2話 王子様の論破
レムロード殿下は、私の描いた漫画を誰に見せようと思われたのだろうか?
「また後で迎えに来るから、少し待っていて欲しい」
そう、おっしゃって殿下が出て行かれてからかなり時間が経っていた。
私にはもうあまり時間が残されていないので、あの漫画を仕上げて───正確には、あの夜の殿下のお姿の頁だけは仕上げてしまいたかったのだ。
スクリーントーンがないので、根性の点描で殿下のキラキラ感を表現したかったのに……。
漫画の続きも描けずに暇だったので、先程の殿下との口付けで崩れてしまったメイクを直した。
今宵泡となって消えてしまう運命を自覚はしているのだけれど、不思議なことに心は落ち着いていた。
レムロード殿下の絵を描いていると、不思議と無心になれるのだ。
そんな中で鏡を見て驚いた。ハーフアップにしていた髪の乱れはそんなになかったが、口付けで口紅は完全に取れてしまっていた。その上長く繰り返されたキスによって、私の唇は少し腫れてしまっていた。
メイクは簡単に直せるけれど、私の殿下を見つめるこの潤んだ瞳を隠すことができるのか自信はなかった。
そもそも殿下は何故あんな───恋人にするようなキスを私にしてきたの?
あのご令嬢ともあんなキスを繰り返しているの?
胃の辺りがチリチリと痛んだ。
前世の記憶を思い出すまではこの運命を受け入れるしかないと諦めていたのだが、今は記憶が戻ってしまったのですっきりとしない。
童話の「人魚姫」は、私が幼い頃から納得のいかない物語の一つだった。
「何で王子様はあの人が偽物だって、気がつかないの?少しは、疑問に思ってよ」
「何であの貴族のご令嬢は、王子様助けていないのにその誤解をさせたままなの?」
少し時が過ぎて───ここからは城の入り口を見ることはできないのだけれど、窓の外が騒がしくなってきたので招待客の貴族達が到着し始めたことがわかる。
ルキャナ様ももうご登城されたのだろうか?
レムロード殿下の婚約者候補の修道院にいらしたご令嬢のことである。
この日のために準備した豪華なドレスを身に纏って、殿下の隣に並ぶのでしょうね───。
そんな二人の姿は見たくない。
この部屋に籠って、漫画の殿下を完成させたい。
できることなら、殿下の絵を描きながら泡になりたい。
「コライユ」
扉の外で殿下の声がした。
ベルを二度鳴らしてお返事をすると、殿下が部屋に入ってこられた。
少し座っていたので私の足も少し痛みが和らぎ、何とか立ち上がって殿下をお迎えすることができた。
あら?先程までとは違って、やけに殿下の笑顔がキラキラして見える。
これは最上級の笑顔で、殿下のご機嫌がすこぶるつきで良い証拠。
ルキャナ様がいらっしゃって嬉しいのかしら?
胸の奥が痛かった。
声が出るなら、泣き喚いてしまいたかった。
それがどんな無様な姿であったとしても───
今の私にできることは、誰にも気付かれないように涙を流すだけ。
でも、人生最後に殿下のこの輝くような笑顔を見ることができて良かった。
これで心置きなく、漫画の殿下の仕上げに───
殿下?私の漫画はどこですか?
戻ってきた殿下の手には漫画はなかった。
殿下は私を椅子に座らせてくれた。
私の足が痛み、身体がふらついていることに気が付いてくださったのだ。
「コライユ……」
殿下は甘い声で私の名を呼んだ。
いつも私の名を優しい声で呼んでくださる殿下。でも今のような声は、まるで愛おしい者を呼んでいるような甘く艶のある声に聞こえた。
呼ばれて顔を上げると、レムロード殿下と視線が合った。
なんて目で私を見つめるのですか?
そんな熱い目で見つめられたら、私は火傷をしてしまいます。
人魚にとって、人間の体温は高温なのです。触れただけでも火傷をしてしまうのですよ。
殿下は静かに私の目の前で、騎士のように片膝をついて座った。
だめです!王子様が人魚に───なんの身分も後ろ盾も持たない庶民の、それも身の証すら立たないような小娘の前に跪くなんていけません!
声が出せないことがもどかしかった。
「コライユ、お願いだ」
レムロード殿下は私の右手を掬いあげるように持ち上げて、ご自分の顔の前で捧げ持つようにされた。
はい。何でも聞きますから、どうぞ立ち上がってください!
「私と結婚してくれないか?」
はいぃぃぃ?
「───君を心から愛しているんだ」
「──────(ごほごほごほっ)!!」
吃驚し過ぎて咽ました。
「コライユ!」
私が咽込んでいるので、殿下も驚いたようで私の背中を優しく撫でてくれていた。
「──────(ごほっ)!……けふっ!」
え……?
今何か出ましたよ?
殿下も驚きのあまり硬直されていた。
今の私の声でしょうか?
ええ……喉の感じが今まで違うような気がする。
ちょっとがんばれば声が出るような気が───
最初に口にできるのならば、是非ともお名前を呼んでみたいのだ。
「──────ム……ロー、ド……で……ん…………
レ、ム、ロ、ド……。レム……ロード、で、ん……か……」
がんばれ私!どんどん声が出る。
殿下の両手が励ますようにして、私の右手を強く握っていてくださる。
「レム、ロード……殿、下───」
私の口は再び殿下の唇によって塞がれ、言葉を紡ぐことを強制的に停止させられてしまった。
何度も何度も口付けられる。殿下の唇は口付けだけではなく、私の顔中にキスの雨となって優しく降り注いでいた。
『───王子からの真実の愛を得られた時にはお前さんの声は戻り、きちんと人間になれるよ。ただし、王子の愛を得られないときは───解っているね?お前さんは泡となって消えてしまうよ?』
確かに海の魔女はそう言っていた。
では、私はレムロード殿下の真実の愛を得られたというのだろうか?
でも、ルキャナ様は?
* * * * *
その後、私はレムロード殿下に横抱きに抱えあげられ(所謂、お姫様抱っこ)パーティー会場に強制的に運ばれていった。
当然のことながら会場内はざわつき、ルキャナ様からは憎々しげに睨まれていた。
「───ルキャナ・ランプロア嬢、何か言いたいことがありそうだね?いいよ、発言を許そう」
レムロード殿下は、ルキャナ様に対して尊大な態度でそう告げられた。
国王陛下の隣の椅子に座られているレムロード殿下。
ここまではいつものパーティーと変わりない定位置である。
しかし、何よりもいつもと違って会場中をざわつかせ、ルキャナ様に般若のような顔をさせているのは私である。
私がレムロード殿下に抱かれたまま、その膝の上に座らされているからに他ならない。
何故、ここなのでしょうか?
「恐れながら申し上げます。
───本日は、殿下と私の婚約発表のパーティーのはずですわ!それなのに何故その娘が殿下の膝の上に座っているのでしょう?」
ルキャナ様は、冷たく蔑んだような目で私に視線を向けた。
はい。それは私も伺いたいことです。
「───誰と誰の婚約だって?」
殿下の声からは、怒り以外の感情を読み取ることができなかった。
「私は今、このコライユ・デルフィーン公爵令嬢に求婚中の身でね。残念ながら、まだ婚約には至っていないけれどもね」
お待ちください、殿下!デルフィーン公爵令嬢ってどなたのことですか?
なんだか私の名前がついていたような気がしますが、デルフィーン公爵と言えば海軍元帥閣下のことではないですか?
「レムロード殿下は、水難事故の際に救助をした私を娶ってくださるはずではなかったのですか?」
「それは父上、国王陛下が私を助けてくれた女性を王太子妃───つまり、私の妻にしたいと仰ったことに始まる。しかし、国中に触れを出したが貴女以外に名乗り出るものがいなかったからね」
「そうですわ!殿下をお助けしたのは私ですもの!」
「───それでは今一度確認をしよう、ランプロア嬢。君は私をどこで助けた、と言っていたかな?」
殿下は、ルキャナ様を決してお名前だけでは呼ばない。特に今はファミリーネームの「ランプロア」としか呼ばないので、親しくするつもりは一切ないらしかった。
「パルルド海岸ですわ」
ルキャナ様が、自信を持って答える。
確かに私が殿下をパルルド海岸まで運んだわ。───あの時は海岸の名前なんて知らなかったけど。
「その時、私が身につけていたものは?」
「シャツとトラウザーズとブーツですわ」
これも当りだと思う。だって、殿下の上着は水を吸ってとても重かったのよ。だから、私がお助けした時に脱がせて海に捨てたんだもの。
「私はあの時、船の上から海に落ちた瞬間に気を失っていた。その直前まで着ていた上着はどこへ行ったのだろう?意識を失っていた私が、自分で脱ぐのは不可能だ。では何故、助けられた瞬間の私は上着を身につけていなかったのだろう?」
「そ……そうでしたわ!殿下は岩場にいらっしゃったのですわ。浜辺までお運びしようとしたのですが、水を吸っていた上着が重かったので……失礼して脱がさせていただきましたの!」
「───知っていたかい?パルルド海岸には岩場は一つだけだ。その岩場から、私が救助された海岸までは220ヤードも離れているんだよ。君一人で、意識のない私の身体をその距離運べるのかい?」
なにやら殿下はとても楽しそうなご様子である。
過去、ルキャナ様と会話をされた中でも一番楽しそうなご様子で、ルキャナ様の発言を論破されて行く。
「………………」
ルキャナ様は沈黙されていた。
「では、ランプロア嬢に問う。あの日、私の身につけていた上着はどちらだろうか?」
レムロード殿下の合図で、2体のトルソーが運ばれてきた。
白の王族の礼服軍服の上着と、海軍の青の軍服の上着である。
もちろん私は知っていた。
あの日は殿下の16歳のお誕生日であり、海軍の名誉副司令官の任命式でもあったのだ。
「当然ですわ!あの日殿下は、海軍の名誉副司令官になられたのですもの!青の海軍の将校服ですわ!!」
違う。あの日殿下が着ていらしたのは、白のスタンドカラーの上着で軍服ではなかった。
殿下は、今は形だけの副司令官だからと軍服の着用を辞退されていたのだ。
白のジャケットに勲章のみをつけてパーティーに参加されていた。
「───コライユは?私が着ていた服はどちらだい?」
「ちがう……りょう、ほう……」
声は出始めていたが、やはりすぐにはきちんと喋れないのでかなり片言ではあったが、私は何とか違うと伝えられた。
今まで言葉を話せなかった私が突然声を出したので、その場にいた陛下や上級貴族の方々も驚いていた。
ルキャナ様も蒼白のお顔に、貼り付けたような不自然な笑顔を浮かべていた。
「アバローン提督、確認は取れたのか?」
殿下に名前を呼ばれたのは、海軍の総司令官のアバローン提督閣下。人垣の中からスッと姿を現した。
「───恐れながら申し上げます。鍛冶職人のエトリーユの工房に絵図が保管されておりました」
アバローン提督が手にしていたのは、私の描いたキラキラ殿下の(───にする予定だった)漫画の一頁だった。
──────私の漫画、どこまで回っているのですか?




