4話 王子様の指針
私の名は、レムロード・リオン・マーレ・ラメール。この国の王太子である。
16歳の誕生日に国王陛下より、海軍の名誉副提督を任命された。が、これはお飾りの役職だ。因みに父である国王陛下が名誉提督なので、王家の人間に与えられた形だけのものだ。何しろ私も父も海軍のことは、何一つ判っていないのだから。
私の名には国名となっている───「マーレ・ラメール(海の意がある古語)」と入っていることからも判るが、この国は海とかなり密接な関係にあった。その為の役職ともいえる。
そんな私には、最愛の婚約者がいる。コライユ・デルフィーン公爵令嬢だ。コーラルピンクの巻き毛で、赤味の強い紫色の瞳の可愛らしい女の子。もちろん、相愛の婚約者だ。
歳は私よりも一つ年下の15歳───ということになっている。
何しろ彼女は元人魚姫で、実際の年齢は私よりも遥かに年上の150歳なのだ。
コライユが元人魚であることは、私の両親とコライユの養父となったデルフィーン公爵、海軍のアバローン提督などの一部の要職に就いている貴族しか知らない。もちろん本当の年齢を知っているのは、私だけだ。
説明が面倒だったので、コライユが声を失っている間に15歳ということにしておいた。
コライユと婚約する直前まで、私には国王陛下が気に入った婚約者候補がいた。ルキャナ・ランプロア嬢だ。確か貴族の娘だったはずだが───男爵だっただろうか。
ランプロア嬢は現在、「岬の収容所」と呼ばれる海水を引いた監獄に収監されている。
私を海で助けたと嘘を吐き、王城で───ましてや国王陛下の御前で、短剣を鞘から抜いた罪で投獄されている。
本来ならば当然、死罪である。しかし、彼女は手にしていた短剣の呪いによってその姿は魚人となり果てていた。すでに人語は解さず、一日の大半を海水に浸かって過ごすだけの存在だ。この姿を処刑という形で世間に知らせることはできないので、この監獄で終身刑の罰を受けることとなった。
さて、私とコライユの出逢いだが───
浜辺で倒れていた少女を私が拾い、コライユの名を与えて保護したことから始まった。
と先日まで思い込んでいたのだが、実は誕生日の夜に船から海に落ちた私を助けてくれたのがコライユだったのだ。嵐の中の海を泳ぎきり、私をパルルド海岸まで運ぶことができたのはもちろんコライユが人魚だったからである。
コライユが描いた「まんが」というものは今まで見たこともないような画風であり、不思議な文字がたくさん書きこまれていた。しかし、コライユの描く絵は一枚の紙の中でも細かく分かれて描かれていて、不思議と動きがあるように感じられ文字が理解できなくても何のことが描かれているのかはすぐに解った。
この数枚の絵を見た言語学者は、コライユの使う文字は4種類ほどが確認できると分析をしていた。
───人魚の世界では、このような複雑な文化があるのだろうか?
初めてその「まんが」を見た時の衝撃は忘れられない。そして、瞬時に理解したのだ。
「私を助けてくれたのはこの人魚なのだ」と。
それを絵にして書き興せるのは、その場にいた者だけ───私を助けてくれた人魚だけだとも思った。
コライユは大量の水を飲み意識を失っていた私に、「人工呼吸」をして助けてくれた。
海軍に所属している者や、海で漁などをして生計を立てている者なら当然知っているはずの人命救助の方法の一つである。
コライユの描いた絵には、その場面がしっかりと描かれていたのだ
何故人魚だったコライユが知っていたのかは解らないが、この方法を貴族の令嬢が知っているわけがないのだ。
私を海から引き上げたと言ってはいたがその後駆けつけた兵の話によると、ランプロア嬢のドレスは水にも濡れておらず砂もまったく付いていなかったというのでおかしいと思っていたのだ。
数日後に礼のためにと城に招いたのだが、この時ランプロア嬢は国王陛下に取り入った。
父上は、彼女を私の婚約者候補にしてしまったのだ。
しかし、どうしても私は彼女を好ましく思うことができなかった。
意識がある状態でランプロア嬢と会ったのはこの時が初めてなのだが、この時から彼女の馴れ馴れしい態度と媚びるような甘えた声が好きになれないのだ。
私のコライユは足が悪いため、いつも邪魔にされていたらしい。コライユの担当になった侍女からの報告に私は強い怒りを感じていた。足を引っ掛けるなどということもしていたらしいのだが、これは現場を押さえなくてはならなかった。だが、彼女はいつもそれを上手く隠れてやってしまうのだ。
国王陛下がどうしてもランプロア嬢を私の妻にと言うのであれば、王太子である私に拒否権はない。
仕方なく会うことにしていた。
もっともランプロア嬢は、母上にも気に入られてはいなかった。
その為、母上は私に意外な提案をしてきたのだ。
「あの男爵家の令嬢は、形だけの正妃になさい。それから、コライユちゃんを第二妃にすればいいわ」
母上は、ランプロア嬢の名前すら覚える気がなかったらしい。
反対にコライユのことは、すごく気に入っていた。
声の出せないコライユとも、何やら無言の会話をされて楽しんでいるようにも見えた。
コライユの表情の変化は面白いらしい。
───私としては面白くない。
私はそんなに多くのコライユの表情をまだ知らない。
これからの楽しみが増えたと思えばいい。
しかし、だからと言って息子に「第二妃」を薦めるとは。
「私だって、将来は孫をこの手に抱きたいのです。でも、貴方はあの令嬢を好いてはいない。陛下のおっしゃる通りに正妃として迎えても、おそらく子供ができることはないでしょう?
それなら、貴方の大好きなコライユちゃんを本当の妻に迎えた方が良いと思うの」
確かにそうかもしれませんが、そうはっきりと言われてしまうと私の立場がないではないですか。
国王と王妃は、恋愛結婚で仲が良い───筈なのだが、父上があの娘を私の婚約者候補に推してきた辺りから静かに喧嘩をしているらしい。
静かに───というのは、母上が父上と口をきかないからである。
聞いた話だが、今まで父上の寝室で一緒に寝ていた母上が、続き部屋である自分の寝室で寝ているらしい。そして、その王妃の寝室側に家具を移動させて、父上が入ってこられないようにしているのだという。
これは17年間の夫婦生活の中で、私の誕生前後の数日間以来の珍事であるらしい。
───新婚夫婦の喧嘩のように見えてしまうのは、気のせいだと思いたいのですが?
「それでね。コライユちゃんをデルフィーン公爵の養女にしてもらうのはどうかしら?
公爵令嬢が第二妃というのは前例がない訳でもないし、正妃よりも第二妃の身分が高いのは後々都合が良いもの」
王族は複数の妻───「妃」や「側室」「愛妾」を持てるが、実際にはこの何代かの王は正妃しか娶っていない。
たとえ合法ではあっても、私が数代振りに第二妃を持つ王太子というのは───気分の良いものではない。
本当は、コライユだけを妃に迎えたいのだ。
「先日、王妃主宰のお茶会をしたのですけど」
ええ、存じております。
コライユを出席させていましたよね?私に内緒で。
コライユ考案の菓子を振舞って、大盛況だったと伺っておりますよ。
出席を許されなかったランプロア嬢が、悔しがっていたと報告も受けています。
「アンジュも、コライユちゃんを気に入って下さったわ」
「アンジュ」というのは、今お話に出ていたデルフィーン公爵夫人のことですね。
母上の親友でもありますよね。
私の知らないところで、どんどんと話が進んでいっている。
しかし、確認をしておかなくてはならないことがある。
「コライユの足のことは気になりませんか?」
コライユは自由に歩くことができない。そのことで妃としての責務を果たせないことがあるかも知れないのだ。
そう告げると母上は、悲しげな表情を浮かべた。
「可哀想だわ。治せるものなら治療を受けさせてあげたいけれど……」
コライユの足は、どんな医者に診せても「原因不明」との診断しか出なかったのである。
「『妃』として───気にはなりませんか?」
公式の場に立つことができず、欠席せざるを得ない状況がくるかもしれない。
「そうね……身体の弱い私でも務まっているのだから、なんとかなるわ。それよりもきちんと夫に愛されている方が良いと思うの───陛下も私のためにはがんばってくださっているでしょう?」
確かに父上は、母上のためになら多少無茶なこともやり遂げる。
その何割かでも後取り息子に気を配ってもらえれば、ランプロア嬢の甘言に踊らされることもなかったと思うのだが。
結果として現在は、その最愛の妻に無視され寝室まで別にされている。
しかし───そろそろそんな父上が可哀想になって、母上は許してしまうのでしょうけどね。
「初代の王妃様も足が悪かったのは知っているわね?」
「はい」
初代国王の王妃・コーラル様も足が悪かったらしい。もちろん公式の記録には、そのことは書かれてはいない。しかし王家の記録には、初代の国王がいつも王妃を抱えて歩いていたと記されている箇所があるのだ。
王と王妃が亡くなった際に作成される遺品目録。ここに記録されているコーラル様の所持していた靴の数が非常に少なすぎるのである。
靴がお嫌いだったという説もある。
城の広間に飾られている肖像画の中のコーラル様は、コーラルピンクの髪を持つ可愛らしい女性だった。
コライユが同じような髪色だったので、あやかって「珊瑚」の名をつけたのだ。
そういえばコーラル様も出自が不明で、「海から来た」という逸話もあった。これはおそらく初代王の神格化を狙って、伝説めいた話をつけたせいだろう───そう思っていた。
城下では「建国の王は、海神の娘の一人を妻にもらって王妃にした」そんな子供向けのお伽噺もあると聞いていた。
「それでもコーラル様は色々な人から愛され、慕われていらしたわ。何百年も経った今でも『人魚姫』として、お伽噺にもなっていらっしゃるのよ。『王妃の資質』がどういったものなのか、私たち歴代のお手本となられる方ね」
確かに妻を愛し、その妻が安心して幸せに暮らせる国政を行なうのも、王としての指針の一つとしては間違いないのかもしれない。
その上、王妃は国民から熱烈に愛されている。
これはランプロア嬢では、逆立ちをしても無理そうだった。
それに───常にコライユを側に置いておけるのは悪くない。いや、むしろどこに行くにも抱えて行けるなんて良いことではないか。
コライユは羽根のように軽いので、一日中抱いていても苦にはならない。
それに私のコライユへの愛の方が、彼女の体重よりも遥かに重い自信がある。
───いや……いくらコライユの体重が軽いからといっても、私の愛まで軽いと思われるのは心外である。
長くなってしまいそうなので分けました。
次回も殿下目線です。
コライユの書く文字は「漢字」「ひらがな」「カタカナ」「アルファベット」です。