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第7話 続・キュプロス砦の番人③

 洞窟の深淵を渡る風が吹く。

 土の湿った匂いと、先ほどまでの衝突が残した血の鉄臭い残香が、停滞した空気の中に重く澱んでいた。

 金の髪の男は、唇の端に薄い笑みを刻んだまま、静かにその時を待つ。

 急かすような野暮な真似はしない。

 だが、その双眸の奥に灯る冷徹な光は、一歩たりとも引く気がないことを雄弁に物語っていた。

 対峙する鋭い視線の女は、射抜くような眼差しを崩さない。


「……知らねぇな」


 カリスが短く吐き捨てるように言い切った、その瞬間。

 傍らに控えていた無機質な表情の男が、感情を削ぎ落とした動作で小さく肩をすくめた。


「推測をしたければ、ご勝手に。資料を」


 リシェルの抑揚のない声に応じ、背後のサポーターたちが機械的な正確さで動き出す。

 次々と運ばれてくるのは、膨大な紙の束だ。

 粗末な木箱の上に積み上げられていくそれは、瞬く間に白く巨大な山を形作った。

 しかし、その堆積は決して雑多なものではない。

 項目ごとに、そして時系列ごとに、恐ろしいほどの精密さで分類・整理されている。

 観測役の男はその山から一枚の書面を指先で抜き取り、魔法光の下で無造作に広げてみせた。


 そこに記されていたのは、魔法石の記録ではなかった。

 船。積荷。航路。そして明確に記された目的地。

 木材、鉄、穀物、そして色鮮やかな布。

 ありとあらゆる生活物資が海を伝い、この国の端から端へと滞りなく運ばれている。

 まるで精密機械の歯車のように規則正しく、一切の不備なく記録された物流の軌跡。

 金の髪の男は、その冷徹な秩序の記録に視線を落とした。


 しばしの無言。


 やがて彼は、その内の一枚をひょいと、羽毛を摘まみ上げるような軽やかさで持ち上げた。


「成る程ね。用意周到なことで」


 シャルルは口元を皮肉に歪め、紙をひらひらと蝶のように揺らした。


「全部が完璧に“普通”だね。だからこそ、表向きは何も分からない」


 一拍。視線が上がる。

 カリスと、その傍らで冷たく佇む分析官を順に捉え、手にしていた紙を放した。

 ぱさりと、乾いた音を立てて記録が資料の山へと戻る。


「ここからが本題なんだけどさ。ここの魔法石――どこに運ばれているか、知ってる?」


 再び訪れる沈黙。だが、空気の密度は先ほどまでとは明らかに違っていた。

 肌を粟立たせるような殺気が、影のように音もなく広がっていく。


「……知らねぇな」


 リーダーの女は低く、拒絶の意志を込めて繰り返す。

 だが、それで引き下がるような相手ではないことを、彼女自身が誰よりも理解していた。

 金の髪の男はくすりと、子供の悪戯を愛でるような笑みを漏らした。


「そっか」


 満足したかのように、彼はたったそれだけを口にする。

 だが、決して背は向けない。その場に根を張ったかのように留まり続ける。

 鋭い視線の女は、さらにその翡翠の瞳を険しく細めた。


「……帰らねぇのか」

「せっかく見せてくれたんだし。読まないと損でしょ?」


 あっさりと、そして当然の権利であるかのように言い切る。

 カリスは鼻で笑い、挑発するように言葉を紡いだ。


「……魔法石なんて、どこも必要だろ。ウチらシルバーチェインは、てめぇらよりずっとアイアンループに貢献してんだよ」


 吐き捨てられた言葉に、シャルルの手が止まる。

 ゆっくりと顔を上げたその表情には、捉えどころのない笑みが張り付いていた。


「知ってるよ。現場は大事だ。そこが回らないと、どんな理屈も意味をなさない」


 カリスは動かない。獲物を狙う獣のような姿勢のまま、低く促す。


「言いたいことがあるなら、はっきり言え」

「もう言ってるよ」


 金の髪の男は、吸い込まれるような仕草で、何もない空間へと右手を差し出した。

 一拍。地面がわずかに鳴動し、乾いた砂が盛り上がる。

 飛び出したのは一匹の大ネズミだった。

 だが、その魔物が全容を晒すよりも早く、風を裂く鋭い音が夜の空気を切り裂いた。


 目立たない佇まいの男が放った投げナイフが、寸分の狂いもなく魔物の眉間を貫く。

 大ネズミは声もなく崩れ落ち、再び場には深い静寂が訪れた。

 シャルルは、自らの眼前で起きた死に視線すら動かさない。


「ダクネス現象」

「そうです。だからカリス隊がここに配置されています」


 リシェルが静かに、そして機械的な正確さで言葉を継いだ。

 金の髪の男は、愛しむように指先で地面を軽く叩く。


「闇がダクネスを生む、か」

「えぇ。ここは――」


 言いかけて、分析官の言葉が止まる。

 シャルルが、三日月のように細めた目でわずかに笑ったからだ。


「でもさ。それ以外の“方法”があるとしたら?」


 空気が、物理的な重さを持って凍りついた。

 鋭い視線の女の瞳に、激しい火花が散る。


「……人工的に湧かせてるって、そう言いてぇのか」


 低く、地這うような声音。

 シャルルはただ、優雅に肩をすくめてみせた。否定はしない。それだけで、答えとしては十分だった。



 粗末な木箱を机代わりに、積み上げられた紙の山。

 その前で、金の髪の男と、豪奢な髪の女が目まぐるしい速さで資料を繰っていく。

 めくり、拾い、止まる。そしてまた、澱みのない流れ作業のように次へと移る。


 そして、バルカスは動かない。


 あまりの速さ。だが、そこには一切の看過も無駄もない。

 カリスは腕を組んだまま、その異様な光景を忌々しげに見つめていた。


 シャルルの指が、ある一枚の紙の上で止まった。

 ほんの僅かな硬直。だが、傍らに立つヴァネッサはその変化を逃さず、同様に視線を落とす。

 二人は一瞬、同じ文字列の中に隠された真実を共有した。


「……シャルル、これ」

「ボクたちの遊び場……だった、場所か」


 言い直した金の髪の男の声には、微かな、だが隠しきれない毒が混じっていた。

 リシェルが、怪訝そうに首を傾げる。


「そんな資料は、そこには含まれていないはずですが」

「南に、意図的に流れ出てる」


 シャルルは視線を紙に落としたまま、静かに、そして残酷な確信を持って断言した。

 その口元が、歪な三日月を描く。


「……目立ちたがりが」


 吐き捨てられた言葉に、背後で控えていた黒髪を撫でつけた巨漢が、重厚な口を開いた。


「南に行くのか?」


 バルカスの短く地響きのような問いに、シャルルは軽やかに肩をすくめる。


「いいや。イキってた王とやらが、どうにかするさ。ボクたちはもう少しここで、採掘の見物としゃれ込もうじゃないか」


 一拍。

 彼は視線を横に流し、過激派のリーダーへと極上の微笑を向けた。


「ね、ボクの可愛い妹、カリス?」


 豪奢な髪の女が、冷ややかな同情を込めて肩をすくめる。

 夜の静寂を切り裂くように、鋭い舌打ちが響き渡った。


「……チッ」

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