表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
70/134

第19話 ル=ヴァンの森⑤

 火が、静かに揺れていた。


 鍋の底で煮える音が、夜の室内に小さく広がる。

 ノアが手際よく鍋を扱うたび、肉の旨味と野菜の甘い匂い、そこへハーブの香りが重なっていく。

 森で張り詰めていた緊張が、その湯気と一緒に少しずつほどけていくようだった。


「……で?」


 バルトが腕を組む。


「何があった」


 ユズハはもう席についていた。

 待ちきれない様子で鍋を覗き込み、けれど説明は面倒くさい、という顔を隠そうともしない。


「森、壊してきた」


「分からん」


 バルトは間髪入れずに返した。


「ちゃんと話せ」


「えー」


 露骨に嫌そうな顔をする。


「ほらノア、説明して」


「丸投げか」


 呆れたようにバルトが言う。

 ノアが口を開きかけた、その時だった。


「あ!」


 ユズハが急に声を上げた。


「そういえば!」


 ぐっと身を乗り出す。


「あたし、殺されかけたんだから!」


「……は?」


 バルトの眉が跳ねた。


「っていうかノア!」


 そのまま、ノアに指を突きつける。


「カッコよかった!」


 ノアはわずかに瞳を揺らした。


「そうですか」


「そうですか、じゃないし!」


 ユズハが勢いよく言う。


「目の前でキンってなったからね!? あれ何!?って普通になるでしょ!」


 バルトが、ゆっくりとノアへ視線を向ける。


「……どういう状況だ」


「矢が飛んできたので」


 ノアは鍋をかき混ぜながら答える。


「弾きました」


「簡単に言うな」


「結果だけ言えば、そうなので」


 あっさりしている。

 その言い方に、ユズハがまた割り込んだ。


「いや、ほんとに速かったから! あたしでも間に合わなかったの!」


 バルトは黙る。

 少しだけ視線を落とし、言葉を選んでから口を開いた。


「ユズハ。殺されかけたと言ったが、多分そうじゃない」


「え?」


「そのシャルルって男は、ノアなら弾くと分かった上で撃った」


「えー。でもさ」


 ユズハが顔をしかめる。

 バルトはそのまま続けた。


「アイアンループは表に出ることを嫌う」


 そこで言葉を切るのではなく、低い声のまま重ねる。


「カルンは知らん。だが、少なくともこの街での奴らは、グレイより黒いことはしていない」


 ユズハは少しだけ考え込んだ。

 言われたことを、その場で頭の中に並べ直す。


「そっか。適合してるってこと?」


「そういうことだな」


 短く返す。


 空気が、少し落ち着く。

 ノアは何も言わない。

 ただ鍋をかき混ぜ、火加減を見ている。


「で?」


 バルトが軽く顎を引く。


「続きだ」


「はーい」


 ユズハが軽く手を上げる。


「森ね、変なの出てきた」


「変なの?」


「アイアンループ」


 一言で済ませる。

 だがバルトは、今度は驚かなかった。


「シャルルって名乗ってた。金髪で、糸目で、ずっと笑ってるやつ」


「武器もくれました」


 ノアが補足する。


「金属製の矢です。精度が高くて、再利用にも向いていました」


 バルトは静かに頷いた。


「……なるほどな」


 小さく呟く。

 それから視線を外した。


 深くは追わない。

 今はそこを掘る場面ではない。

 そう判断したのが、表情だけで分かった。


「出来ました」


 ノアが言う。


 皿に盛る。

 湯気が立つ。

 匂いが一気に広がった。


 ユズハが反射みたいに手を伸ばす。


「いただきま――」


「待て」


 バルトが止める。


「先に食うな」


「えー」


「全員が揃ってからだ」


「いいじゃん、それくらい」


 文句を言いながらも、ちゃんと手を引っ込める。


 ノアが皿を並べる。

 バルトがスプーンを取り、一口食べた。


 止まる。


 もう一口。

 今度は、きちんと味わうように。


「……うまいな」


「でしょ!」


 ユズハがすぐ乗る。


「お前が作ったんじゃねぇだろ」


「食べてるから一緒なの!」


「違う」


 きっぱり返しながらも、口元は少しだけ緩んでいた。


 火が揺れる。

 空気が落ち着く。

 森の話は、そこでようやく一区切りついた。



 食事の熱が、ゆっくりと落ち着いていく。


 火は小さくなり、夜が深まる。

 皿の上も片付き、空気には満腹の緩みが混じっていた。


 ユズハが、ふと思い出したように顔を上げた。


「ねね、ノア」


「はい」


「あれ、何だったの?」


 ノアは少しだけ瞳を揺らす。


「カンって! なったじゃん!」


「カン……? 藁の加工用の短刀のことですか」


「違うって!」


 ユズハが身を乗り出す。


「動き! そっち!」


「あたし、振り返るのがやっとだったんだけど!?」


 ノアは少し考える。

 本当に考えている顔だった。


 しばらくしてから、少しだけ肩をすくめる。


「……その、よく覚えてません」


「は?」


 ユズハが固まる。


「いや、え?」


「気づいたら弾いてた、みたいな」


「なにそれ、普通に怖いんだけど」


 素直な感想だった。


 ノアは困ったように瞳を揺らす。


「すみません」


「謝るとこでもないでしょ!」


 ユズハはそう言いながら、どこか楽しそうでもある。

 呆れているのに、嫌ではない。

 そんな響きが混じっていた。


 その横で、バルトは黙っていた。


 視線は落ちている。

 指先が机を軽く叩く。

 トン、トン、と一定の間隔で。


 ノアが異常。

 それはもう知っている。


 だが、とバルトは思考を重ねる。


 アイアンループを、一人で解体させた。

 ギルドの話では、暁紅蓮隊の二人。

 商人の噂では、「ノア」という化け物。


 そして今の話。


 後者の方が、ずっと矛盾なく繋がる。


 尾ひれはあるだろう。

 話は必ず膨らむ。

 だが、それでも根の部分は変わらない。


 バルトは、ゆっくりと息を吐いた。


「……とんでもないものを拾ってしまったのか?」


 視線を上げる。

 ノアを見る。


 何も変わらない。

 鍋を片付けているだけの青年だ。

 本人が気付いている様子もない。


 過去に何かあったのは、間違いない。

 暁紅蓮隊をランクBにまで押し上げたのも、間違いなくノアの力だ。

 そして、アイアンループの一部を壊滅させ、その一人から命まで狙われた。


 計り知れない。

 だが、偶然で片付けられる段階ではない。


 笑顔でボールを投げる娘。

 そのボールを、まともに頭へ受け続ける少年。

 そんな妙な光景まで思い出して、バルトは眉を寄せる。


 全部が尾ひれ。

 そんなわけがない。


「パパー、さっきから何ぶつぶつ言ってんの?」


 ユズハが不思議そうに覗き込む。


「って、ノア。避けないと、たんこぶだらけになっちゃうよー」


「だから、覚えてないって……」


 ノアが小さく答える。


 火は少し激しく揺れていた。

 その穏やかな光の中でだけ、今日の森がまるで遠い出来事みたいに思えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ