第19話 境界の世界②
魔法専用の高速船は、音もなく接岸した。
それでも、波はどこまでも静かで、揺れはほとんどない。
目の前には列を為す人々。
整列するでもなく、かといって乱れるでもなく、そのままの足取りで歩き出していた。
同じ方向、同じ速度。カリスは不快そうに眉をひそめる。
「……気持ち悪いな」
ここで足を止める理由はなく、カリスはそのまま桟橋に降りた。
砂を踏む感触が、少し鳥肌を立たせる。
列を為す人間たちは振り返らず、横の人間もこちらを見ようとはしない。
「まじんのか」
「しかたないね」
カリスたちは流れの中に自然に混ざり、歩みを止めなかった。
足音だけが揃っている。
地面を擦る音が、やけに薄く空ろに響いた。
シャルルが、歩きながら静かに口を開く。
「記録も気持ち悪いね」
シャルルの手に複数の紙束。
「過去のデータはこう。目立たないように、目立つこともしてる。ボクみたいなのと、カリス。シルバーチェインのように。でも大きく揺れず、距離は変わらない」
宮殿にばら撒かれていた羊皮紙。
ヒラヒラとさせる。
「そういや、シルバーチェインが一気に増えたけど、お前のやる気が無かったからじゃなかったのか」
二人、肩をすくめる。
「まぁ、実際。ボクとヴァネッサとバルカスは出禁になった」
「かと言って、ウチらに来るかって話か」
最前列はまだ見えない。
その先に待つのが何か、把握しているわけではなかった。
「まさか、あの狸親父が家を空にするなんてね。戦闘記録も放り出してさ。で、誰が何をしたのか、特筆すべき人物もいたけど」
「目立ってる奴がいるんじゃねぇか」
「そうだね。アルファや五彩。騎士団長。それから暁紅蓮と青葉の剣と、それからユズハたち。他にもいくつかいるけど……」
「どっちにしても、有名どころだな。冒険者にいねぇ、ウチでも知ってる」
「そういうこと。結局は一般論に収束。目的は霧に包まれたように分からない」
シャルルの足取りには迷いがない。
カリスの方が、観察する為に少し揺れる。
「因みに、ウチらのことも?」
「あるある。ちゃんと調べられてる。だけど、目立つと目立たないは同居できる」
「抜けてるやつがいて、抜け出れないやつもいる。そういう世界だからな」
「そう」
ひらひらと、羊皮紙が風に乗って流れる。
だが、いくつかはしっかり握られたまま。
「今までは、ね。不思議なことに、その揺れ幅が突然変わった。特定のチームに対しての行動記録が増えていった」
「目立つだろ、それは……」
カリスが顔だけを向けたが、シャルルは前方を見つめたまま言葉を続ける。
「ボクたちが聞かされていたのは、不老不死の研究の為」
「錬金術、魔法石を使って、研究するとか」
「うん。それ自体、雲を掴むような話だけど……」
周囲の群衆は誰も反応せず、まるで二人の会話がこの世に存在しないかのようだった。
カリスは苛立ちを隠さず、短く舌打ちをする。
「で? それがどうしたってんだよ」
シャルルは視線を落とし、少し声を落とした。
「アルファと暁紅蓮チームの資料が新しい羊皮紙にびっしり。冒険者ノアの記録までも、ちゃんとあった」
「ノア。今のあいつは」
「勿論、ユズハたちの記録もかなりある」
カリスは不審げに眉を寄せ、歩幅を合わせた。
「だから何だよ。アルファ、暁紅蓮。ユズハ。あいつらは躍進したチーム。普通に考えれば、目が行くだろ?」
「興味深いのはそこじゃないよ。ノアは、二つのパーティから外れている。アルファと、暁紅蓮」
「らしいな」
シャルルは肩をすくめ、カリスに一枚差し出した。
二つのパーティの記録だ。
「理由は同じ。『戦えない』『足を引っ張る』『守りきれない』。ここまでは、ありふれた話だね」
規則正しく揃う足音。
「ただ、一点だけ違うんだ」
「ふぅん」
カリスが小さく舌を鳴らしたが、シャルルは気に留めず続けた。
「問題は、こっちだね。暁紅蓮の記録。具体的。戦闘力が低く、魔物に執拗に狙われやすい。離脱させた理由……」
カリスが鼻で笑う。
「弱い奴から狙われる。そりゃ道理だ」
シャルルは、僅かに目を細めて首を振る。
「確かに、弱い者は狙われる。魔物も、生物も、人間もね」
二人は母が違う。
だから、育ちが違う。
でも、根っこは近い。二人が気に留めている人間とか
「でも……カリス。ノアって、そんなに弱かったっけ?」
「そんなわけねぇだろ。ウチの顔面、まともに殴ってんだぞ」
「そうだね」
カリスは兄を睨む。
吐き捨てるように言った。
「先ず、アルファは最強だぞ。あいつらが守りきれないなんて、よっぽどだろ」
細められたシャルルの碧眼が、一度閉じられる。
「うん。アルファが言うなら気にも留めない」
「『弱いから守れない。だから外す』。これは合理的だな。アルファはつえぇし」
「でも……」
正確に刻まれる足音。
「暁紅蓮は違う。それに、『狙われる』という事象に理由の一番に掲げてる」
「狙われる……?でも、ノアが弱くねぇのは、ウチが証明できる」
「ボクもだよ」
シャルルは、確信を持って結論を告げた。
「ノアは強さに関係なく、ダクネスの魔物を惹きつけてる」
「そんなこと……在り得るのか」
沈黙が訪れた。
そのまま、二人は歩き続ける。
やがて視界が開けた。
「だからって、何なんだよ」
「不老不死と、何の関係があるんだろうねぇ」
朽ちた女神像。崩れた石材。風化した輪郭。
不気味な人の流れは、すべてその瓦礫の山へと向かっている。
カリスの足が、僅かに緩んだ。
「って……あれ」
視線の先。
一人の少年が布団に入ろうとしていた。
鈍色の髪。鈍色の瞳。
一点を見つめ、迷いなく、ただ眠る。
「ノアだな」
「そうだね」
カリスが目を細める。
「あれは儀式か?……魔物が狙う特性。生贄くらいしか思い浮かばねぇが」
「どっちにしても、だね」
シャルルたちの足が止まった。
そして。弾かれたように、前へと飛び出した。
◇
視界が開けた先、朽ち果てた女神像の直下にその少年はいた。
中央に置かれた、星空をそのまま落とし込んだような漆黒の敷布団。
どこまでも澄み渡る青空を模した掛け布団。
白と黒の装束を纏う不気味な集団の中で、そこだけが色の調和を無視して浮き上がっている。
鈍色の髪をしたノアはそこで、静かに眠りについていた。
周囲を取り囲む群衆は、誰一人として言葉を発さず、彫像のように動かない。
シャルルはその光景を一瞥すると、漆黒の髪を長く伸ばした男へ鋭い視線を向けた。
「……先に聞かせてもらうよ。一か月前の北の黒点。あの爆風は何だ?」
シャルルは僅かに目を細める。
魔法石がアベリオンへ渡った事実は掴んでいた。
採掘場での手際は、あれほど用意周到だった。
だが、あの宣言を境に、あらゆる道理が消え失せ、隠されていた狂気がまろび出ている。
レンは肩をすくめて、軽く言った。
「アベリオンは失敗です。やはり、核となるものが必要でした。……そして今、ある意味で成功しました。不老不死がね」
「な……に?」
白髪の老爺と老婆が立つ。
カリスが二人を睨みつける。
「不老不死? どこをどう見たらそうなんだよ。ここでダクネス現象待ちか? ノアを生贄に捧げたら、錬金術ってのが完成するのかよ」
「相変わらず。錬丹術と覚えてください」
漆黒の髪の男が言葉を紡ぐ。
その傍らで一人の少年が横たわっている。
「どっちも変わんねぇよ!」
カリスが激昂し、碧の瞳を剥く。
ノアは眠っている。
呼吸が深い。底の見えない場所へとゆっくり沈んでいくような感覚。
胸の上下は浅くなり、刻まれるリズムの間隔が伸びていく。
シャルルの目にも、ソレが異様に映っている。
ノアの呼吸はこのままだと止まる。
消えてしまう。――だというのに、魂の糸は繋がっている。
今、その糸は見えない。でも、既視感が襲う。
「ノアをどうするつもりだって聞いてんだよ」
「生……贄……?」
「ですから核ですよ。余所者の私だけでは、到底辿り着けませんでした」
「三人とも、……喧嘩はよせ」
重厚な声。アルマン・ド・ヴァルケンブルグである。
九十を越えた大公であり、シャルルとカリスの祖父。
この老人は、感情を排した冷徹さで言い放った。
「国が一つ滅ぶ程度で済んだのだ。安いものではないか」
若者たちの顔が屈辱に歪む。
「国が?」
「狂ってんのか」
「その言い方はあんまりじゃろう。二人とも、まぁ聞きなさい」
隣で柔和な微笑を崩さない老公は、アルマンの姉。
ルガイア王国の深層に潜む影。
ノクス・マテール戦争の生き字引。
「彼岸と此岸。彼の世と此の世。生と死。夢と現――。境界はそこにただ、存在しておったのじゃ」
——マリー・ド・オルレアン
「この子は辺獄を知っておる」
視線が、布団に横たわるノアへと落ちる。
カリスが僅かに眉を寄せた。
「辺獄?」
「眠りとはなんじゃ?目覚めねば、それは死であろう。死の先に在るのは我らの主」
マリーの声が、僅かに低く沈んだ。
「贄じゃと?この子を儂らが死なす、じゃと? 笑わせるのぉ」
空気が軋むような重圧が走る。
だが、次の瞬間。
何事もなかったかのように柔らかく霧散した。
「すべては、大きな流れの中にある。……さあ、早くその子を連れて帰ってやりなさい」
「は……?連れ帰っていい……って、意味分かんねぇが……」
真意は掴めない。
「ノア、起き……。……この寝顔」
そして、シャルルは辿り着いた。
かつて、キュプロス砦の出来事。
森の中、宙吊りの不気味な影の中で眠っていたノアの姿。
あの時の寝顔が、鮮明に脳裏をよぎる。
ダクネスの魔物に狙われる身でありながら、ダクネスの森で眠れた。
それは——
「……まさか!」
シャルルは弾かれたように駆け寄った。
カリスもシャルルにつられて、死装束には見えない豪華な寝床へと必死に手を伸ばす。
二人の手が少年の肌に触れた。
その瞬間、空間が、時間が、見えない何かが少し、脈動した。
だが、気付けない。
呼応するように睫毛が震え、少年の瞳がゆっくりと開かれる。
「あれ? シャルル……さん? それとえっと。ごめんなさい」
「ウチの顔を見て、いきなり謝ってんじゃないよ!」
「カリス!上を!」
「はぁ?上は壊れた女神ぞ……、って!」
焦点が合うのを待つ間もなく、北の空に絶望的な異変が起きた。
あの日と同じ、巨大な「黒の球体」が虚空に出現する。
今度は音もなく、風さえも起きない無音の威容。
だからこそ、——成功なのだろう。
アルマンは鷹揚に腕を掲げた。
「皆、喜べ」
そして、力強く合図を出した。
それまで沈黙を守っていた群衆から、狂気にも似た歓喜の咆哮が沸き上がった。
「神話の世界の到来だ」




