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第4話 南の影

 窓の外から、小鳥の囀りが柔らかな旋律となって流れ込んでいた。


 ユズハとバルトの家はマルシェリアの西端。

 マルシェリアから冒険者ギルドが消えたことで、バルトは商人ギルド長を押し付けられた。

 だから中規模な民家を改装した仮のギルド拠点。

 その周りには、青々とした畑が広がり、朝露に濡れた土の匂いが風に乗って運ばれてくる。

 遠くで家畜が鳴くのどかな気配は、戦火の余韻を忘れさせるほどに穏やかだった。


 心地よい鳥の声に促されるように、茶髪の青年はゆっくりと目を開けた。

 意識が覚醒するにつれ、やけに頭がすっきりしていることに気づく。


「……あー、うるせぇな」


 独り言を漏らしながら、ガバッと勢いよく上体を跳ね起こした。

 荒い吐息が、まだ眠気の残る部屋に響く。


「だー! いつの間にか寝てた!」


 ディルクは、苛立ちをぶつけるように自分の頭を掻きむしった。

 マジで何なんだよ、この寝床は――。

 身体は驚くほどに軽く、力が抜けているのに芯に重い鈍さが残っていない。

 青年は舌打ちしかけて、喉の奥でそれを止めた。


「……意味わかんねぇ」


 低く吐き捨てる独白に、仕切りの向こうから返答が届く。


「おはよ」

「……お前かよ」


 短く返すと、ガチャリと勢いよく扉が開け放たれた。


「男どもー」


 遠慮を一切排除した明るい声が室内に響く。

 翡翠の瞳を輝かせた少女が、当然のような顔で踏み込んできた。

 青年は反射的に跳ね起き、慌てて手近な布を引き寄せる。


「おい! ユズハ姉、ノックくらいしてくれ!」

「全員、商人ギルドに集合! なんか話があるんだってぇ」


 絶叫を意に介さず、えんじ色のポニーテールを揺らして少女は指を突きつけた。

 仕切りの向こうから、鈍色の髪をした少年が姿を現す。


「セレナさん?」

「そうそう。パパ……じゃなくてギルド長もいるって」


 ノアの確認に少女が深く頷くと、室内に僅かな緊張が走った。

 青年は文句を漏らしながらも立ち上がる。

 小鳥の囀りは相変わらず耳に心地よい。

 それが余計に気に食わなかった。


 商人ギルドへと改装された家屋の扉を開けると、そこには仮の拠点特有の雑多な空気が充満していた。

 本来は居間であったろう空間に帳簿が積み上げられ、置き場を失った備品が散漫に並んでいる。

 カウンターが一つ設えられている以外に整っているとは言い難いその光景は、ここがまだ「借り物」の場所であることを物語っていた。


 誰も中央に立とうとはせず、立ち位置は自然とばらける。

 その中で、一人の男が動かず新聞を広げていた。

 バルトの険しい視線は、紙面の一点に釘付けになっている。


「なにそれ」


 少女が横から覗き込んでも、彼は答えない。

 代わりに、細いが節くれ立った指先で紙面を強く叩いた。


 北部。ダクネス現象。被害拡大。アルファの帰還が待たれる。

 断片的な文字が、室内の温度を僅かに引き下げる。


「アルファの帰還が待たれる……。ってかさ!そのアルファって、あたしたち襲ってきた悪いやつじゃん」


 少女が不機嫌そうに口を開くと、少年が顔を上げた。


「アルファは悪くない」

「はぁ? マジで言ってんの? 怒るよ! あたし、殺されかけたんだからね」


 言い切る少年に、少女が距離を詰める。

 翡翠の瞳に、隠しきれない怒りの火が灯った。


「……お祖父ちゃんが言ってた。レオンは凄いって」


 少年の静かな一言に、少女の眉が深く寄せられる。

 一歩踏み込もうとしたその時、苛立ちを隠さぬ声が割り込んだ。


「おい、待て。アルファが襲ったって、どういうことだよ!」


 状況が繋がっていない茶髪の青年が、不機嫌を剥き出しにする。

 少年は言葉を探すように、一瞬だけ視線を泳がせた。


「……その。ユズハを襲ったのは、許してないけど。ごめん」


 短く頭を下げた少年の謝罪が、張り詰めた空気を僅かに緩めた。



 少女はソファに深く体を預け、沈み込むように足を投げ出した。


「って感じ。ま、ノアにとっては大切なお祖父ちゃんだし。もーいーけどー」


 投げるように言うと、青年は乱暴に自分の頭を掻きむしった。


「……そこでもシャルルかよ。どこにでも湧いてくるな、あいつ」

「でしょ。あいつ、なんか裏でゴソゴソやってる感じすんのよね」


 二人のやり取りを背に、ギルド長がようやく新聞から目を離した。

 膝の上で折り畳まれた紙面を重々しく叩き、低い声を絞り出す。


「……北部も厄介だが。南も、動きが鈍い。他の商人仲間の話じゃ、簡単に南には行けなくなってる。検問が増えてる。荷も通りにくい」

「は? 戦でも始まんのかよ」

「そこまではいってねぇ。だが、流れが止まりかけてる。マルシェリアから出る奴も増えてる。このままだと、街が痩せる」

「痩せる?」

「人も金も外に流れるってことだ。それを止めたいってのが、今の商人の本音だな」


 その言葉を待っていたかのように、金髪の女性が静かに頷いた。


「ええ。南部の件ですが、騎士団の方でも似たような話は耳にしています」


 セレナはバルトの手元から新聞を静かに取り上げた。

 紙面の隅に載った小さな記事、その一文に指を止める。


「……キュプロス砦、だったかと」


 指し示された文字は、新たな不穏を予感させるように静止していた。

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