Episode.21 駆け出し魔術師の苦悩
本編第二章終了後くらいのお話です。
ニューヨーク市警の拡張空間、通称『クラック・フロア』で、春日井伽羅はボスであるハドリー・ウィールドンと向き合っていた。ホリデーが明け、業務が再開された時期だった。
「で、キャラ。ミズ・ハザマの論文は?」
「ボス、無茶言わないで下さいよ、研修の様子はご報告したじゃないですか。論文どころじゃなかったんですよ」
日本の警察庁刑事局に存在する特殊捜査部、魔捜こと魔力捜査室への研修は、室長である羽佐間螺旋の入院もあり予定通りには終えられなかった。ただそこでは確かに、魔術師界隈を揺るがす出来事を把握するに至ったわけだし、収穫がなかったとは言わないはずだ。
警察庁の特捜と同じような事象を扱う、ニューヨーク市警に本部を置く組織が、春日井の所属するSIS、クラック・フロアで展開する部署だった。ハドリーも魔術師であり、春日井もまた駆け出しではあるが魔術師だ。
「だがキャラ、言っていたじゃないか。少なくとも五本分の論文に値するファイルはあったわけだろう?」
確かにその件は報告した。魔捜が過去に扱った事件の記録からは――と呼ぶよりは、それに対して螺旋が行った処理や使用したであろう術式の記録からは、論文の五本程度は造作も無く生まれそうだった。
ただし羽佐間本人は、論文に対して前向きではなかった。
「ミズ・ハザマの論文がどれだけ待ち望まれているか……キャラ、君も理解しているはずなんだが」
「それはごもっともなんですけどね」
春日井は困ったように頭を掻く。
「けどボス、とにかく羽佐間さんは例の物理干渉で戦線離脱してるんです。論文どころじゃありませんでした。それに――今は物理干渉と、補助能力の方に注視すべきかと」
「それはそうかもしれないが……」
納得できない、といった様子でハドリーが腕を組む。
「秩序の魔術師、ミズ・ハザマの論文を後世に残すことも、同じくらい重要だろう? 生ける伝説だぞ?」
――羽佐間螺旋は、実質現代最強と呼ばれる秩序の魔術師である。界隈ネットワークは彼女の動向に興味津々だ。これまでに発表された羽佐間の論文は数年前の二本のみであるが、その発表時には界隈を激震させた。今でもその影響力は強く、多くの魔術師たちが新たな論文を待ち望んでいるものの、
「……書く気はなさそうでしたよ、羽佐間さん」
春日井は正直な体感を報告する。閲覧が叶った魔捜設立時からの記録は数年分あったが――そして春日井はそれを見て、論文が五つは書けそうだ、と思ったのである――実際に論文として発表されてはいない。現時点での羽佐間の最後の論文から数年、既に空白期間が存在しているのである。
ハドリーはサングラスをきらりと光らせた。
「――どうにかしろ、キャラ。今回の研修で、ミズ・ハザマとコネはできたわけだろう? なら――どうにかしてみろ」
「んな無茶な」
「それに同じ日本人同士だろ? 我々から催促するより、キャラから催促する方が効果的じゃないか?」
「いやボス、催促って言っちゃってるじゃないですか」
「技術の継承も責務の一つだ、いいな、キャラ。命令だ」
「……承知しましたよ……一応そろそろ、改めてお礼のメールは送ろうと思ってるので、ひとまずそこに書き添えます。今はそれでいいですよね?」
「ひとまずな」
言うとハドリーは、ようやく春日井を解放した。
「ではボス、僕は通常業務に戻らせて頂きますよ」
「ああ」
「失礼します」
春日井はぺこりと頭を下げると、それ以上ボスに無茶振りをされないよう、足早にデスクへと引き返した。
魔術師にもいくつかの派閥のようなものが存在する。
羽佐間のように現場主義の魔術師もいるし、ハドリーのように魔術理論や技術の体系化を重視する論文派もいる。発表された論文を徹底的に研究・検証することに重きを置く者もいる。
春日井はハドリーの部下であるゆえに論文派寄りである。しかし今回の日本の警察庁での研修を終え、羽佐間の術式を論文化したところで、その再現可能性には問題しかない、という事実を目の当たりにしてしまった。
実は春日井は、羽佐間が過去に発表した二本の論文で彼女を心酔するに至ったわけだが、
「……規格外、だもんなぁ」
椅子に座りながらぽそっと呟く。
憧れの魔術師と対面するという夢を果たした結果、春日井はその現実を突き付けられた。
春日井伽羅はまだ駆け出しではあるものの、影で新星と呼ばれている。周囲からの期待を背にしている魔術師の一人だ。専門の探索魔術に関しては着実に経験を積んでいるが――その実績もあるからこそ、日本での、つまり羽佐間の元での研修生として白羽の矢が立ったのだ――魔力量、判断力、戦略などなど、羽佐間の足元には到底及ばないという事実を正面から受け止める羽目になった。
「……それに、実際論文どころじゃないよなぁ、今の状況……」
研修先で春日井は、ヒトの形をとる悪魔と対峙するという、これまでの常識に当てはまらない経験をした。悪魔がヒトの形をとるなんて、彼はこれまで聞いたこともなかった。羽佐間の口振りからしても、それはこれから大きな意味を持つことになるはずだ。
「ああ、荷が重い……」
春日井はデスクに突っ伏した。
まず論文は大事だ。体系化には意味がある。しかし、現実に発生する事象を解決することも重要だ。つまり羽佐間に――魔捜に待ち受けるであろう展開の収束が先決だ。そうでなければ論文に取り掛かるどころではない。しかも相手は羽佐間である。
――彼らからの圧力には正直、辟易します。
彼女の無機質で抑揚のない声が蘇る。
「……うん、ですよねー、今の状況で論文論文言われても……ですよねー」
突っ伏したままで春日井は呟いた。
ハドリーに宣言したように、このあと送るメールに論文の件を書き添えるつもりではいるが、正直無意味だろう。どう考えてもこのタイミングではない。
「キャラ、さっきからどうしたんだ、ぶつぶつと」
隣のデスクのレイフ・セネットが苦笑交じりに声を掛けてきた。
「……何でもないよ」
春日井は突っ伏したままで力なく笑って答える。
「何でもなくはないよね……ん?」
レイフがそこで首を傾げた。
「……キャラ、ミズ・ハザマに論文書いてもらえた?」
「え?」
「……あ、違うな、悪い悪い。今のは未来だな」
レイフ・セネットは春日井の同僚であり、友人であり――プレコグである。
「! レイフ、そういう未来が視えたってこと?」
春日井はがばっと身体を起こした。
「うわっ、急に止めろよ、びっくりするじゃん」
「そういう未来が視えたってことだよね!?」
「あー、うん、ちらっと」
返事を聞いて、春日井は瞳に力を取り戻した。その様子にまたしてもレイフが苦笑する。
「つまり何らかの勝算はあるわけだ! それはつまり――羽佐間さんの新規の論文が読める、と」
繰り返すが春日井は、過去に発表された彼女の論文がきっかけで、羽佐間螺旋に心酔した魔術師なのだ。現実は現実として受け止める必要があるものの、彼女の新規論文を熱烈に待ち望む魔術師の一人でもある。
彼は端末のスリープを解除すると、手早くメールを書き始めた。もちろん羽佐間に宛てたものだ。
「……あー、まあ、元気出たなら良かったのかな」
急速に活力を取り戻した春日井に何度目かの苦笑を送りつつ、レイフはそうこぼした。
直属のボスであるハドリーと、心から尊敬する日本の魔術師、羽佐間との間で板挟みになっている駆け出し魔術師が報われるのは、もう少しだけ先のことだ。
無論、春日井本人はまだ、その未来を知らない。




