようとしている様子でもある。


 だが、彼の足は決して速くはない。ここマーベル帝国に召喚された地球人の中で、彼の持つアビリティやスキルはかなり独特なものであったが、少なくとも彼、コモリが考えうる限り戦闘向けなどではなく、敢えて言うなら斥候向け、しかし彼の中では誰にも見つからず平穏無事に過ごすためのものでしかなかった。


 だが、残念ながら運命は彼にそこまでの平穏を齎せてはくれなかった。


 時は少しだけ遡るが――コモリはとある狂気の現場を見届けた後、このまま帝国に留まっていては命がいくつあっても足りないと判断し、比較的平和な国として知られるバール王国を単身目指していた。


 ただ、いくら特殊なスキルを持っていようと、終始徒歩で向かうのは流石に無理があると途中で判断し――コモリは乗合馬車を見つけそれに搭乗させてもらい王国近くの村か町へ送ってもらうことを考えた。そこまで送ってもらうことができれば、後は自分の能力で誰にも気づかれることなく帝国から脱出することが出来ると判断したからだ。


 馬車で乗り合わせた人たちは思いの他気さくで優しい人ばかりだった。そのことで気が抜けたのか、コモリのお腹がぐ~となり、それを聞いていたおばちゃんがリンゴを分けてくれたりもした。


 隣りにいたおじさんは自分が行商人をしている事を教えてくれた。この馬車は村を何箇所か周り、ここから半日ほど進んだ先にある町を目指しているということも。


 乗っている人々はどれも町での商売が目的なようだった。リンゴを分けてくれた人は背嚢にびっしりとリンゴを詰めている。木彫りの工芸品のような物を確認している人もいる。


 そして隣りにいたおじさんは自らが調合した傷薬などを売るつもりらしい。


「よかったらこの目潰しなんてどうだい? 凶暴な魔獣でも裸足で逃げ出す代物さ! 護身用にもぴったりだと思うよ? 一袋五〇〇ジェリーでいいよ」


 どうやら安くしておくから買わないか? といった話だったようだ。一瞬迷ったコモリであったが、おじさんの勢いに押されて結局一つ購入してしまった。


 商売上手だなと思ったが、単純に自分が押しに弱いだけかと自虐的な笑いも浮かべたりした。


 それから暫く安穏とした時が流れた。ここが帝国だと忘れそうな程に穏やかに感じた。馬車の揺れには慣れなかったが、それでも一人でいるよりは偶然乗り合わせたにしても近くに人がいるのはありがたかった。

 

 だが、彼はここマーベル帝国の危険性を若干軽視していたところがあったのだろう。勿論必ずそうなると決まっているわけではないが、この帝国ではどんな場所であっても犯罪に巻き込まれる可能性はつきまとう。


 そして案の定、それから程なくして彼の乗った馬車は盗賊に襲われてしまった。しかも近くの森で増殖を続けていたホブゴブリンやゴブリンが徒党を組んで別方向からも奇襲を掛けてくるというおまけ付きでだ。


 流石にこの時ばかりはコモリも自分の運の悪さに絶望すらした。何せコモリのステータスは全く戦闘向きではなく、ゴブリンにだって苦戦してもおかしくないほどだ。


 馬車には当然護衛の冒険者も何人かついてきていたのだが、依頼料をケチったのか実力的にはCランクの4級や5級といった微妙な者ばかりだったのでこの状況では全く頼りになりそうにない。


 なのでコモリも無我夢中でスキルのティミッドハーミット(臆病な隠者)を行使し、その場から逃げることを優先させた。


 乗り合わせた乗客たちの悲鳴が飛び交うのが聞こえたが、自分には戦闘するだけの力はない。だが、このスキルを使えば自分の存在感を完全に消失させる事ができる。つまり誰からも視認されなくなるのである。

 

 ただしこの能力は消極的な行動をとっている間のみしか機能しないという制約がある。つまり消えている間に相手に攻撃を加えたり声を発したり(・・・・)すると効果が消える。積極的な行動ととられてしまうからだ。


 一度効果が消えると暫くは再利用が出来ないという欠点もあるため、どうしてもここは慎重にならざるを得ない。他者のことを気にかけている場合でもない。


 今のコモリは自分の命のほうが大事だ。だが、これは何も間違った行動ではない。そもそもコモリの実力では盗賊やゴブリンに一矢報いるのすら厳しい。攻撃した瞬間には効果が消えるこのスキルでは、逃げずに立ち向かおうとしたところで無駄死にするのが落ちなのである。

 

(逃げないと、逃げないと――)


 とにかくコモリはその場から身を隠せる場所まで逃げ果すのを優先させた。だからこそ、ゴブリン達が出てきた方とは逆の森へと自ら飛び込んでいった。


 外側から見る限りは高山の連なる山脈麓の森といったところか。

 鬱蒼とした随分と深そうな森であったが四の五の迷っている余裕はなかった。


 ただコモリは山登りなどする気は毛頭なく、とにかく安全が確保できるまではここで身を潜めて置こうと考えた。


 尤もこのような森では安全を確保できるのが本来難しそうにも思える。いかにも凶悪な魔物が潜んでいそうな森だからだ。


 しかしコモリにはこのスキルがある。この力があれば例え魔物でもコモリに気がつくことはない。スキルの効果も暫くは持つ。


 魔物や盗賊も、どちらが生き残るかは判らないが、そこまで長いことあの場所に居座ることはないだろう。


 とにかく上手くやり過ごして、その後は近くの村でも探そう――そう考えていたのだが……。


(……あれ? 何か急に、眠気、が――)


 それはある程度森の奥まで歩みを進めた先での出来事であった。ふと、綺麗な野花が群生している場所を見つけ、興味を惹かれた直後の事である。


 突然の眠気が彼を襲い、気づいたなら群生する花の中に倒れ、そのまま意識を手放してしまっていた。


 スリーピングフラワー――それがこの花の名称である。魔物に分類される植物であり、獲物を得るために睡眠効果のある匂いをばら撒き、その効果で眠りについた餌を捕食する魔物であった。


 ただ、この段階ではまだコモリには運があったともいえる。なぜなら例え眠ってしまってもスキルの効果が切れることはないからだ。もしこの状況で切れるとしたら魔力が完全に切れてしまった場合である。


 しかしそれは暫くは大丈夫そうであろう。そしてこの花による睡眠効果はそこまで長くは続かない。普通であれば眠りについた時点で貪り食われるだけなので、持続性には重きを置いていないのである。


 その為、眠っている時間は精々一五分~二〇分程度といったところだ。


 だが、問題はここからであった。案の定しばらくしてコモリが目覚めたその時、彼の目の前には何かを貪る獣の姿があった。


 しかもただの獣ではない。やたらと大きな岩のような体躯、胴体には足を六本有し、顔はまるで狛犬のように終始怒りに満ちている。


 そんな化物が――コモリを見下ろしていた。そう、じっと見下ろしていたように、コモリには感じられたのだ。


 実際は、たまたまこの化物とコモリとで目があったに過ぎず、化物とて彼には気がついていなかった。


 しかし寝起きのコモリは頭もはっきりしておらず、その上でこのような相手に睨みつけられような状態となり――当然心臓が飛び出しそうな程に驚く。


「ひっ、ひいぃぃいいぃいいい!」


 横隔膜が激しく痙攣したかのような叫び。そして――当然彼のスキルの効果はこれで消えることとなる。なぜなら、ティミッドハーミットの効果は声を発した時点で消えてしまうから、そこに本人の意志は関係がない。


 今、化物の目の前に絶好の餌が現出した。突然の出来事にコモリだけではなく化物ですら鳩が豆鉄砲を食ったような表情を見せる。


 コモリもそこでようやく、しまった!? と自分の行った失敗を知る。


 グルゥ、と目の前の化物が短く唸った。そして一瞬膠着状態にあったふたりだが、そこで化物の右前肢が大きく振り上げられた。


 先に動いたのは化物の方だったのである。そして、その肢には鋭利な爪。そのようなものが振り下ろされては、コモリなど一溜まりもない。


「う、うわぁあぁああぁああ!」


 叫び、無我夢中でコモリは懐に隠し持っていた袋を投げつけた。それは化物の顔に命中すると同時に弾け飛び、茶色混じりの粉が化物の視界を支配する。


「グゴガガァ! グゴガガガァ!」


 途端に身体を軽く浮き上がらせた状態で泣き声を上げ、両前肢で顔を掻きむしる。流石に爪は既に引っ込んでいたが、これをチャンスと考えコモリは無我夢中で遁走を開始した。


 こうして現在、化物に追われている今がある。しかしコモリにはほぼ絶望しかなかったわけだが――



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