第18話 ル=ヴァンの森④
気配も。
音も。
最初から居なかったみたいに、シャルルは消えた。
森は、わずかな静けさを抱えたまま、すぐにざわめきを取り戻す。
手の中の矢だけが、やけに重い。
「意味分かんないけど……行くよ」
ユズハが言う。
ノアは頷いた。
「うん」
「で、なんでそっち?」
「シャルルさんが指差してました」
「信じるんだ!」
「森の奥から来てましたから」
シャルルではなく、ノアを信じる。
ノアが指した方向へ、そのまま踏み込む。
「なんか納得いかないけどさ」
道沿いではなく、森の奥へ。
音は、相変わらず吸われている。
だが今は違う。
ユズハの翡翠の瞳が、暗がりを捉える。
空間の歪み。
臭いの流れ。
空気の揺らぎ。
「そこっ」
弦が鳴る。
一射。
枝の影に潜んでいたゴブリンアーチャーが、崩れ落ちる。
すぐに次。
矢は迷わない。
一直線に空気を裂き、歪みなく貫く。
金属の軸が、森を切り裂く。
「いいじゃん、これ」
軽く笑う。
そのまま回収する。
歪んでいない。
だから、そのまま使える。
ノアが拾い上げ、軽く触れる。
「……問題ありません。多少の調整も可能です」
「便利すぎなんだけど」
言いながら、また撃つ。
次も。
その次も。
本来なら見えないはずの敵が、はっきりと捉えられている。
射線が読める。
位置が分かる。
撃てば当たる。
当たれば、そこからは飛んでこない。
森の中で、流れは完全に変わっていた。
止まらない。
迷わない。
ノアは、ただ前を指す。
「このまま進みます」
「オッケー」
短いやり取り。
それで十分だった。
やがて。
不意に、矢が止む。
静けさが戻る。
違和感が、空気に混じる。
ユズハの足が止まる。
「……いるね」
前方。
開けた空間。
その中心に、一体。
ゴブリンアーチャー。
だが、明らかに違う。
頭部。
そこに、淡く光る水晶石が埋め込まれている。
周囲には複数の個体。
守るように、取り囲んでいる。
「……あれか」
ユズハが小さく呟く。
ノアが頷いた。
「ボスを倒せば、消えます」
「了解」
それだけで十分だった。
ユズハは踏み出す。
――ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ
一斉に矢が来る。
数は多い。
だが、質は低い。
軌道が甘い。
ばらついている。
ユズハは止まらない。
体を流す。
最小限で避ける。
頬をかすめる風すら、無駄がない。
一直線。
距離を詰める。
「はい、終わり」
弦が鳴る。
一射。
放たれた矢が、空気を裂く。
真っ直ぐに。
水晶へ。
――パキン
乾いた音。
光が砕ける。
わずかな間を置いて。
周囲のゴブリンたちが、同時に崩れ落ちた。
糸が切れたように。
森に風が通る。
音が戻る。
葉が揺れる。
空気が、元の姿に戻っていく。
「……あ、終わった」
ユズハが言う。
弓を下ろす。
ノアが水晶の破片を見る。
その瞳がわずかに揺れた。
「……これがボスでしたね」
「だろうね」
軽く返す。
肩を回してから、森の奥を一度だけ見る。
そして、息を吐く。
「あたしたち、最強じゃん」
「武器がなければ難しかったと思います」
「それくれたの、悪いヤツだからセーフ!」
軽く笑う。
◇
森を抜ける。
空気は、もう歪んでいない。
風が通り、葉が揺れる。
さっきまでの静けさが嘘のように、音が戻っていた。
ユズハが軽く肩を回す。
「……でさ」
足を止める。
振り返る。
手の中のものを、ひらひらと揺らした。
砕けた水晶。
「これ、どうすんの?」
「どうって」
ノアがわずかに首を傾げる。
「あー、違う違う!」
ユズハが指を突きつける。
「こういうのってさ、戦利品ってやつでしょ?」
得意げに言う。
「あたし、ちゃんと学んだし!」
「ですが、依頼には――」
「行くよ!」
食い気味に遮る。
「戦利品は持ち帰るのが基本でしょ!」
そのまま歩き出す。
迷いがない。
ノアは言葉を探す。
だが何も言わず、後を追った。
◇
ギルドの扉を押す。
中へ入る。
いつものざわめき。
ユズハは迷わない。
一直線にカウンターへ向かう。
「すみません!」
勢いよく声をかける。
セレナが顔を上げた。
「……あら」
一瞬だけ目を見開く。
すぐに、いつもの表情へ戻る。
「どうされましたか?」
「森行ってきたんだけど!」
間髪入れず言う。
そのまま、水晶を差し出す。
「これ、戦利品!」
ノアが横で口を開く。
「えっと、依頼にはなかったと思うのですが」
温度差がひどい。
セレナは一瞬、二人を見比べた。
それから、小さく息を吐く。
「……つまりですね」
書類を手に取りながら言う。
「依頼自体は、出ています」
「は?」
ユズハが固まる。
「え、ちょっと待って。今なんて?」
「依頼は存在しています」
淡々と繰り返す。
「ただ、マルシェリアには上位ランクの冒険者しかいませんので」
「……あ」
「下位向けの依頼は、基本的に受理されません」
静かな説明。
その声には、わずかな疲れが滲んでいる。
「……じゃあ、あたしたちが行ったのって」
「はい」
セレナは頷く。
「ちょうど空いていた部分です」
「なにそれ……」
ユズハが頭を押さえる。
セレナは水晶を受け取り、軽く確認する。
「確かに、該当個体の核ですね」
書類を一枚取り出す。
「少ないですが、報奨金も出ています」
「いや、そういう問題じゃなくない?」
ユズハが言う。
ノアは。
「そうですか」
あっさり頷く。
書類を受け取り、確認する。
それだけ。
ユズハはその様子を見て、しばらく固まる。
それから、大きく息を吐いた。
「ノア、ご飯行こ!」
「えっと、僕、お金が」
「いいの! あたしが出す!」




