第19話 春うらら
チリンチリンとドアベルが鳴り響き、僕らの退店を知らせる。退店前のお会計が無く、スムーズにお店を出て開口一番、白刃さんは気分良さそうに言う。
「本当、来れて良かったですね。また来ましょう」
「白刃さん……今度はああならないようにしますので、何卒どうか!」
トイレに行ってた隙にお会計だなんて、気が利きすぎて彼女が女の子であることを忘れかける。男だったとしても中々にイケメンな振る舞いであることは確かだ。
「というか幾らだった? 半分出すよ!」
「ええと、幾らだったでしょうかね〜」
「上の空だねぇ! レシート、レシートはあったでしょ?」
「ポイしちゃいました」
「茶目っ気フルスロットルで言ってもごまかされないよ! 持っているでしょ!」
焦りや申し訳なさが自分のなかでいっぱいになり、彼女の前に立つ。行き道を塞ぐように。
「あきと君、ではこうしませんか?」
「……何でしょう」
「また今度来た時は、貴方にお願いしようかと思います」
楽しみにしてますねと微笑みながら告げて、そのまま彼女は僕の横を通り過ぎて前を歩きはじめる。
また今度。その言葉を聞いて引け目を感じていた僕の心中は塗り替わる。
次を期待して良いんだと。嬉しさや喜びが罪悪感をほんの少しだけ上回り、僕は白刃さんの背中に追いついて横に並び、言い放つ。
「分かった、次はこの僕に任せてよ」
「はい、その時が待ち遠しいです」
「今度はハンバーガーとか、ケーキも頼んでみたいよね」
「ケーキ、良いですね。モンブランやガトーショコラが美味しそうでした」
「あ、ガトーショコラ良いよね。というか感想聞くの忘れていたんだけど、結構前にあげたあのガトーショコラはお口に合った?」
「とっても美味しかったですよ。毎日食べたいです」
「そ、そっか。いやまぁ毎食よりマシだと思うけど」
飽きないですかそれ。というか味噌汁なら分かるけどケーキを毎日って、意外とお菓子好きなんですか。女の子らしいですね。
諸々のツッコミが一瞬追いつかなかったのは、彼女の目が何故か遠くを見ているのに気付いたからだった。
追って僕も視線の先を見ると、そこは河川敷であった。
彼女はそこへ目を向けたまま、思い返すよう静かに話す。
「晴れている日はアマリリスでお茶をした後、あの河川敷で遊んでいました。街並みは色々綺麗になっていましたが、こういった自然環境はずっと変わってないですね」
郷愁と表現するほど大袈裟ではなくても、懐かしさに浸っているようだ。
お昼ご飯を食べて、お腹いっぱいになっているから走り回って遊ぶという気分でも無い。だからのんびり過ごすのは、悪くない。
「この辺り、ちょっと見て行く?」
「あきと君は時間大丈夫ですか?」
「大丈夫、今日は暇だから」
なんなら明日明後日も暇なんですけどね。皮肉は口に出さず心にしまっておく。
「では、少しだけ私のお散歩に」
「うん、もちろん付き合うよ。僕の方にも付き合ってくれたお礼として」
お互いの目的が前半と後半で丁度分かれている。良いバランスしてるよ。実際白刃さんは、ここまで計算済みなんだろうなと勝手に思う。
ぽかぽかとした春の陽気と若い緑の香りに包まれ、風も弱く過ごしやすい午後であった。連休初日の楽しそうな空気感が、近くで遊んでいる小さな子供たちを見ても感じられる。休日特有のゆっくりとした時間の進み方は、心にもゆとりをもたらしてくれていた。
河川敷近くを少しだけ歩いた後、三人ほど座れる横長のベンチに間隔を空けて僕らは座る。
会話らしい会話はあまりせずに、けれどそれは気まずいわけではなくお互いが今の温かい空気をうんと味わっているのを分かっていたから。
河がある方角を向いて座りながら、空を見ていた。青空の中にぽつぽつとある雲が、ずっとそこに居るかのように留まっている。流れてすらいないように見える悠々とした雲が目に映り、心に響く。ああ、今休日を過ごしているなぁと。
「こんな休みの過ごし方も良いですよね」
「良いよね。休みの日って遊ばないと損って思う時もあるけど、長い連休の一日ぐらいはこういうのもありだね」
「普段は何をして遊んでいますか?」
「何だろう、多いのは読書かなぁ。白刃さんは?」
「私は、絵をよく描いてますね。その次に料理でしょうか」
「絵かぁ。聞いてみたかったんだけど、どういう絵を描くの? 絵画系?」
「そっちも描きますが、多いのはイラスト系でしょうか」
「へぇ、イラストか。デジタルでも描く感じ?」
「そうですね、家ではほとんどデジタルです。アナログでも描きますが、どうしても慣れている方で描きがちですね」
なるほど、ハイブリッドタイプだ。
「あれ、そういえばうちの学校ってイラスト部とかもあったよね。あっちには行かなかったんだ?」
「一応見学には行きました。その上で普段自分が学べないような分野を学ぼうと思って、美術部の方に行きました」
「そっかぁ、偉いなぁ」
僕なら自分の好みでそのまま冒険せず読書部に入っていた気もする。悩んでいた僕に彼女がアドバイスをくれなければ、家庭科部を選ぶことも無かったんじゃないだろうか。
もしそうなら、カズと仲良くなることも白刃さんと料理を作りあうことも出来なかったかもしれない。運命とは違うけれど、きっかけをもたらしてくれたのが彼女であることは間違いなかった。
「読書が好きと言ってましたが、どんな本をよく読んでいるのでしょう」
「うーん色々読むけど小説が多いかな。漫画も読むしあとは……えっと、こう言って伝わるかどうかなんだけどイラスト本も多いね」
「ああ、分かりますよイラスト本。私も色々持ってます」
「えっ。あっでもそうか、絵を描くわけだから」
「そうですね、参考になりますので重宝しています。特に好きな絵柄の人の本は逃さないようにといつも気を張っています」
「ま、まさかなんだけどもしかして白刃さんって。そっちもいけるクチですか……!?」
「あきと君」
「あっ、はい」
いつも真顔だけど、今は気迫も真剣な白刃さんは僕の名前を呼びながらこちらに向き直る。がっちり目を見られ、というよりいっそ睨まれているレベルの眼力が僕を襲い、怯えて竦む。
「認識の齟齬が生まれかねないので今一度お互いの解釈を照らし合わせましょうか」
「は、はいっ……!」
「そっちというのは、どこまでを指していますか?」
「えっ? えっと、なんと言いますか……ちょっと……こう……青少年にはあまりよろしくないと言われるようなそれというか……」
「よろしくないというのは、犯罪系でですか?」
「そ、それもありますけど……」
「も、ということはそれ以外も頭の中に浮かんでいるのでしょうか? その浮かんでいる考えを具体的に教えてもらえますか?」
「具体的にっ!?」
「ええ、事細かに正確に言語化して頂ければと」
お、女の子が言うならまだしも男に言わせて何が面白い!? いや何も面白くないよ! 恥じらう乙女ならまだしも恥じらう野郎なんてどこに需要があるの!?
「あ、あのですね白刃さん……」
「はい、どうしました?」
「お、男が女の子にこういう話を振ってしまうのは少しだけ野暮と言いますか、そういう領域のお話なので……!」
「気にしませんよ。私は理解ある方なので」
「待ってください。いや待ってよ。分かってるよね白刃さん、それもう分かってて言ってますよね」
「あきと君の趣味がたとえ常人には理解できず果てしない世界であったとしても私は追いついてみせると言い切っておきます」
「待って、待って。僕がえぐい性癖持ってる前提で話を進めていますね!? 違いますからね! 言いづらいのってそういう理由じゃないからっ!?」
「ああ、どうやら未知の果てでしょう。あなたの世界は」
「なんかのキャッチコピーみたいなセリフだけど話してる内容くっだらないから!?」
「道を行き過ぎると外れてしまいがちですが、そこにも道はまたできるのです。だから諦めてはいけません」
「分かったよ! 一周回って僕がとんでもなく理解しがたい趣味を持っていると仮定しますよ! けど持っている本は比較的健全だから! 市場に出回って日の目を浴びて少し日焼けできるぐらいの陽の本だから!」
「ふむ、持っているイラスト本も公式から出版されている本であるという認識でよろしいでしょうか」
「そういう感じです! はい! 間違ってもエッチな本などはありません!」
しんとした空気が辺りを包む。白熱した勢いがそのまま声も大きくしてしまい、発したセリフは近くで遊んでいた子供らや、散歩しているご老人にも聞かれてしまう。くすくすと笑われたのが見えて、僕は縮こまる。
「うっ……うう……汚しちゃった、汚された……。もうお婿にいけません……」
「お嫁さんをもらう必要がありますね」
「僕なんかと一緒の人生やってたら絶対怪我しちゃうからダメだよ……」
「まぁそんな人生も楽しいと言ってくれる人が居るかもしれませんよ。ほら泣かないで、ハンカチどうぞ」
「ありがとう……洗ってお返しします……」
「捨ててもらって大丈夫ですよ」
「そうですよね、男の使ったハンカチなんてもう持ちたくないですよね……」
「オマージュの在り方は『元ネタに対しての敬意や尊敬』で、パロディは『茶化して楽しむ』だそうです。私の今の行動は丁度半分半分なのでオマパロぐらいですね」
「ああ、楽しんで少しでも笑顔でいてくれるようなら何よりです……」
「大丈夫ですよあきと君、私もエッチな本は持っていませんから」
「いや、美銀ちゃんそれは何の擁護にもなっていないですから。僕の傷をほじくり返して海水でもかけようとしていますね」
「一番塩分濃度が高いのは『死海』ですが、一番低いのは『北極海』らしいですね。どっちをかけてほしいかと選ばされるなら私は後者を選びましょう」
「分かってきたよ、あなたのジョークセンスが。塩の濃さで見ると痛くは無いけど北極特有のめっちゃ冷たい水でクールダウンをさせてあげるという事だね」
「冗談を事細かに解説されると少し恥ずかしいです」
「お返しです」
「茶目っ気ありますね」
「それほどでもないよ!」
ああ、まったく。
茶目っ気あるのはどっちだか。ホント、白刃さんとのおしゃべりは。
目まぐるしくて、刺激的で、楽しいよ。