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第5話 続・キュプロス砦の番人①

 窓から差し込む朝の光の中。

 鈍色の髪をした少年の視線が、紙面の一点で釘付けになった。


「……キュプロス砦」


 唇から漏れた呟きは、ひどく掠れていた。

 隣で翡翠の瞳を輝かせた少女が、不思議そうに首を傾げる。


「なにそれ。知らなーい」

「聞いたことねぇな。有名なのか?」


 茶髪の青年も眉をひそめて同調した。

 広げられた新聞を見つめたまま、ギルド長が静かに口を開く。

 バルトは細いが節くれ立った指先で顎をなで、記憶の糸をたぐり寄せた。


「……商人の間じゃ、あまり良い噂は聞かねぇな。南にある古い要塞だ。アベリオン派は王が潰したはずだが、その余波だろうよ。南部諸侯が、妙にピリついてるって話だ」


 腕を組んだ彼は、短く吐き捨てるように状況を断じた。


「よく分かんないけど、めんどくさそう」

「最初からだろ。……なぁ」


 青年はそこで言葉を切り、疑いと確信の混じった眼差しを隣の少年へと向けた。

 金髪の受付嬢が、静かにその意図を補足するように口を開く。


「……ギルドの記録にもあります。数年前、まだ部隊が少人数だった頃、暁紅蓮隊がそこへ遠征していますね」

「俺もそういえば聞いたな。ノアは行ってた筈だ」


 セレナの視線が、少年へと重なる。

 少年の視線はバルトへも向けられる。


「マジかよ。お前はどうなんだよ。心当たりがあんだろ」


 そしてディルクからの問い。

 少年は僅かに視線を逸らして言葉を濁した。


「……えっと。寝てただけ……?です」

「寝てただけってなんだよ。冒険者だったんだろ! 記憶にねぇってか!」


 青年の眉間に深い皺が刻まれる。

 そこへ、空気を切り裂くように勢いよく扉が開け放たれた。

 鎧の擦れる音を激しく鳴らし、凛々しい風貌の女騎士が飛び込んでくる。


「カタリーナ!?」


 セレナが驚きを露わにその名を呼んだ。

 女騎士は頷きもせず、切迫した声を絞り出す。


「キュプロスの件、聞いてる? 現場が崩れてる。騎士団だけじゃ抑えきれない」

「……崩れてる?」

「いいから来て!」


 茶髪の青年の問いを切り捨て、女騎士は説明を拒むように踵を返した。

 翡翠の瞳の少女が目を瞬かせる。


「え、説明は?」

「来れば分かるわ。早くしなさい!」


 一度も振り向かぬまま、廊下に軍靴の音が響き渡る。

 金髪の女性は手早く新聞を畳んだ。


「行きましょう。バルトさんは……」

「ああ。北部でも多発してるんだろ。俺が番してるから、お前ら行ってこい」

「最初からそのつもりだろ」

「いってくるー」

「……行ってきます」


 少年は丁寧に一礼し、嵐のような急報に導かれるように家を出た。



 久しぶりに足を踏み入れたマルシェリアギルドは、以前の面影を失うほどの騒乱に包まれていた。

 白亜の壁も、高く聳える柱も、豪奢な外観に変わりはない。

 だが、その内部を満たしているのは冒険者の活気ではなく、無骨な鉄鎧が放つ殺伐とした空気だった。


 兵士たちが落ち着きなく行き交い、持ち場を失ったように彷徨っている。

 視線が合えば即座に逸らされ、誰もが余裕を失っているのが見て取れた。

 その異常な静まり返った空気を、鼓膜をつんざくような絶叫が引き裂いた。


「何をしておる!! 耳の穴を穿っておけと言ったはずじゃぞ!!」


 正面から叩きつけられた怒号に、屈強な騎士たちが揃って肩を震わせる。

 誰も口を挟めず、誰も止めることができない。


「金羊毛ギルドに冒険者がおらぬとはどういうことじゃ! これではただの鉄の置物ではないか! 恥を知れ、恥を! わらわの目の届かぬところで怠惰を貪りおって!」


 人波の中心に、杖を猛然と床に叩きつける小柄な老婆がいた。

 背は低い。だが、その背後に幻視する権威の影は、広場を飲み込むほどに巨大だ。

 マリー・ド・オルレアン。

 百年の時を生き、王国の歴史そのものを背負う老女の声は、戦場の咆哮よりも遥かにやかましく、そして容赦なく響き渡る。


「……この通りよ。誰も手が出せないわ」


 女騎士が小さく溜息をついた直後、老婆の鋭すぎる眼光が受付嬢を射抜いた。


「セレナ! どこに行っとったんじゃ、お前さん! この役立たずの鉄屑どもを一人で相手にさせるつもりか! 耳を揃えて言い訳をしてみせよ!」

「……配置が変わりまして。マリー様、落ち着いてください」

「そんなことはどうでもよいわ! ワシの問いに答えぬか! また後れを取るつもりか! 王国始まって以来の不祥事じゃぞ! そもそも、この建物の管理責任は――」


 老婆は杖を振り回し、言い訳を許さぬ言葉の弾幕を、肺活量の限界など知らぬかのように浴びせかける。

 騎士たちの顔は青ざめ、ロビーには彼女の独演会めいた怒鳴り声だけが、壁画を震わせるほどに反響していた。


「良いか!冒険者じゃ。そもそも我が国は冒険者として、礼節と迅速をもって――」


 そこで、老婆の言葉がぴたりと止まった。


 騒々しく動き回っていた視線が、セレナの後ろに佇む少年と少女へと向けられる。

 あれほど充満していた怒気が、凪のようにすっと抜けた。


 老女は細めた目をさらに細め、懐かしむように、そして確かめるように二人を見つめた。


「……久しいのぉ。お主ら」

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