第3節:教祖の晩餐(フィースト・オブ・ドグマ)
教団本部の奥深くに位置する「白金の食堂」は、聖都の絶望を塗り潰すような、過剰な芳香と熱気に満ちていた。
「……あな、恐ろしや。この都のどこに、これほど瑞々しい果実と、霜の降りた肉が眠っていたのかしら」
エレーナは、胸元の開いた豪奢なドレスを揺らし、驚きを装った吐息をついた。
彼女の視線の先では、教祖――肥大した腹を金糸の法衣に押し込めた男が、下卑た笑みを浮かべて肉の塊を切り分けている。
「ははは! 聖女殿、驚くことはない。これこそが神の恩寵、我ら選ばれし『導き手』にのみ許された、浄化の果てにある祝祭なのだよ」
教祖が手にした銀のフォークの先には、驚くほど鮮やかな赤身の肉が刺さっている。
それは現代の低温真空調理を魔法で強引に再現したかのように、表面は香ばしく、内側からは肉汁が溢れ出していた。
さらに、テーブルの中央には、ニコが地下道で解析した「浄化配管」を私物化した結果である、水晶のように透明な巨大な氷が鎮座している。
教祖はその氷を砕き、金杯の酒を冷やしながら、アレクへと視線を向けた。
「さて、アレク殿。先ほどの話の続きを聞こうか。聖水を『十倍』に。……その甘美な響きは、神の啓示にも勝る」
「簡単な理屈です、閣下」
アレクは、並べられた贅を尽くした料理に一切手を付けず、手元の手帳を事務的に開いた。
「今の貴方方のやり方は、一度の施しで一度の喜捨を得る『単発の取引』に過ぎない。非効率です。信者を救うのではなく、彼らをこの聖水なしでは生きていけない『永続的な需要家』として固定すべきだ。供給量を増やし、価格を半分に下げる。するとどうなるか。民衆は生活費のすべてを、呼吸するようにこの水へと投じるようになる。一度この仕組みに入れば、彼らは死ぬまで貴方方に富を献上し続ける……。出口のない、完璧な収益の循環です」
アレクの声には、信仰への敬意も、民への慈悲も混じっていない。
ただ、家畜の飼育効率を語るような冷徹さだけがあった。
「素晴らしい! まさに我々は同類だ。民草など、神の庭に茂る雑草に過ぎん。刈り取っても死なぬ程度に水をやり、その種を効率よく回収する……。アレク殿、貴殿のような『賢者』を待っていたのだよ!」
教祖は脂ぎった唇を舐め、アレクの肩を叩こうと手を伸ばしたが、アレクは書類を整理する動作で自然にそれをかわした。
その頃、食堂の壁一枚を隔てた厨房の裏手では、作業着に身を包んだニコとガードナーが、巨大なボイラー設備の点検を装っていた。
「……おいニコ、この熱源、妙だと思わないか」
ガードナーが、石造りの床に耳を当て、低く呟いた。
彼の指先が、壁の向こうにいる護衛たちの足音を正確にカウントしている。
「ああ、気づいてるぜ。……ここのボイラー、燃料の消費量が計算に合わねえ。まさかとは思うが、民衆が熱病で出してる『発熱』を魔力回路で吸い上げて、この調理場の動力に使ってるんじゃないか? 胸糞悪い再利用だぜ」
ニコは工具を回し、配管の接合部をあえて「緩く」締め直した。
ガードナーは、廊下を横切ろうとした若い信徒の視線を、鋭い眼光一つで威圧し、反対方向へ追い払う。
「……お嬢様が中でお上手を言ってる間に、こっちはいつでもこの『贅沢の心臓』を止められるようにしとく。ガードナー、もしもの時は頼むぜ」
「任せろ。あのデブ教祖の喉首を掻っ切るくらい、フォークを使うより簡単だ」
ガードナーは、腰に隠した短剣の感触を確かめ、再び飄々とした「無害な作業員」の顔に戻った。
窓の外からは、夜の冷気とともに、病に喘ぐ民の咳が絶え間なく聞こえてくる。
しかし、この食堂を支配するのは、キンキンに冷えた酒が喉を通る音と、欲望にまみれた教祖の笑い声だけだった。
アレクは、冷めた瞳で教祖を見つめ、心の中で次の「変数」を計算していた。




