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人魚姫の憂鬱なる独り言  作者: 柚貴ライア
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1話 人魚姫の憂鬱

私には「日本人」としての記憶がある。そして、その記憶の中の私は漫画やアニメ、WEB小説をこよなく愛するオタク女子であった。当時の年齢は当然非公開。

何しろオタク女子には、年齢という概念は存在しないのだから。


押しメンが小学生男子であろうと私たちは持っている愛の全てを彼に捧げる。物販という御布施にリアル収入の大半が持っていかれても、後悔する事のない押しメンとの愛の生活を続けるのだ。


幸いなことに私は漫画家という職業に就き、商業誌に連載できるようになっていた。

生きている間───にはアニメ化の夢は叶わなかったが、単行本は何度か重版をかけてもらい、東京でのサイン会もやらせてもらった。


しかし、肝心なことなのに私の漫画家としての名前を思い出すことはなかった。


多分、この転生後の人生にそれは必要のないものだったから。




何しろここは「童話」の世界───人魚姫の物語の中だった。




時代的には私の生きていた時代よりも、400年とか500年とか昔の話。

欧州系の歴史は詳しくないのよね。日本の幕末だったら詳しいのだけれど……。


乙女ゲームに転生した小説とか勇者に転生した話とか散々読んできたけれど、まさか自分が童話の登場人物に転生してしまうとは───


人生って何が起きるか、わからないな。とつくづく思ったわけなのですよ。


その上、私が日本人だったという記憶を取り戻したのはつい最近のこと。


姉様達が自分の髪を魔女に渡して見返りに造ってもらった、魔術的要素を多く含んだ短剣を手にした瞬間、全ての記憶が蘇り津波のように私を飲み込んでいった。


修道院に預けられていたという貴族の令嬢が、王子を助けたと名乗り出た瞬間───


彼女は俯きながらも、口の端を醜く吊り上げながら笑っていた。


痛む足を引き摺りながら歩く私に王子が手を差し伸べてくれた時も───


彼女は「無理をさせてはいけませんよ」と言いながら、私の顔を睨み付けていた。

そのあと彼女の差し出した足に引っ掛かり、転んでしまった。

そんなことは何度もあった。




何故、私は声を出すことができないのだろう。これでは彼女の悪行も告発できない。

人魚の尻尾を人間の足に変えた代償は、この両足で立つ度に突き刺さる刃物でえぐられるような痛みだけでは足りなかったのだろうか?




彼女のまがい物の清廉さを信じた王によって、王子と彼女の婚約が明日公示される。


王子に愛してもらえなかった私は、明日───泡となって消える。


14人の姉様達の髪を犠牲にして作ってもらった短剣は、一昨日の夜に渡された。


昨夜の私には、その短剣を使い王子の胸を刺して人魚に戻って海に帰る時間があった。


でも───


できなかった。


仮にも私には、21世紀の日本で生まれ育った記憶がある。

人を殺めるのはよくない───という、倫理的な教育により。


というよりも、私は日本人だった記憶を取り戻す前からこの王子を愛していたので───

彼を害して自分だけ助かるつもりは全くなかったのだ。


せめてもう少し前からこの記憶を思い出していれば、こんな結果にならなかったのかもしれない。




今考えれば、貴族令嬢の登場の仕方が不自然だと思う。

普通の貴族のご令嬢が行儀見習いというか、教育のために修道院に預けられる?


王宮に勤めている下級侍女たちの間では有名だったらしいけど、ご令嬢は以前婚約していた方が親しくしていた別のご令嬢に嫉妬して意地悪をしたあげく、婚約を解消されて修道院に預けられていたらしい。


元々、心根に難のあるご令嬢だったみたい。


このような方が王子の妃───王太子妃になるのかと思うと、この国の未来には不安しかない。


しかし、全ては遅すぎたのである。


今宵、私は泡となり───この世界の大気の一部となる。

せめて王子の天命が尽きるまでは、お側で見守っていよう。

王子が天に召されてからは、300年という時間の牢獄の中で世界をたゆたうだけである。

それが王子の愛を得られなかった場合に発動する、私に掛けられた呪いであった。


時折王子がなにか言いたそうな顔をして私を見つめているけれど、それはご自分の御成婚後の私の行く末を心配してくださっているだけだと思う。


元々人魚だった私には人間界に身寄りはなく、王子のご厚意で城に住まわせてもらっているのだ。


一部の下世話な人々の間では、私が王子の愛人となってこのまま城に住み続けるのではないかと噂されているようだけど───。


そんな話は一切出ていない。

第一、御成婚後の私の身の振り方を王子は話題にもされない。


「追い出されるのかな?」「でもそんな酷いことをする方ではない」「でも何も言ってくれない」


心の中で何度も繰り返し考えた内容である。


「でも、私……今夜、泡になっちゃうし……」


考えるほど、虚しく───悲しくなってくる。


私は、与えられていた自室の片づけをした。

持ち物といえば王子に用意してもらったものばかりであるし、泡になってしまえば何も持って行くことはできない。

整頓と掃除だけをしておいた。


この王子の部屋の近くに割り当てられた部屋は、本来ならば王子の兄弟になる人のものだった。

しかし、王妃様のお身体が弱いために王子に兄弟はいらっしゃらない。


私がいなくなった後は、王子のお子様達の誰かのお部屋になるのかもしれない。


そんなことを考えながら、部屋を片付けていく。


「………………」


王子からもらった数枚の紙を手にしたまま、私の動きは止まってしまった。


私の生きていた時代の日本では生活のどこにでも紙は存在していたが、この世界では紙は貴重品だった。

それでも王子は、私の文字の勉強のためにといって紙を用意してくれた。


最後だから───と、私が人魚姫として生きていた証を残したいと思ってしまった。


私は机に向かい、羽根ペンを手に取った。

人生最後の漫画を残したいと思ったのだ。


日本製の上質紙とは違い、おそらくは手漉きで作られた表面にザラザラとした手触りのある紙。ペンの先ももちろん丸ペンやGペンではないので、何度も紙の上で引っ掛かってしまう。インクの滲んだ決して美しくはない線しか描けないが、私は漫画を書く作業に没頭した。






* * * * *






「コライユ?」


王子のレムロード殿下がいらっしゃった。


「コライユ」は、レムロード殿下が付けてくださった私の人間界での名前。

「珊瑚」の意味を持つこの名前は、私のコーラルピンクの髪の色から付けてくださったのだ。


レムロード殿下は、黄金に輝く金髪と美しいエメラルドグリーンの瞳の方だった。「レムロード」というのは、古代語で「エメラルド」のことなのだそう。


私は声を失っているので、声を掛けられても返事ができない。足も自由には動かないので、内側から扉を開けて迎え入れることも困難である。


声の代わりに真鍮のベルを頂いた。

私は、急いでベルを二回鳴らした。「どうぞ」の意味である。


一度鳴らした場合は「少しお待ちください」なのだが、私はこの返事は使った事がない。


「うん、良く似合っている。コライユ、綺麗だよ」


窓辺に寄せてあった椅子に座り窓の外を眺めていた私は、殿下の入室と同時に立ち上がってお迎えした。


今、私が身に纏っているのはレムロード殿下から送られた白いドレスだった。

殿下の瞳とよく似た碧色のレースとリボンがアクセントの美しい衣装だった。

今夜のパーティー用に誂えてくださったのだけれど───白いドレスは社交界にデビューする当日のデビュタントの令嬢くらいしか着用する事のない色なのに。


この色のドレスをご自分の婚約発表予定のパーティー会場で、私に身につけさせるなんて残酷です。


もっとも足の悪い私はどのような夜会に出ても普通の令嬢のように、名前を呼ばれてエスコートされながら会場に入ることはない。専用の席を用意されて、その場所で座っているだけである。

普段のパーティーでは頻繁にレムロード殿下が私の側に来てくださるので、多少は人の目を集めてしまうこともあるのだが、今宵は殿下の婚約発表のためのパーティーなので私が注目されることはない。


それでも殿下に誉めていただけるのは嬉しい。

単純な女心である。


誉められたことが嬉しくて、笑顔が止められない。

声が出せないので替わりにドレスを摘んで、腰を屈めて礼をした。

顔が熱い。おそらくは、赤面している。


「私の言葉に照れて、はにかむコライユも可愛い」


もう!レムロード殿下!!

そんな乙女ゲームの攻略対象のような発言は慎んでください!


諦めて───泡になるだけのこの身には、その笑顔は破壊力がありすぎます。


恥ずかしさのあまり、私は手にしていた羽根付の扇子で口元を覆い隠そうとした。


「───(クシュン)!」


小さな羽根が私の鼻腔をくすぐった。

声は出ないが、私は不覚にも殿下の前でくしゃみをしてしまった。


レムロード殿下は、豆鉄砲を食らった鳩のように驚いた表情で私を見つめていた。


確かに殿下の前でくしゃみをするのは初めてですが、私のくしゃみはそんなに変ですか?


殿下は視線を床に落としたまま、何か考え事をされているようにも見えた。

しばらく固まっていた殿下は、足早に私に近付いてきた。


「───コライユ」


名前を呼ばれたので私は顔を上げた。


次の瞬間、私は殿下によって腰に左腕を回されて身体を引き寄せられていた。


(何?)


と思ったときには、すでに殿下は私の唇にご自分の唇を重ねていた。


殿下と唇を合わせるのはこれが初めてではない。


あの嵐の日、海に落ちた殿下に人工呼吸した。けれど、意識を失っていた殿下はご存知ないはずだった。


それにしても殿下の口付けは長かった。

何度も何度も私の唇に殿下の唇が重ねられる。角度を変えながら、繰り返される接吻。

いつの間にか、私の背中に殿下の右手が回されていて強く抱き締められていた。


「───やっぱり……」


漸く唇を離したレムロード殿下は、小さく独り言を呟いていた。


長い時間殿下に抱き締められ、立っていた私の両足は限界を向かえていた。痛みにうずく両足は、ガクガクと震えていて殿下に支えてもらわなければ立っていることもできなかった。


殿下は私を椅子に座らせてから、ご自分は何事かを考えながら部屋の中を歩き回っていた。


「最初から違和感があった」「どうにも好きになれなかった」などという言葉が時々聞こえてくる。


ところで殿下、本日のパーティーの主役がこんなところでのんびりとされていても良いのでしょうか?


殿下は机の前で立ち止まり、上に乗っていた紙を取り上げた。


あ、それは……私の描いていた漫画です。昨夜は徹夜でペン入れです。

まぁ、鉛筆がないので直接ペン入れするしかないのですが───。


しまった!

「これ」は今の段階で誰かに見られる予定のものではなかった。


漫画は私が人魚だった頃から始まり、嵐の日に船から転落した殿下をお助けし近くの浜までお連れした所までを描いていた。

初めてお見かけした時の殿下の正装姿が凛々しく格好良かったので、一枚丸まる殿下の頁を描いてしまった。そのためなかなか進まなかったのだ。


一番上には白紙の紙を重ねて隠してはいたけれど、羽根ペンも机の上にあったので殿下の興味を引いてしまったみたいだった。


もちろんこの時代にこの場所で漫画などと言うものが存在するわけもないので、初めのうちは殿下も不思議そうな表情で私の描いた漫画をご覧になっていた。

うっかりセリフは日本語で書き込んでいたので、殿下には読めないはずだったのが───


さすが「クール・ジャパン」。日本の漫画は凄いのです。

読み進める殿下の表情がどんどん───なくなっていった。

予想外の反応です。


そもそも人魚の存在はこの世界でもお伽噺の扱いであるため、「私の妄想です」で通じるはずだった。


「コライユ、この絵はお前が描いたのか?」


───コクリ、と頷いた。


「少しの間借りていくが、いいかな?」


どうするおつもりですか?


「また後で迎えに来るから、少し待っていて欲しい」


私はまだ漫画をお貸しするとは言っていませんが……。

えっ、後で迎えに……って、どう言うことでしょう?







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