第20話 言えない過去
誰にでも、言いたくないことや言えないことの一つや二つあるだろう。いや生きていくうちにそれは幾つも浮かんでは消えて、いつ間にか積もり積もって人生となり、生きた証となり、時に黒歴史とも呼ばれるのだろう。
僕、『御船和士』にもそういう言いたくないお話はたくさんある。
例えば、料理をするようになった小学生の頃のお話。
覚えたてで、新しくできるようになった事をたくさん試したいという子供心が沸き立つお年頃。表面上の理由は負担を減らしたいという親思いの息子。自ら夜ご飯の準備をお手伝いしたいと申し出て、父親はおかずを作るから僕は味噌汁を作ることになったわけだ。
普通なら具材を切って順番に鍋に入れて、具に熱が通ったら一度火を止めて味噌を溶かして、それで完成。なんてことはない簡単な料理。
ただその時、チャレンジ精神と言えば聞こえの良い行動を僕は取ってしまう。悪く言ってしまえば、素人のアレンジというやつを。
家にある色んな調味料をあれやこれやと入れてしまい、できあがった味噌汁は到底食べられない不味さになってしまった。
なのに、出来あがった味噌汁を捨てることもせず、作った本人である僕ですら食べられない味噌汁を、父親は苦虫でも噛みつぶす苦痛の表情をしながら、それでも必死に全て食べきってくれた。
そして嗜めるよう言ってきた。
「和士。美味しくは無かったが、嬉しかったよ。お前がお父さんのお手伝いをして作ってくれた物なんだからな……」
でたらめに入れた香辛料系の調味料に喉をやられたのか、げっほげっほと咳込みながら、僕の目を見て諭すように続ける。
「けどな、これだけは憶えていてくれ。自分が食べられる物を作りなさい。じゃないとせっかくの材料が無駄になってしまうからな。それだけは、約束してくれるか?」
「……うん、ごめん。お父さん」
「いいんだよ、ありがとうな。ご馳走様でした!」
気を引き締めるようにばんっと大きく手を叩いて合わせ、その日は終わった。辛そうなのにどこか喜んでいる父親の顔を見て、僕はその言葉が戒めとしてずっと脳裏から離れなくなった。この出来事が、料理に対して真面目に向き合うきっかけともなる。
*
「……なんか、ふとした時に思い出しちゃう黒歴史ってあるよね」
スーパーに寄ってお互い買い物をしてから帰ろうとなり、僕たちは二人で調味料が並んでいる棚の前に居た。塩コショウだけでなく、スパイスになる様々な粉末の調味料達がずらりと並ぶ景色を見て、急に思い出した過去に内心冷や汗をかきながら、動揺を紛らわすよう独り言が出てしまう。
「何かから連想してしまって、という話ですか?」
「まさしく、そんな感じです……」
「私も、思い出したくない過去は幾つかありますね」
「えっ、白刃さんでも?」
「でもって。あきと君は私を過大評価し過ぎですよ」
「なんか白刃さんは小さい頃から黒歴史とは無縁そうな気がしているんだけど……」
「考え方次第です。『あんなこともあったから、今があるんだ』と開き直ればただの過去です。けどそうやって考えてもどうにもならない物を黒歴史なんて言うのでしょうね」
「僕、黒歴史だらけだよ。というかこの一か月で結構量産された気もするなぁ……」
「でも思い出って良い物ですよ。ちょっと恥ずかしくなるような出来事でも、思い出せるものってそれだけで価値があったりします」
「そういうものかなぁ……」
まぁ……そう考えたら確かに、あの失敗があったから料理は道を外れ過ぎずにできるようになったわけだし。
けどここ最近の黒歴史たちは、ちょっとどう言い訳しようか悩むなぁ……。主に白刃さんと居る時にやらかしてしまった言動が。
「買い物はこれぐらいでしょうか。あきと君は?」
「食材はほとんど足りてるから、ティッシュとか日用品だけかな。ちょっと取りに行ってくるから、白刃さんは先にお会計してきていいよ」
「分かりました、ではレジの先で待ってますね」
「うん、了解」
シャンプーとかも買って、あとは洗剤も詰め替えを買っておこう。箱ティッシュもあるし、歩いて持って帰るから買える量はそれぐらいが限度かな。
両手で持ちきることのできる荷物量の配分を計算して、カゴに入れてレジに持って行く。ポイントカードも提示して、会員割引も忘れずに。細々とした節約で何か趣味の物が買えるなら、全然悪くない手間だ。
会計を済ませ、サッカー台にカゴを持って行くと先に待っていた白刃さんが近づいて来て、何も言わず袋詰めを手伝ってくれた。
「あ、ありがとう……」
「いえ、どういたしまして」
テキパキと、それでいて丁寧な袋詰めはまるで店員さんのようだった。
「白刃さんって何でもできるんだね」
「だから、あきと君は私を過大評価し過ぎなんですよ。惚れますよ?」
「えっ、なんか今、変な逆ギレされませんでした?」
「ぷんすか」
「擬声語って口に出して言うセリフじゃないから、場面を表現する言葉だから」
「怒りを押し殺しながら女はそれでも顔には出さず言葉で伝えた」
「それ、地の文。それも口に出さないから」
「だめですよあきと君。あなたは新しい道を作り上げるほどビッグな男なんですから今までのセオリーに屈服してはいけません」
「新しい領域を開拓しろってことですか。白刃さんこそ僕にちょっと期待の目を向け過ぎなんじゃない?」
「女の勘は当たるんですよ?」
「男の僕には分からない感覚ですね……」
隣に見える白刃さんの口元はいつも通りで本当に怒っているのかは読めない。目を見ようとしても、前髪で目が隠れていて何を思っているのか感情までは覗けない。
だからぐいっと身体を傾き寄せて、彼女の目を覗こうとしたら
「こら」
と、子供に優しくたしなめるような声を僕に向けながら、彼女は片手を目の前に広げて、視線が届かないようにされた。
「……どうされましたか白刃さん」
「目を見て判断しようとしてきたのは分かっていました。これが勘です」
「恐ろしい勘ですね。じゃあ僕は男の持つ物で対応しても良いってことですか」
「ちょっと、力ずくで手を引きはがそうとしないでください。早く帰りますよ」
ぐぐぐとお互いの手を絡めて押し合う。僕はその手で隠されている彼女の目を見ようとして、なのに全然押せなかった。単純なパワーの強さではなく、僕が入れる力に対して反作用の原理で手を動かし、視線が全く目に届かない。
「黒歴史は黒歴史じゃないと打ち消せないんです! 白刃さんの黒歴史で僕の今日の負債をチャラにしてやるんです!」
「私のあられもない姿を見たことがあるでしょう、それでトントンにして下さい」
「あの程度じゃ足りません!」
「あの程度ですって……!? すごいですあきと君、あなたはどこまで行ってしまえば満足できるのでしょう。私で満足させてあげられるのでしょうか……!」
「なんだか変な期待をされてるのは分かったけども、あなたの綺麗な目を見れば僕は今満足できるんですよ!」
「たらしで押し通そうなんて甘々の甘党ですよ。二人きりであってもそんな安直な手に頼ってはいけません」
ぐぬぬ。やっぱり簡単には押し崩せない人だっ!
しかしここはスーパーで、レジ周りはいつだって店員さんもお客さんも、人はいるわけで。僕らのやり取りを見ていた人達につい気が向いてしまって、うら若き男女を微笑ましく見る様な視線をくらう。
「あ、あの……白刃さん」
「はい。帰りましょうね」
「僕の言おうとしたこと取らないでよ!」
「私は目を見ずともあなたの考えている事は分かりますよ」
「それってすごくない!? 何でなんの情報も無しにそんなこと分かるの!?」
「勘です」
「よく当たる勘ですねぇ!」
すたすたと買った荷物を持って前を歩いていく白刃さんに、何とか付いていくのが精一杯の精神状態だった。なんでこうも僕の黒歴史を作るのがお上手なんですかあなたは!




