18.母吉乃(前編)
※吉乃様のお話です。
生駒類については資料によって記述内容に相違があり、どれが正しいものなのかよくわかっていません。ものの本では、一生生駒屋敷から出ることはなかった、などとも書かれているほどです。
本物語では、そんな吉乃様に感情移入ができるようなお話がいいという筆者の想いで描きました。
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1564年5月-
年初の予定通り、犬山城攻めが行われた。
犬山の北部に位置する加治田の城が織田方に鞍替えしたことにより犬山城は孤立し、これを好機と見た信長様は、柴田様に犬山攻めを命じた。
織田方が小牧山より出陣したことを知った斎藤龍興はすぐさま犬山救援の軍を編成したが、兵は思うように集まらなかった。東美濃の国人が日和見の態度をとり、松倉城に駐留していた森隊で龍興の軍をけん制している間に、柴田隊を中心とした織田軍が犬山城を包囲した。
援軍の見込みなしと悟った織田信清は城を放棄して逃亡し、大きな損害もなく犬山城は織田家のものとなった。
これにより、織田家による東美濃への圧力は更に高まった。
「もう少し北に勢力を伸ばすことができれば、東美濃は瓦解する。」
信長様はこうおっしゃられ、柴田隊の次の標的が金山城と決められた。
その矢先である。
吉乃様ご重篤。
信長様は柴田隊を残し、清洲に帰還された。
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俺は、小折(生駒家の居城)と洲股を行き来する日々を送っていた。ある時家長様に呼ばれ、登城すると、家長様は馬に乗り出立する直前であった。
「無吉!乗れ!説明は道中でする!」
只ならぬ雰囲気を感じ、俺は家長様の馬に跨った。家長様を乗せた馬は南へと走った。そして、向かう先とその理由を聞き、目の前が真っ暗になった。
「無吉、類の子が流れた。類も危ういらしい。」
「な!?」
「先ほど御台様の使いが来られて知った。“穢れ”が酷く、俺の屋敷に移されたそうだ。」
俺は“穢れ”の意味は分かっていなかった。生駒屋敷で舞さんに聞いて、医学の未発達の世界であることを本当に呪った。
女性は出産時に少なからず血を流すことから、穢れの対象として見られてきた。この時代に置いても出産間近には実家に戻り、そこで夫から距離を置くようにするのが通例だそうだ。だが、これは予定された穢れであるため、子が生まれて落ち着いたら夫の元に戻れる。
では、予定外の穢れは?
屋敷に到着した家長様はすぐさま吉乃様がおられる部屋へと向かった。屋敷の女中が「穢れまする!」と止めようとしたが、強引に押しのけて俺と部屋に入った。
部屋では、舞さんの看病で寝床に着く吉乃様がおられた。出血が酷かったのか顔は青白く、一目で貧血の状態であることが見て取れた。
「吉乃様!」
俺は思わず声をあげた。俺の声に反応し吉乃様がこちらを向いた。
「…兄上…様。…無吉…。」
にこりとだけすると、疲れたように目を閉じる。舞さんが慌てて家長様を部屋から押し出した。
「ご心配なのは重々承知致しますが、ここは穢れが漂う場所です!お控えください!」
文句を言う家長様を追い出して衾を閉めた舞さんは振り返って俺を見た。何か言いにくそうな表情でじっと見つめる。
「…無吉、あんたには悪いけど、吉乃様の世話を一緒に頼みたいの。」
流産してしまった女性は「穢れ」の対象と見なされてしまい、男衆からは遠ざけられる。酷い時には家内全体からも遠ざけられ、吉乃様は女房衆から遠ざけられた形だった。当然、奇妙丸様も茶筅丸様も徳姫様からも遠ざけられてしまい、世話係も舞さん一人だそうだ。
信長様ですら、お会いすることを避け、文を寄越して吉乃様を気遣った程。この時代の常識とはいえ、酷いものだと俺は憤った。
そんな中俺は、生駒屋敷で吉乃様の世話係となった。きっと佐脇藤八様あたりが「下賤なるあ奴ならではの仕事!お似合いだわ!」などと喚いていることだろう。「穢れ」を世話する者となった俺は暫く奇妙丸様とお会いできぬであろうが、今は吉乃様を…お助けせねばならぬ。
数日経過し、吉乃様の容態が安定したので、実家への移動となった。もちろん吉乃様は歩くことなどできず、神人を雇い、輿に乗っての移動である。家長様を先頭に、護衛の兵と舞さんと俺。目立たぬように早朝の出発であった。
城下の街を出る間際で、堀の対岸に人を見つけた。亀さんだ。亀さんは俺が気づいた事に気づき、手を振る。彼女の側には3人の子供がいた。
「…吉乃様。戸を少しお開け下さい。奇妙丸様、茶筅丸様、徳姫様がおられます。」
輿の小窓が開き、吉乃様が青い顔を覗かせた。そして弱々しく微笑む。
「…3人共元気そうですね。」
「はい。吉乃様も早く“穢れ”を祓い、清洲に戻りましょう。あ、弱気な返事は不要です。」
「はい…無吉。舞も頼りにしてます。」
俺は舞さんと目を見合わせて肯いた。そして一呼吸おいてから俺は、ずっとこちらを見ている三人に向かって膝を付き、深々と頭を下げた。
(母上を頼む。)
(必ずや元気なお姿を奇妙丸様にお見せします。)
ご主君とそんな会話をした気がして俺は気を引き締め、清洲を後にした。
小折に着く手前にある丘の上で馬に乗った武士を見かけた。家長様が立ち止まり無言で会釈する。馬上の男は無言で近付き、輿の前で馬を止めた。馬の荒い鼻息を聞いた吉乃様がどうしたのかと小窓を開け、目を見張る。
「……殿…。」
馬上の武士は信長様であった。どうやらお忍びでここまで来られたようだ。信長様は吉乃様の青白いお顔を見て渋い顔をする。
「…顔色が悪いの。食があまり進まぬと聞いておるが、食わねば治らぬぞ。病は気が大事じゃ。弱気な顔していては邪気も祓えん。」
「…はい。」
「…早う“穢れ”を祓うが良い。でないと……儂が…儂が迎えに行けぬ。」
「…はい。」
「お前にも、美濃の景色を見せてやる。…だから早う治せ。」
「…はい。…ぐすっ」
「泣く元気があるのならば心配ない。…待っておるぞ、類。」
吉乃様はコクリと肯いた。信長様も肯いて、俺と舞を見やった。
「…頼んだぞ。」
それだけ言うと馬首を返し、信長様は小牧山への道を走り去った。
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思えば小折での生活が一番幸せだったのかもしれない。
清洲や洲股では、二重三重の仕事を渡され、毎日ヒイヒイ言っていたが、小折では吉乃様のお世話のみの生活で、充実している感じがした。
吉乃様は足と腰を悪くされ、一日中部屋で過ごされる日々であったが、それでも体調が良い日は、舞さんと三人で会話を楽しんだりとゆったりとした時間を過ごせたと思う。
だが、三人はどこかでわかっていたのだろう。この生活が永遠の別れへと続く最後の時であると言うことに。
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1565年元旦。
今年の元旦は吉乃様と舞様の三人だけとなった。
体調の回復しない吉乃様はまだ“穢れ”と見なされ更には俺がいるせいで「憑き物」に冒されているとまで言われているそうだ。だが、ここに居る三人はそのことについてはまるで気にしない。
ここだけが違う世界であるかのように、時には楽しく、時には苦しい日々を過ごしてきたのだ。
「奇妙丸様からの文が届きました。」
そう言って俺は家長様より預かった紙を吉乃様にお渡しした。舞さんに手伝われて布団から起き上がった吉乃様は文を広げて読み、嬉しそうな表情をした。
「無吉、見なさい。奇妙様も、茶筅もこんなに綺麗な字を書く様になりましたよ。…これは徳でしょうね。まだ幼さが感じられるわね。」
時の上達ぶりを見て三人の成長を確認した吉乃様。嬉しそうではあるが、徐々に体力が衰えており、寝たきりの日も多くなっていた。それでも俺は懸命に世話をする。回復する日が来るのを願って。
1564年5月。
京で事変が起きた。
足利の将軍様が、畿内を制する三好家によって誅殺された。
これまで、何度も脅されては近江に逃げたりしていた13代将軍の足利義輝様が畿内を掌握していた三好家に襲われ、抵抗むなしく命を落とされた。
小牧山で軍議が行われ、その結果を家長様にお聞きしたのだが、軍議ではこの事変に対し織田家としてどういう態度で挑むべきかが話し合わされたそうだ。
結果は、傍観。
家臣たちは幕府の必要性について、重要視していないようで、近江から合力要請があったとしても断るべきと言う意見で一致したそうだ。信長様は家臣の意見を尊重して、傍観で決定となり、丹羽様からお話を聞いた。
だが将軍様を弑逆された三好家の思惑が情報不足で不透明な為、畿内の情勢変化を見極めるためにも、誰かを京に送り込むことになり、古渡様が京へと向かうことになったらしい。
一通り家長様からお話をお聞きしたが、俺は何も思うことは無かった。今の俺には周囲の情勢などはどうでもよく、ただただ吉乃様と過ごす日々を噛みしめるので精一杯であった。
※鎌倉・室町の時代は出産した女性に対する扱いは案外酷かったそうです。それは、出産時に血を流す為、穢れの対象として特に戦の前には忌避されていました。流産した女性は特に出血がひどくて余計に忌避されたと思われます。
戦乱の世になってもその悪習は続いており、子供さえ生まれれば後は知らんぷりなんかもあったそうです。しかし、秀吉が天下を統一する頃には廃れ始めております。確か小田原攻めの時に茶々を連れて来たりしてますものね。
神人:神社に隷属する下級の神職者の事を言います。室町の時代には、その意味は広がり、催事・揉め事を調停するための供物(生贄です)用の浮浪者や、神社が抱える職人・商人も神人と言ったそうです。




