世界‐ふたつめ
アスカは微塵も痛みの残っていない後頭部を抑えながら、その体を起こす。
「ちっ!」、大きな舌打ちは波打つように反響していく。しかしその反響は、アスカのもとに帰ってくることはなく、どこまでもどこまでも遠くへと伸びていくようなものであった。
「やばっ。」
アスカは、その冷たさのある空間に覚えがあった。
地下か、とそう直感する。
ぺたぺたと床や壁を触り、石の感触を確かめる。
「すこし湿ってる。」
水の流れる音が、耳に入ってくる。
アスカはその音に近づこうと歩みを進めるが、その水に触れることはできなかった。
鉄格子。
アスカは牢屋にその身を投げられていた。
「くそ!くそ!なんで!」
格子を握りしめ、がたがたと外してしまおうかというほどの勢いで揺らそうする。しかしびくともしない。
それでも、カチャカチャと揺れる部分はあった。
「鍵がないと、それがあっても意味がねぇよ。」
アスカは、はっと後ろを振り返り、同時に自分の腰のあたりをはたく様にまさぐる。
しかし、当然そのどこにも、魔法の書はなかった。
「ほんとにどうすることも・・・・・」
アスカは再び、鍵穴と向き合う。
懐を確認し、きらりと光る魔法の鍵を確認すると、そっと差し込もうとする。
しかしサイズがあっていないのか、ずいぶんとした余白があり、鍵を回そうにも回すことはできなかった。
そしてうんともすんとも魔法の鍵は光ることはなく、何が魔法だとアスカはそれに吐き出す。
コツコツとなる足音。
アスカは思わず、耳を澄まし、格子から離れ、じりじりと後退する。
そして壁際まで進み、その背中に湿り気を感じるようになる。
「こんばんわ。」
「・・・・・・さっきの。」
「さっき・・・・・・ええ、申し遅れました。ワタクシ、アクテプティエレンと申します。何卒。」
男は、にこりとした表情を作りながら、アスカに向き合う。
「何卒ッて・・・・・なんか、何!いまどんな状況かわかってます?俺がどんな状況かわかっていってます!?」
「あなたはいま・・・・・・捕まってますね。ええ、そしてこれからプーベテートとかいうものを直してくれるのでしょう。長い付き合いになりますから、よろしくお願いします。」
「いやっ・・・・・なんかもう・・・・・はぁ・・・・・あなたその笑い方やめてくれません。気味が悪いんで。」
「ええ、分かりました。これからは真顔で行かせていただきます。そのかわり、アスカさんにも私の要望を聞いてもらいますよ。あなたではなく、アクテプティエレンです。民衆からは、アクティという愛称で呼ばれております。・・・・・何卒。」
「・・・・・・・・・・ええ。」
アスカは、そう返事をするとしばし頭を抱える。俯き、壁に身を預けながらずるずると腰を下ろしていく。
はぁという息遣いを二度三度吐き、再び目線あげる。
「ちっ!なんでいないんだよ。ほかにも聞きたいことあんのに。・・・・・ああ、もう!!」
ドン!!と壁が揺れ、滴るような滴が、雨となり降ってくる。
アスカは腫れる自分の握りこぶしを体全体で包み込み、暖めるようにそれを大事に大事に守っていく。
そうして、数時間が経ち、アスカは眠りに落ちていった。
夜なのかどうなのかは不明であったが、アスカの体が眠りたがったため、ひとまずその瞳が閉じたのだった。
ぽつり、ぽつりと滴がアスカの体を冷やしていった頃、再びコツコツという足音が地下牢で響き始める。
アスカはそれを感じ取る。そして目を開き、低い姿勢を保つ。
「こんばんわ、アスカさん。早速ですよ。ほら、この子。よろしくお願いします。」
アクティは一人の少年を連れている。
「?・・・・・・・どうしました?なにか、言ってはどうです?・・・・・・・やりたくないなんて言わせませんよ。これは命令ですから、あなたにはやる以外の選択肢はありません。受け入れましょう。どんなことでも、現実で起きていることがすべてです。あなたの主観はどうでもいい、ただ目の前のことを対処していればいいのです。それ以外は今の世界で意味は成しませんから。」
「ここじゃできない。それに、魔法の書がないとどうしようもない。ヌーアインシャテンって知ってるか?治療の段階で出るんだ。それを倒す必要が出てくるかもしれない。だから今の俺にはできない。たとえ倒す必要がなくても、魔法の書がないと彼らの鍵を閉められない。」
「ふむ、・・・・・・・・よくはわかりませんが、何かを倒すというのは、問題ないです。しかし治療が完遂できないというのは困る。しばしお待ちください。」
そう言ってアクティは、早足で戻っていった。
その間、アスカは牢屋越しにいる患者の頬を触る。白くて冷たい、そんな頬には血管が隠れずに見えている。
「俺が治して・・・・・そしたら君は戦争を選ぶのかい?」
少年からの返答はない。
イエレナよりは大きいよなと思いながらアスカは、その頭を撫でる。
「お待たせしました。これで間違いないですかな。」
アクティの両手は分厚い魔法の書を支えている。
「ちなみにですが、治療に必要な魔法はなんというものですか?」
「”フェアシュリーセント”・・・・・・・・だ。」
「ほう、ええと、どのページで、しょ、う、か。」
リズムよく紙が捲られていく。
そして、それは止まり、次には勢いのある音が鳴る。
「は?・・・・・・・おい、なに、何してんだよ。」
「なにって・・・・・見てわからなんですか。必要な魔法の部分だけ取り出してるんでよ。いや取り出すというよりは、破ってる、が見たまんまですかね。」
アスカは怒鳴る気も起きなかった。なによりも、平然と行われるこれまでになれるような心の働きが無意識に動いていた。
「アクティっていったっけ?まぁいい。もう・・・・・もういい。また一つ懸念を言うよ。俺が治しても、この子らが、国に協力的になるとは限らないぞ。」
「・・・・・それも問題ありません。人間は弱いですから。あまり舐めてはいけません。もし、あなたがこれまでの経験で、人の強さを知った気になっているのであれば、考えを改めた方が良いのかもしれません。あなたは本当を知らないのでしょう。」
「どうゆうことだよ?」
「あなたは、治療をしてきたのでしょうが、それは助けを求められたからでしょう?これは当たり前。本当に助けを求める人にほど、人の救済は届かないものなのですよ。」
「・・・・・・・・・・」
「まぁ、そんなことは頭に置いておいてもいいのかもしれません。ですから、この子が国のために働かないのではないかと国王は微塵もお思いにはなっていないでしょう。しかしまぁ、それよりも、治療に移りましょう。鍵は開けますから、変な気は起こさないように。・・・・・・あなたといた女性がどうなっても知りませんよ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・ああ。」
カチャッと音を立てて、牢が開かれる。
アスカは懐から鍵を取り出し、少年と向かい合う。
そしてアクティから束となる紙切れを渡される。無残に魔法の書から引き剥がされた数ページ。そこには、フェアシュリーセントと筆跡が残されている。
ひとつ指でなでると、漂うような黄金の木漏れ日が溢れ出てくる。
魔法の書から切り離されても問題はないようだ。
そっと指を話し、少年を見る。
ぐっと魔法の鍵を握りこむ、そうして少年の治療が始まる決意をする。
カチャ
心の世界は、その音ともに開かれるのだった。




