第二二〇話 魔獣の森にて
「ハラグライ様、その、御食事をお持ちいたしました」
自室に篭っているハラグライの下へ、メイドが食事を持ってきてくれた。
ドア越しに聞こえる声に、彼は柔和な声で、
『そこへ置いておいてください。自分で中に入れますので』
と返答する。アクドルクに言われハラグライは謹慎という罰を素直に受け止め、自室に閉じこもっている。
「……あの、ハラグライ様は何故、あのようなことを?」
すると、ドア越しのハラグライに向けてメイドが疑問の声を上げた。するとそれから一拍ほどの間をおいて、ハラグライからの返答。
『……私は自分の考えを述べたまでです』
「ですが――」
『すみません、少し一人になりたいので』
何かを言いかけたメイドであったが、再度返ってきたその言葉に何も言えなくなり、失礼いたしました、と述べ、食事の置かれた台だけを残し引き上げていった。
「……いい夜であるな――」
ハラグライはベランダに一人出て夜空を眺めていた。そしてメイドを戻らせた後、そう独りごち、そして視線を下げ、眼下に望める森を見た。
ハラグライの篭もる部屋のベランダからは北の森がよく見える。魔獣の森と畏怖される大森林であるが、上から眺めるその景色は中々に壮観だ。
「……さて、今宵の森は、随分と騒がしいことになりそうですな」
そして――どこか遠くを望むような目でハラグライが再び呟いた。その右手に革製の鞭を握りしめて……。
◇◆◇
『グルルルルゥウウ!』
「こいつら早速お出ましだな!」
「森に入った途端これだなんて流石魔獣の森ね!」
「気をつけろ! こいつら中型種の魔獣だが、ヘルハウンド、大型に負けず劣らずのレベルを誇り、しかも群れで行動する」
「油断すると囲まれますから、気をつけないといけませんね」
ローズの述べたように、魔獣の森に足を踏み入れ、暫くしてから現れたのは、闇に同化するかの如く漆黒の毛並みを有す双頭の魔獣。
その見た目は大型の黒犬といったところだが、闇魔法を使いこなし、闇と同化する事も可能なこの魔獣は下手な大型種よりも遥かに危険で厄介でもある。
「この近くには全部で一〇匹潜んでますね。皆様お気をつけください」
「勿論ナガレの言うとおり、気をつけるけど――でもナガレ、ここには助けるべき相手はいないのよね?」
「……はい、保護対象はもう少し先になります」
「そう、だったらナガレはローザを連れて先に行って! ここは私達で引き受けるから! これはリーダーとしての、判断よ!」
意志の篭った目で杖をしっかりと握りしめピーチがナガレを促す。
そのどこか頼もしくもある真剣な表情にナガレの頬も思わず緩んだ。
「先輩そうこなくちゃな! 先生、俺もここでこいつらを相手します! だからどうかメインの目的地へ!」
「ナガレにいいところを持って行かれそうな気がして癪だが、こっちは数が多いからな!」
「ナガレ様、皆様の言うとおり、ここは私達にお任せを。その代わり、死ぬ必要のない命はどうか助けてあげてください――」
最後にナリヤが口にした言葉にはどこか重みが感じられた。きっと既に亡き妹を思ってのことなのだろう。
「――わかりました。ではここは皆様におまかせいたします。ローザ、宜しいですか?」
「はい! あ、でも皆さん無理はなさらず! 多少の怪我なら後から私が治療いたしますので」
「大丈夫よ私がいるんだから!」
「大丈夫だ俺がいるんだから!」
ほぼ同時に発せられたピーチとフレムの言葉に、思わず微笑むローザである。
そしてナガレも、今のふたりなら、そしてローズとナリヤがいるのであれば、ここは任せても大丈夫だろうと判断する。
「それでは行きますよ――」
「え? ひゃっ!」
ローザのちょっとした悲鳴だけをその場に残し、ナガレは一瞬にして残された面々やヘルハウンドの視界から消え失せてしまった。
当然匂いも音も一切残していない。これではヘルハウンドも追うことは不可能だろう。
「い、今更だけど、やっぱりナガレは凄いわね。でも、こっからは私達の出番よ!」
「勿論だ! どっからでもかかってきやがれ!」
「全部で一〇匹ってことは、一人二匹から三匹ってところか……」
「いえ、一〇対五ですから、一人二匹で丁度割れますよ」
全員がヘルハウンドに向けて身構え始めるが、そこでナリヤが気になることを口にした。
「え? 今ここには四人しかいないけど……」
「おいおい、Aランクの癖に計算も出来ないのかい?」
「いえ、そうではなくて――」
疑問の声を上げるフレムとピーチであったが、ナリヤが瞑目し、かと思えば突如その身が淡い光りに包まれ――
「さぁ、出てきていいわよナリア!」
『はーーーーーーーーい!』
すると、ナリヤの身体からナリヤと瓜二つの何かが飛び出してきた。
ただ、若干影が薄いというか透明感があるというか、そんな雰囲気を感じさせる。
「へ? え、え、えええぇええぇえ! なにこれ! なんでナリヤがふたりいるの!?」
「こ、こいつ! 分身か!」
「そ、そう言われてみると残像ぽいかも……」
三者三様の反応を見せる三人だが、現れたもう一人のナリアが頬をぷくっと膨らませて。
「ひっど~~い! 分身じゃないよ! 私はナリア! ナリヤの妹なんだからね!」
「……へ? い、妹? 妹ってあの、え~と確かその、もう、お亡くなりに……」
「はい、あまりのんびり話している場合でもないですので細かい説明は省きますが、簡単にいえば今のナリアは私の守護霊で、それが実体化したのが今の姿です」
「そう! 今は守護霊のナリア、宜しくね!」
その説明と自己紹介に口がポカーンとなる一行である。ナリアと言えばナリヤの双子の妹であり、過去にナガレの手によって塩漬けにされたりもしたのだが、守護霊を名乗る彼女はなんとも元気そうであり、何より凄く明るい。
だが忘れてはいけない。今は魔獣の群れに囲まれている最中なのである。
『グォオォォオォオオオオオオオ!』
「来ます! 今はとにかく戦闘に集中を! ナリアも出て早々に悪いけどサポートお願い!」
『しょうがないなお姉ちゃんは!』
こうして戦闘が始まった。唸り声を上げながら双頭のヘルハウンドが迫る。ヘルハウンドは地獄の番犬とも称される魔獣であり、その姿を見た者には確実な死が訪れ地獄に引き込まれるとさえ噂される。
「な、何こいつら! 消えたかと思えばすぐに現れて――」
そして予定通り二匹を受け持つピーチであったが、視界から消えては現れるその動きに戸惑いを隠しきれない。
「先輩、こいつは闇と同化する! 目だけで追ってたらこいつらのペースに引き込まれるだけだぜ!」
しかし、少し離れた位置からフレムの声が届く。フレムには索眼がある。故に相手の弱点となる目が炎のように見える。きっとそこから判断したのであろう。
例え相手が闇と同化しようと、フレムは炎を見ることでその軌跡を追えているのだ。
「フレムに出来るのに、先輩の私が情けない姿みせられないわね!」
フレムの助言を頼りに、ピーチは魔力を全身に巡らせ、五感を鋭敏化させていく。魔力による身体能力の強化は、その影響範囲を広げれば広げるほど当然魔力の減りも大きくなる。
だが、ピーチはナガレとの旅の中で更に呼吸法の精度を高め、魔力を圧縮させるこつも掴み始め、その為にその制御力もかなり強まった。
故に魔力による五感の鋭敏化に全身の強化を組み合わせても、ある程度の時間は維持が可能。
そしてその間のピーチのステータスは凡そ一〇倍近くにまで引き上がる。
その上で、杖を巨大な鉄球付きのソレに変化させ――
「どっせぇええぇええぇえええぇえい!」
気勢を上げ闇から闇へと移動するヘルハウンドの移動直後の隙を狙い、魔力によって創造した棘付き鉄球を振り下ろした。
爆裂系の魔法が直撃したかのような轟音が鳴り響き、地面が大きく窪み、鉄球の後を残す。そして地面に埋もれるは全身の骨が砕かれたが如くピクピクとその身を波打たせるヘルハウンドの姿であった。
だがピーチが倒したヘルハウンドは一匹、まだもう一匹が残っている。
そしてその一匹は仲間が死んだことで警戒心を露わにした。距離を離しピーチに向けて咆哮を浴びせる。
ヘルハウンドのスキル、【地獄の咆哮】だ。この声を聞いたものは一瞬にして恐怖に支配されて足が竦み身動きが取れなくなる――筈なのだが、再び重苦しい炸裂音が周囲に鳴り響き、鎖によって伸びた鉄球が咆哮直後のヘルハウンドを圧殺した。
「なんだかよくわからないけど隙だらけよ!」
決めポーズで言い放つピーチである。そう、ピーチにはヘルハウンドの咆哮は通じていなかった。
なぜならピーチは感覚を魔力で強化している。つまりその影響で精神力もかなり強くなっていたということ。それ故に地獄の咆哮と言えど恐怖心を掻き立てることは叶わなかったのである。
「先輩もやるな! だけど俺だって!」
フレムの索眼によって、例え闇に同化して移動していても、ヘルハウンドの体内に宿る炎ははっきりと見えていた。
正直言えば、これは十分目に頼っているとも言えそうなものなのだが、フレムの場合そこから更に野生的勘も働かせているので、本人曰く、目だけには頼っていないということになる。
『ウウウォオオォオオォオオン』
そこへ、ヘルハウンドの空気を激しく揺らす地獄の咆哮。フレムの心に恐怖を引き起こす闇が浸透してくるが――
「うぉおぉおおおおぉおおぉおお!」
ヘルハウンド二匹の身が逆にビクリと竦んだ。意趣返しとも言えるフレムの雄叫びが、逆にヘルハウンドの心を抉ったのである。
「なめんじゃねぇ! 先生の修行に比べたらこんな咆哮、大したもんじゃねぇぜ!」




