17.稲葉山城乗っ取り(後編)
稲葉山城。城下の街は「井口」と呼ばれており、城下町も含めて井口城と呼ぶ場合もある。
井口は長良川の水を引いた堀に囲まれ、これを橋で繋いで行き来ができるようにしていたが、今はその橋も壊され、街に入るには堀を泳いで渡るしかないようになっていた。
俺は木下様と別れ、井口ではなく直接稲葉山に入る手段を探した。街には俺の目的の人はいないはず。稲葉山の頂上にある天守に半兵衛様はいるはずだ。
城に侵入するのに、人一人くらいは意外と造作もない事だった。大人数だと移動する音も大きくなり見つかりやすくなるが、一人くらいだと意外と簡単。かなり傾斜はきついが、何とか天守に通じる尾根道に出ることができた。ここからは正面突破だ。
「尾張の無吉と申します。お願いいたします、竹中様にお会いできませぬでしょうか。」
俺は山頂の門を守る兵に話しかけた。門兵は餓鬼が居ることに驚き、追い返そうとしたが、俺の真剣な表情と只ならぬ雰囲気を感じて、確認しに中に入った。だがその後押し問答が続き、門前で騒いでいる所をごつい爺さんに見つかり、俺の名が「無吉」であることを知って、何故か通された。…どうやら半兵衛様から俺の名を聞いたことがあるようで、半兵衛様に報告されたようだ。そして連れて来いと言われたらしい。
爺さんに先導され館を歩き、奥の間に通された。広い部屋の上座にぽつんと一人の男が座っていた。
半兵衛様だ。…しかし、以前に見たお姿とは全く異なり、髪はバラバラで結われておらず、頬はこけ、目は虚ろ…。美男という言葉が全く当てはまらなくなっていた。
半兵衛様はゆっくりと首を動かし、俺に視線を向けた。
「無吉…何故来た?」
「竹中様、何故私を招き入れたのです!」
俺はすぐさま言い返した。半兵衛様は唇を噛みしめられた。
「…お前の名を聞いて、会いたくなった。」
「何故、稲葉山を襲ったのです?何故襲った後ここを退去しなかったのです?何故岳父である安藤様まで巻き込まれたのです!?」
「…質問ばかりだな。それに…どうやってこの城を取ったのかは聞いてくれぬのか?」
半兵衛様の生気のない言葉を俺は鼻息を荒くして吹き飛ばした。
「愚問です!」
半兵衛様は黙り込んだ。長い間黙り込んで、息をはくような声で言葉を紡ぎ出した。
「……己を…律することが、できなんだ。」
それだけ言うと、視線を落としやがて目を閉じ涙を流した。
俺を連れてきた爺さんが詳細を教えてくれた。この人は安藤伊賀守守就様であった。安藤様の娘が半兵衛様の室となっていたが、前年の戦の件に尾ひれがついて謀反の嫌疑がかけられたそうだ。半兵衛様は身の潔白を証明する為、弟と妻を質として稲葉山に差し出した。
だが、稲葉山城にいた龍興の直臣である斎藤飛騨守秀成により、弟とご内室は暴行を受けたそうだ。暴行は飛騨守以下数名の直臣が絡んでおり、ご内室を庇うため、女中の1人が命を落としている。
安藤様は俺に説明しながら、怒りが込み上げたのか床を殴りつけた。
俺は天井を見上げた。
状況は分かった。どうすればいい?俺は自問を繰り返す。史実では龍興が謝罪してこれを受けて返還したとも、若造でしかない竹中半兵衛に誰も同調せずやむなく返還したとも言われてる。
「…斎藤龍興に謝罪させましょう。」
俺の言葉に半兵衛様は生気のない目で見返す。
「暴行の一件を知らしめられませ。非は斎藤にあると。暴行に加わった一味の首と主である龍興の謝罪を求められませ。無ければ尾張にこの城を明け渡すと脅すのです。」
「…書いた。」
ぼそっと言って半兵衛様は紙を放り投げた。
「え?」
「お前が言ったこととほぼ同じ内容で書状を書きつけた。…しかしな、これを斎藤家が受け入れたとしても…私の気は晴れぬ。…それに私は織田家なんぞにこの城を明け渡す気などない。」
半兵衛様は相当気が病んでおられる。俺は半兵衛様の気を晴らすために龍興に謝罪させるのではない。
「本気で尾張に渡す必要はござりませぬ。それに…これは竹中様の気を晴らす為に行うのではありませぬ。竹中様のために、ここまで付いてきた安藤様を始め家臣の方々を生きてこの城から出られるようにするのです。」
竹中様は肯かれた。上の空といった表情ではあるが、俺の言った意味は理解されたようだ。放り投げた紙を拾い、中身を確認し、くしゃりと丸められると、筆を執り直して書状を書き直した。
・当主、斎藤龍興の名で謝罪文を竹中重治に書くこと
・暴行を加えた斎藤飛騨守を始めとする5名の首を差し出すこと
・竹中重治に従った者、及び安藤伊賀守について不問とすること
この三カ条が認められぬ場合は稲葉城および井口を織田上総介に引き渡す。
認められた場合は速やかに兵を城から引き、岩手の所領を返還する。
書状は安藤様によって城の外で騒ぎ立てていた斎藤龍興に届けられた。
稲葉山城の乗っ取りについてはほどなく周辺に知れ渡り、尾張の織田家もこれに乗じて兵を動かした。四千の兵が西と南から進軍したとの知らせが井口にも届き、井口を包囲していた斎藤軍は竹中重治の出した三カ条を飲むことで事態の収拾を急いだ。
俺は単独で稲葉山城に潜入し、半兵衛様と城を明け渡すまで、ずっと城の中で半兵衛様と共に過ごした。
けれど、半兵衛様の目に生気が戻ることはなかった。
「己を律する」
半兵衛様は、戦に感情は不要と言われていた。そしてそれを実践し、織田家を鮮やかに打ち破った。
だが、怒りに我を忘れ、城を占拠までしてしまった半兵衛様は、自分を許すことができないようで。
それは“生きたまま、死んだ”と表現しても良いくらいに気力を失われた。
似たようなことで師を失った俺はそんな半兵衛様を見捨てることができず、他国の者であるにも関わらず、半兵衛様を励まし続けた。
1564年2月
菩提山城主、竹中半兵衛重治が暴漢に襲われた弟、竹中久作の見舞いと称し、少数の手勢を率いて稲葉山城に登城。城内で突如刀を抜いて城番に襲い掛かり、城主の斎藤龍興、及び重臣は慌てて城を脱出。竹中乱心の報を受け、岳父である安藤伊賀守が説得に向かうも、井口に兵を展開し、これを占拠する。斎藤龍興は丸山砦に逃げ込み、そこから稲葉山を攻めるも竹中重治に撃退される。
竹中重治は斎藤龍興に謝罪と犯人の首と城内の兵の保証を要求するが、これを拒否。しかし、尾張より織田軍の美濃侵攻の報を受け、竹中重治の要求を受け入れる。
斎藤龍興は謝罪の文を書いた書状と、斎藤飛騨守以下5名の首を竹中重治に渡し、竹中重治、安藤伊賀守は稲葉山を下山し、井口から撤退した。
この事変に俺は一切登場していない。だが俺はそこにいたのだ。
そして、この事変は斎藤家の求心力を大幅に低下させたことを…肌で実感していた。
菩提山の領地は、斎藤家に返還され、領主竹中半兵衛重治は隠居した。竹中家の家臣は全て安藤家預かりとなった。
「無吉、私は死んだのだ。」
「全く…そのようですね。」
「だが感謝している。」
「餓鬼に対して感謝は不要です。それよりも何処に行かれるのですか?」
「…近江との境に小さな庵がある。そこで残りの時を過ごす。」
「もう、軍配を振るう気はございませんか?」
「無いな。胸が痛む。」
「では、これでお別れですね。」
「…うむ。」
俺はゆっくりと頭を下げて礼をし、その場を後にした。振り返ることはしなかった。…すれば、名残惜しそうに俺を見送る半兵衛様のお姿を見てしまうことになるから。
俺は思う。
未練タラタラじゃん!
稲葉山城乗っ取りについては諸説あり、筆者もどれが正確な内容なのかわかりませんでした。
なので、物語にしたら一番半兵衛の暗い過去となるように考えこのような内容に致しました。
この話は、正直賛否分かれるのではないかと思っております。
ですが、楽しく読んで頂ければと思います。




