第二六〇話 男の正体は?
ビッチェの唐突の行動と、その結果に、ナガレ以外の全員が一様に驚く。
まさか、こんなところにやってくる人物が他にいるとは思わなかったというのもあるが、何より全く気配に気がつけなかったことが大きいのだろう。
フレムに関してはどこか悔しそうですらある。しかしそれはフレム自身がビッチェとの差に気づいているからでもある。
ナガレについては先生と慕い、雲の上の存在として敬意を評すフレムであるが、ビッチェに関してはいずれは超えるべき存在と捉えているようだ。
しかし、フレムの目は今、彼女の攻撃を危なげもなく躱して見せた男に向けられていた。それは他の皆にしてもそうだが、特にフレムの目つきが鋭い。
フレムにも気配を感じさせず、牽制とはいえビッチェの一撃をあっさり躱してみせたこの男の実力が相当なものであることはフレムに察しがついたからだ。
「そろそろ、その私に向けている怖い剣をどかしてくれないかな? それにせっかくの美人がそんな顔してたら台無しだと思うけど?」
だが――隠れることを諦めた男は存外軽かった。纏っている雰囲気が武人のそれであることは確かだが、敵対心がないという言葉に嘘はなさそうにも思える。
「……ナガレ、私に気がついて、貴方が気がつかないなんて考えられない、でも特に反応しなかったのは――危険がないと判断した?」
すると、ビッチェは目の前で両手を上げ、敵意がないことを態度で示す男を睨めつけたままナガレに問う。
「私が気がついていたかはともかく、見るに現状はそれほど心配する相手ではないと思いますね」
「と、いうことはやはり先生は既に気がついていたのですよね! そうですよね、当然ですよ!」
「いや、なんであんたそんなに嬉しそうなのよ」
半眼で呆れたように述べるピーチである。しかしフレムはやはり先生と慕うナガレが気がつけなかったなどと思いたくなかったのだろう。
だが、少なくともビッチェに関して言えばナガレに勝ったなどと当然思っていない。
それに、ビッチェより遥かに早くナガレが感づいていた事は彼女から見ても明らかであった。
何故ならこの洞窟に入って早い段階で、一度ナガレは何かに気づいていた節があったからだ。
しかしその時にはまだビッチェには相手の気配が感じ取れなかった。
だが、それ故にビッチェは相手に強い警戒心を抱いている。何せ今この場に至るまでビッチェにも気がつけなかったのだから――
「……ナガレはこう言ってるけど、一応確認させてもらう。お前、何者?」
「ふふっ、何者だと思うかな? 当ててみる?」
ビッチェの両目が細まり銀色の眉がピクピクと波打った。明らかにイラッときている。
「……そういうのはいい」
「そう? つれないな」
「ですが、そこまで隠すほどのものではないでしょう。ただの同業者なのですし」
ナガレの発言に、男は、ヒュ~っと口笛を鳴らす。
「……同業者?」
「はい、彼も同じ冒険者でしょうね」
改めてビッチェが男を見やる。他の皆もナガレの言葉に反応し値踏みするように男を見た。
男の背は高い。カイルより更に頭一つ分ほど身長は上か。そしてその体に身に着けているものは――冒険者にしては軽装過ぎた。
生成りのシャツに麻のズボン。一応靴は動きやすそうなロングブーツだが、所持している中で武器と言えそうなのは腰に帯びたナイフ一本である。
正直斥候系の冒険者でももう少しは防具に気を遣うとしか思えないような簡単な装備。
だが、それが逆にビッチェに警戒心を抱かせ冒険者という選択肢を消させていた。むしろ一般人に紛れ実力を隠し、確実に殺せるときにその力を発揮する――それが暗殺者、その可能性をビッチェは探っていたのだ。
「う~ん、でもこんなところにある洞窟にそんな格好で来るなんて、冒険者にしては無謀だよね~」
しかしカイルの言葉を聞き、ビッチェは自分の目が曇っていたことに気がついた。
そう、この洞窟は断崖の途中にある洞窟だ。そんな場所であれば、リュックの一つも背負っていないこんな格好は常識に溶け込む暗殺者であるなら逆に不自然である。
どうやら色々なことが重なりすぎて少々冷静さに欠けていたようだ、とビッチェは頭を冷やす。
「でもほら、このタグは冒険者であることの証明になるだろ?」
どうやらシャツの中に隠れていたらしい銀色のタグを男は皆に見えるよう持ち上げる。とはいってもまだそれなりに距離は離れているため、多くはタグの形を確認できる程度であろうが。
「……Sランク――」
「ええ、しかも1級ですね」
「へえ、ふたりとも目がいいねえ」
しかしビッチェとナガレにはしっかり見えていたようだ。それに男は関心を示す。
「へ~Sランクなんて凄いねぇ」
「ええ、どうりでこの場所までこれるはずです」
そのランクの高さにカイルとローザが感嘆する。Sランクは5級になるだけでも本来は大変なことである。それが1級ともなれば感心するのも判る気がするが、
「けっ、大したことねぇよ」
しかし、フレムはあまり面白くはなさそうである。
「いえフレム、帝国でのSランクはそれだけで凄いことだと思いますよ」
「え!? で、でも先生に比べれば大したことないですよ! だって先生は特き、いてっ!」
即座にピーチが杖を脇腹にめり込ませた。全くもう! といった表情でフレムを睨む。
フレムは何すんだよ! と目で訴えるが、逆にピーチが威嚇して、忘れたの? とその薄紅色の双眸で圧を掛けた。
それでフレムも思い出したようだが、本来特級冒険者は特別なものであるため秘匿されている。当然今出会ったばかりの前で口にしていいものでもないのである。
「……でも、ナガレの言っている意味も判る。帝国の冒険者制度は特殊。フレムが思い浮かべたような冒険者も帝国にはいない」
「え? どうしてですか?」
ビッチェの答えにローザが不思議そうに尋ねた。なぜなら現在の冒険者制度は冒険者連盟が中心となって確立されている。
どの国でも冒険者という組織に大きな変化が無いのも、冒険者連盟の管理の賜物だ。
「……帝国は多くの冒険者ギルドを参考にしてはいる、でも、冒険者連盟には加盟せず帝国独自のルールも色濃い」
ビッチェの言葉にナガレ以外が目を丸くさせた。しかしナガレはしっかり理解していたようである。
「し、知らなかったわね。でもどこが違うの?」
「……連盟に加入している冒険者ギルドは権力に縛られない。だから王侯貴族であろうと騎士であろうと権力を傘に好き勝手な真似は許されない。これは依頼者であっても、冒険者になる場合でも同じ」
これには全員が頷き納得を示す。そしてだからこそその自由さに憧れ、冒険者の道を目指す者も多かったりする。
「……だけど、連盟に加入していない帝国の冒険者ギルドでは冒険者の立場は決して高くはない。王侯貴族に逆らえば問答無用で処罰されることもあるし、帝国騎士の言うことも絶対」
「なんだそりゃ。聞けば聞くほどとんでもねぇな帝国は」
フレムが吐き捨てるように言った。確かに王国の冒険者ギルドに比べると自由度は低いと言って良いだろう。
「だからこそ、帝国のSランク冒険者というのは珍しいのですよ。帝国の騎士を差し置いて冒険者にそのような称号を与えるなど許さないと圧力を掛けてくる場合が多いようですからね」
ナガレの話を聞き、どこか愉快そうに男が笑いあげ始めた。
「いや全く、本当詳しいね君たちは。でも本当にそのとおりだよ。私もSランクになるのには随分と苦労した」
そういいながら、随分と自然な素振りで男は皆の輪に入ってきた。
「でも、そんな帝国でどうして貴方はSランクになれたの?」
いつの間にか近づいてきていた男だが、特に警戒心を抱くこともなく、ただ気になったことだけをピーチが尋ねる。
男は、そうだね、と顎に手を添え。
「私は私で貴族にコネがあってね。それで道を切り開いてもらった」
「は? なんだよそりゃ。結局コネかよ。実力関係ないじゃねぇか」
面白くなさそうにフレムが言う。しかしピーチは、そんな筈はないだろうと言った目で男を見ていた。
コネだけでSランクになったような男が、ここまで完璧に気配を消せるわけがないしビッチェの一撃をかわせるわけもない。
「そう言われると耳が痛いけど、でも結構苦労したんだよ? 何せコネを利用して、試験という名目で帝国屈指と言われる騎士や団長と立ち会わせてもらって、全員叩きのめしちゃったもんだから、本当後が大変でね~」
あっさりとそんな事を述べ、そしてまた一笑いしてみせる。
「あ、やっぱりまともではない人っぽいわね」
「それは褒め言葉として捉えさせてもらうよ。チャーミングなお嬢さん」
目を細め、わりと失礼なことをあっさり言いのけるピーチであったが、彼は気にする様子もなく、ウィンクして答える。
そしてナガレに身体を向け。
「アルドフだ、帝国騎士を手玉に取るあなたと知り合えて光栄だ、以後お見知りおきを――」
そう言って手を差し出しつつ名乗る男であった――




