3話 人魚姫の安寧
ある日突然現れて、王子に拾われた出自の判らぬ娘がまた突然消えてしまった。そして娘は、今まで誰も見た事のない不思議な絵を数枚描き残していた。
一応───これは私が消え去った後の、あまりよろしくない状態を想定した後日譚になるはずだった。
できれば私が泡になった時に、今まで描いていた原稿は一緒に風に乗って大海原に消えてしまうのがベスト。
レムロード殿下の目に止まってしまうのは、まぁ想定内。
だって上手い具合に風が吹かないまま、私が泡になって消えてしまったら───原稿はその場所に残ってしまうから。
漫画の絵がこの世界の絵柄とは全く違っているのは、当然のこと。
不思議に思われた殿下が誰かに見せてしまうのは仕方がない。できれば殿下だけご覧になるのが良いのですが。
でも、それらはみんな私がいなくなった後の出来事だと思っていたのに!
アバローン提督は手にしていた私の原稿を皆さんの前に広げて、ゆっくりと左右に見せつけるようにして動かした。
───嗚呼、公開処刑ですか?
いきなりペン入れなのですよ。あたりもパースも取れていないし、トレース台もないので色々とデッサンに問題があるので人様にお見せ出来るレベルではないのです。
「これはコライユ嬢が描かれた、あの嵐の夜のレムロード殿下のご様子です。
ここで注目すべき点は、当日の殿下の上着と身に付けていらっしゃる勲章と剣なのです。
ちなみに殿下は白と青の軍服を用意しランプロア嬢に質問をされましたが、実は当日の殿下のお召し物は軍服ではございませんでしたのでどちらを選ばれても不正解でした。まず、この時点でランプロア嬢の嘘が露呈いたしました。実際はコライユ嬢の描かれた通り、スタンドカラーの上着でございました」
白黒の絵なのでカラーでお見せできなくて残念です。むしろ無念です。
そして私は瞬間的に見た物を記憶して、絵に興すことは割と得意な作業なのです。
「そして、ここに描かれている殿下の勲章のデザインですが───勲章を制作した鍛冶職人のエトリーユに確認いたしました。
エトリーユも『これは実際に見たことがある者の手によって描かれた絵だ』と申しておりましたし、彼の者の工房に保管されていた絵図とも比較いたしましたが───」
「たまたま似ていただけでしょう?完全に一致した訳ではないのでしょう?」
提督の言葉を遮って、ルキャナ様が大声を上げた。
貴族のご令嬢らしからぬ、感情を露にしたヒステリックな声だった。
「往生際が悪いね」
呟いたのはレムロード殿下だった。
しかしこれ以上ルキャナ様に関わるつもりはないご様子で、彼女には視線すら向けることはなかった。
「───嫌よ!認めないわ!!
なんなのその娘……人魚だかなんだか知らないけれど、大人しく泡になって消えてしまえばいいのよ!」
え……なんで、それを?
ルキャナ様は、目を吊り上げて私を憎々しげに睨んできた。
眼光が鋭すぎて───何か目からビームのようなものが出てきそうで怖いです。
いえいえ……何で私が人魚だと?
先程、アバローン提督が見せたのは正装姿の殿下の絵だけだった。人魚の姿の私は登場していない。
「レムロード様、その娘は異形の者です!人間ではございませんのよ!その娘を膝の上に抱きあげるなど、王子のすることではございませんわ!!」
彼女の甲高い声は、殿下に向けられた。
「それがどうした?
我が国は、海の国だ。古より、海の神の加護によって栄えてきたということは国民の誰でもが知っていること」
それは、お父様もおっしゃっていた。
何百年も前から、この国には加護を与えてきたと。
「建国の王は、海神の娘の一人を妻にもらって王妃にした。これはお伽噺として伝承されてきたが、事実だった可能性が出てきたようだ」
私の腰に回されていた殿下の腕に力が込められた。その力は先程のルキャナ様の「泡になって消えてしまえばいいのよ」発言の時から、少しずつ込められ始めていた。
「離さない」と言ってくださっているようで、嬉しく思ってしまいます。
この国にはそのようなお伽噺があったのですね。初耳です。
「化け物が──────っ」
ルキャナ様は身につけていたドレスの腰のリボンの中に手を差し込むと、一本の鞘に入った短剣を取り出していた。
鞘の全体にはケルプが図案化されていて、その中にイルカや大蝶貝などが隠し図案として組み込まれている凝ったデザインだったので、これは間違いなくあの短剣なのだと判る。
見覚えのあるその短剣は、私が姉様達に頂いたものだった。姉様達の髪を犠牲にして作って頂いたものだが、私には殿下を害することはできないので城の近くの浜辺から海に還したはずのものなのに。
ルキャナ様自らが───とは考え難いので、おそらくは誰かに頼んで私の行動を監視していたのだと思う。その人物が短剣を拾い、彼女に届けたのだろう。
しかし、短剣をこの場に取り出したことでルキャナ様の未来は何一つ残されていなかった。
王城に刃物を持ち込むことですら禁じられているのに、彼女はこの会場でそれも王族の方の目の前で取り出したのだ。
この時点で、彼女の身分剥奪と禁固刑が確定した。
更にまずいことに、ルキャナ様は鞘をはらい短剣の刃を私に向けたのだ。
私はレムロード殿下の膝の上に抱かれているので、その刃は当然殿下にも向けられることになってしまう。
「コライユ」に向けたというのは、言い訳にもならない。王太子殿下に刃物を向けたという事実だけが残り、当然これは死罪に値する。
もうルキャナ様にも自分を止めることはできないだろう。それだけ、興奮しすぎているように見えた。
「うぅぅぅぅ……がぁぁぁぁ……!!」
ルキャナ様の口から出てくる言葉は、もはや人語ですらないように聞こえた。
「───ぎゃあぁぁぁぁ……」
突然、それは苦しむような声に替わっていった。
何が起こったのか、酷くの苦しむ声に私は恐怖でレムロード殿下の胸元にしがみつくことしかできなかった。
殿下は椅子から立ち上がると私を抱えたまま、彼女から守るようにルキャナ様に背を向けられた。
ダメです、殿下!!私を守るのではなく、私を楯にしてご自分をお守りください!
ああ、もうっ!!……まだ声がきちんと出せないことがもどかしい!
「ヒィィィ……」
叫び声と同時に短剣が広間の床に落ちた。そこに響くのは金属の高い音と、彼女のうめき声だけだった。
その場にいた誰もが動くこともできずに、恐怖に満ちた目でルキャナ様を見つめていた。
ルキャナ様は、短剣を取り落とした右手首を自分の左手で掴んでいた。
その右手の甲には黒い鱗が現れていた。
私は自分の目を疑った。
私にとって鱗は珍しいものではない。元々は自分の身体の一部だったからである。
しかし、今彼女の身体に現れつつある鱗は───禍々しい黒だった。
私は今まで黒い鱗を見たことがなかった。
かつての私の鱗は、髪色よりも濃い───赤珊瑚のような色をしていた。お父様や多くの姉様は青系の鱗が多かった。お母様や別の姉様、私は赤系の鱗。緑や紫の姉様もいた。
海の魔女も灰色の鱗で、本当に黒い鱗は初めてだった。
右手に這い上がるようにして現れた鱗の進行を止めようと思ったのか、ルキャナ様の左手が右手を掴もうとしたのだが───無情にもその右手に現れた鱗は堅く、鋭利な刃そのものだったようだ。
鱗が、ルキャナ様のまだ人としての皮膚を保っていた左手を傷つけていた。
最終的には、ルキャナ様の全身を黒い鱗が覆い尽くしたらしい───
私はこの時にはレムロード様によって守られるようにして抱えられていたため、その全てを見届けることはできなかったので後から聞いた話である。
正直───その様子を見ることなく助かったと言ってもいい。
本来ならば私がその短剣をレムロード殿下の胸に突き立てた瞬間に、発動するある種の呪いのようなものだったのだろう。
他人を害する思いに反応し、使用者を海界の者へと変化させてしまう魔法は完全に暗黒魔法の類だと思う。
もしも私が、自分が助かりたい一心でこれを殿下の胸へと刺し貫いていたとしたら、この呪いは私の身に降りかかっていたかもしれないのだ。
後日───殿下はルキャナ様の最終的な変化の様子を教えては下さらなかったが、それではいけない。当事者の一人として事実を受け止めなくてはならないと、新しく義父となった海軍元帥のデルフィーン公爵にルキャナ様のその後を確認させて頂いた。
ルキャナ様だった女性は、完全に魚人へと変化したという。
「人魚」ではなく「魚人」。全身を黒い鱗で覆われ、それなりに美しかったといわれている顔までもくまなく鱗で覆われてしまったらしい。堅い鱗で表情筋もなくなり、表情を作ることも人語を発することもできなくなってしまったという。
「岬の収容所」と呼ばれる監獄に国内唯一の海水の引かれている獄舎があるため、そこに移送されたのだという。
こんな獄舎があるということは初めて知ったのだが、この国の長い歴史の中にはいろいろな罪人がいたということなのだろう。
ランプロア家はこの事件により爵位剥奪、領地没収という処分を受けていた。
前科───という程のことではないが、以前婚約していた方が親しくしていた別のご令嬢に嫉妬して意地悪をしたあげく、婚約を解消されて修道院に預けられていた経緯もあり監督不行き届きを指摘された結果のことらしい。
一般論ではありますが、ご家族はなにか手段を講じることはできなかったのでしょうか。
特に今回の一件は王族をも巻き込んでの騒動に発展したため、「ルキャナ・ランプロア事件」
と名付けられ王族の歴史にも傷を残してしまった。
国王陛下もレムロード殿下の婚約者候補として彼女を薦めてしまったことにお心を痛められていらっしゃるご様子で、退位の意向を示されているらしい。
もっともこの件は王太子であるレムロード殿下が反対をされているので、まだ先の話になりそうですが。
殿下が、王位継承を時期尚早としているのにはいくつか理由がある。
「レムロード殿下がまだ16歳であること」
あのお誕生日の日から、まだ1年も経っていないのです。殿下は、ご自分の勉強不足を理由にされていました。
「婚約者のコライユがまだ15歳であり、病のため失っていた声を取り戻したばかりであること」
訂正する機会を失っておりますが、実は私の人魚としての年齢は150歳です。
レムロード殿下に年齢を尋ねられた時にきちんとお伝えしたはずなのですが、この国の文字が良く解かっていない私が「15」と「150」を間違えていると殿下が思われたようなのです。───間違えようがないと思うのですが、確かに私の今の外見は幼く見えるの仕方がないことなのかもしれません。
あの事件の後、私は正式にデルフィーン公爵の養女となった。やはり王家に嫁ぐためには、それなりの貴族であるべきと判断されたためである。
デルフィーン公爵家には、男のお子様が一人だけいらっしゃる。私の義兄になられる方だ。
しかしこのお義兄様は公爵位を継がれるものの、王宮関係の要職には就かれないという事なので、養女になった私が殿下に嫁いでも公爵家の王宮内での権力はそれほど大きくはならないらしい。
新しいお義母様は、私をとても可愛がってくださる。毎日のお茶の時間には「喉に良いから」と、高価な蜂蜜を惜しむことなくたっぷりとお茶に入れてくださいますし、「女の子が欲しかったの」と私に新しいドレスもたくさん用意して迎え入れてくださった。
お義父様も優しい方で、国内外から喉と足の治療のためにお医者様を集めてくださった。
声の方は毎日良くなってきてはいるけれど、やはり足の方は上手くはいかないらしい。
これは王太子妃───さらには王妃として、よろしくないのではないかと思って殿下にも申し上げたのだが、
「私が気にしていないのだから、コライユが気にすることはないよ」
と言われてしまった。
こんなに幸せでいいのだろうか?
次回は、レムロード殿下目線です。




