4.再び牢へ
1580年2月11日、三木城は別所家当主の長治の切腹を条件に開城した。羽柴様は長治の切腹を見届け、長治を誑かしたとして重臣を何人か処刑した。反抗した相手に甘い仕置きだと思われるが、後背に宇喜多家、毛利家が控えている以上、恩を売って味方とすべき、と羽柴様が考えられたそうだ。
別所長治の死は、一日たって毛利側にも伝わったようで、明石の海峡に集まった毛利水軍のうち、小早川直轄の兵が撤退を始めた。羽柴様がこれに追随するように海岸沿いに五千ほどで追いかけたが、宇喜多水軍から攻撃を受けて撤退。原田様は伊予攻略の目的のため、作戦を変更することにした。自軍を囮にして村上水軍を引きつけその間に陸路で長曾我部軍が伊予に攻め込む作戦にした。その準備を進めるべく原田様は阿波に向かわれた。原田水軍の撤退を見届けた村上水軍も明石から引き揚げ、一旦播磨の戦は収束した。俺たちは刀を抜くことすらせずに役目を終えた。
三木城南の丘で待機中の俺たちに羽柴様からの書状が届く。届けてきたのは官兵衛殿だ。申し訳なさそうな表情で書状を渡し俺は中身を読む。「援軍として参加したことに感謝はするが、特筆した活躍もなく我らだけで落城させた故、論功の報告も出さないので勝手に引き上げてください。」的な内容を美辞麗句に置き換えて書いてあり、俺と庄九郎は苦笑した。
ご希望通り俺たちは羽柴様に挨拶をすることなく畿内への引き上げ要請に応じて、官兵衛殿にだけ挨拶して帰路についた。退陣中は何かと会話をしていた庄九郎とも枚方で別れを告げ、居城淀に向かう。その途中で百姓に扮した本多弥八郎と出会った。
「弥八郎、そのような恰好でどうした?」
俺は無言で通り道の真ん中で平伏する弥八郎に声を掛けるが、じっと黙って頭を下げていることに只ならぬ雰囲気を感じ、周囲の兵に下がるよう言って、下馬して弥八郎を立たせた。
「どうした?」
小声での俺の問いかけに弥八郎は口惜しそうな表情を浮かべた。
「……殿に内通の嫌疑が掛けられております。」
俺は驚いたが、日頃から恨まれることも多かったため、そこまで衝撃的なわけではなく、冷静に聞き返す。
「お前がわざわざここまで来て先に知らせようとするからには、なかなか面白き内容であろうな。」
俺は木陰で休息をとりつつ、弥八郎からの報告を聞いた。
話は三日前になる。突然三千の兵に囲まれ淀城は蒲生家の旗で埋め尽くされた。淀城はあっという間に占領され、家臣一同は捕らえられた。弥八郎は私用で城外に出ており、城から脱出してきた平井孫市から話を聞いて俺に報告しにここまで来たそうだ。嫌疑の内容についてまでは聞いていないそうだ。
「孫市は?」
「城下町に戻り潜伏しております。」
「連れてこい。どういう嫌疑かわからぬが、こういう時は大人しく蒲生様の指示に従うべきだ。」
俺は弥八郎に指示を出し、兵の武装も解除して淀に向かった。途中で蒲生様の旗を掲げる一団と遭遇し、そのまま彼らに下る。俺は鎧兜を剥がされ大太刀も取り上げられ両手も後ろで縛られて淀城まで送られた。
罪人のような恰好で自城に入る。…なんか屈辱的だ。だが、前の様な過ちは起こさない。怒りに任せて行動すれば周囲を悲しませる。俺は配下の者に手を出すことを固く禁じて屋敷に入った。
屋敷では、蒲生左兵衛大夫様と忠三郎、そして大橋与三衛門が俺の帰城を待っていた。俺は縛られたまま大部屋の下座に座らされた。二人の武士が槍を構えて俺の後ろに立った。
蒲生様はじっと俺を睨みつけ、忠三郎は青白い顔で俺を見つめる。与左衛門は目を閉じて腕を組んで座っていた。
「……皆は下がれ。」
蒲生様にしては重苦しい声で室内の兵に命じる。兵たちは一瞬顔を見合わたがすぐに部屋から出て行った。庭先を囲んでいた兵の気配も遠ざかる。
「吉十郎殿、すまぬな。これでも丁重に迎えるよう命じていたのだがな。」
一転して穏やかな言葉に、俺は何らかの事情があることを察した。
「家臣たちは無事に御座いますか?」
「今は離れで大人しくしてもらって居る。皆お前の命令を大人しく守っておるよ。」
俺はホッとする。淀には大和若衆も含めて先走りやすい奴らばかりだからな。とにかくここは大人しく訳を聞こう。
蒲生様はここに来た経緯を説明した。明智様の報告により、有岡城に定期的に兵糧が運び込まれているということが分かりその輩を捕らえて手に入れた文に俺の名前があったことを受けて密かに淀城を監視していたそうだ。…まずいな。安井市右衛門に依頼して服部殿に届ける荷車を見られた可能性がある。調べてもらえれば目的はわかるだろうが…。
「お前は服部殿に米や銭を渡して公家衆にばら撒かせていたことになっておる。」
……は?
「服部殿を捕らえ問い質しておるが「自らの意思で行っているだけだ」とお主の事もばら撒いた先も言わんのだ。」
……おいおい、それ悪手じゃん?
「受け取った公家は何人か判明しているが、皆知らぬ存ぜぬで通しておってな。」
……ふ、負の連鎖になってない?
「大殿も、明智殿の書状だけであれば信じなかったのだがな…事実がある以上何もせぬわけにはいかず、儂が迎えに来たのじゃがな。」
……迎えの規模が大きすぎますよ。
「因みに明智殿はお主に対しかなりの不信感を抱いておる。昔から遠望すぎるお主への警戒もあったやも知れぬ。我らのお主への態度が気になっておったのかもしれぬ。…いろいろと重なってお主を織田家を内側から食い破らんとする悪人とすることで自らを納得させようとしておるようじゃ。」
俺は項垂れた。播磨に行く前に明智様にお会いしたが、その時は穏やかさの面影はなかったものの俺に不信の目は向けていなかった。俺の名が書いてある文を見つけたのはその後ということになるが、あの聡明な明智様がそれだけで俺を謀反人扱いするとは到底思えない。…やはり信長様との確執でストレスを抱えており、そこに誰かから付け込まれたとしか思いようがない。
「…吉十郎。」
見上げると忠三郎が心配そうな表情で俺を見ている。与三衛門が俯き肩を震わせている。…これ以上の迷惑はかけられぬ。
「吉十郎、殿も早まった真似はするなと仰せだ。」
与左衛門が涙目に鳴りながらも俺に話しかけてきた。俺は無言で、だが力強く頷く。意を決して蒲生様に話しかけた。
「蒲生様は某の名が書かれた書状は?」
「見た。確かに“久保田忠輝”の名があり、何人かがお主の字によく似ていると証言した。」
…“津田”ではなく“久保田”の姓を使っている?久保田の名で畿内での活動は少ない。機内では鬼面のほうが動きやすいからな。なのに久保田の名で荒木村重との結びつきというのはやや強引だ。ここに弁明と謎解明の余地がある。
「摂津の荒木村重に“久保田吉十郎”が通じているというのは些か無理があるのでは?」
「だが、お主はこの淀に居城を構えておる。」
「それは吉十郎と九郎が同一人物であることを知っているから結び付けられるのです。」
「ふむ。」
「某は尾張追放後に“鬼面九郎”の名で畿内におりましたが、摂津との接点は淀城を頂いてからです。また“生駒”“池田”“久保田”の名で荒木村重と直接対面したことも御座いません。」
「公家衆を通じては?」
「半蔵殿には私の名は伏せさせています。また、久保田の名で公家衆と直接対話したことも御座いませぬ。」
「では服部殿に何故兵糧を?」
「京都警備の者として活動しやすくさせるため。公家衆に物銭で釣っておき、村井様とは別で行動ができるようにさせるために御座います。」
…さすがに本能寺の変対策とは言えない。
「村井殿は此度のお主の活動に怒っておったぞ。」
そりゃそうだ。組織上は半蔵殿は村井様の部下だ。俺が横から勝手に半蔵殿に小遣いを渡してたらそりゃ怒るよ。だが論点をそこに持っていかれては困る。
「京の警備強化は我らの急務と考えておりました。半蔵殿のために行っていたのです。だから半蔵殿も某に迷惑をかけられぬと黙っておるのです。村重への書状は“久保田”の名ですが、半蔵殿の件は“鬼面”の名です。この二つを結び付けられるのは」
「わかっておる。明智殿だから結び付けることができたと言いたいのじゃろ?」
「いえ、某を陥れようとしている者がその事実を知っている者だと言いたいのです。」
蒲生様は腕を組んで考え込んだ。
「某が久保田であることを知っている外部の者はいないはず。知っていたとしても、畿内の者と結びつけるのではなく、武田や徳川、北條と結びつけるのが妥当でしょう。」
喋りながら俺は気づいた。なぜ久保田の名で村重に書状を送っていたのか。誰かに偽の書状を持たせる理由はただ一つ。その書状を奪わせるため。つまり、明智様に奪わせて書状の中身を見てもらうためだ。その目的は二通り考えられる。一つは俺を陥れるため。だがこれには無理がある。淀にいる俺を陥れるのであれば“津田九郎”の名を使うべきだ。偶々明智様が吉十郎=九郎と知っているからこうなったが、そうでなかったら久保田の名を使っても怪しまれるだけだ。つまり、犯人は吉十郎=九郎と知っていて、且つ明智様も知っていることを知っている人物…。
そうなると、内部の人間しか考えられない。
そして目的は俺を陥れることではなく、明智様に疑心を植え付けるためのもの。
それから蒲生様といくつかの会話を重ね、俺は再び織田家に捕らわれの身となった。
淀城に出仕していた者は蒲生様に預けられ、淀城は蒲生家臣の者が城番をすることになる。明智様の軍に出向していた二人も淀に送り返され蒲生様預かりとなった。岐阜の屋敷にいた者も拘束されて地下牢へ。女房衆は塩川様預かりとなった。そして俺は安土に連行され西門近くの寺に作られた牢に服部殿と一緒に入れられた。
「四度目の牢か…。」
俺のつぶやきに服部殿は驚きの表情を見せた。鬼面のなくなった俺の顔をじっと見て天井に視線を移した。
「鬼面殿の正体が、左近衛中将様(信忠のこと)のご家臣であったとは…。」
そんなしみじみと言われるとすごい罪悪感に感じる。
「勘九郎様の家臣として活動し、大殿の直臣としても活動する。時と場合と相手によって使い分けられて便利であったのだがな。」
「某の頑なな態度のせいで…申し訳ござらぬ。」
「いや、半蔵殿は運が悪かったのだ。本来の目的は半蔵殿でもなく、鬼面九郎でもなく、久保田吉十郎でもない。明智様なのだ。」
半蔵殿は目を見開く。暇だし、見張りもいないから話してみるか。俺は事の経緯を説明し、自分の考えも説明して意見を求めた。半蔵殿は目を閉じて考え込んでいたが暫くして目を開けた。
「何やら複雑に絡み合っておりますな。これらを一つ一つ解していかねば…真実は見えてきませぬ。」
半蔵殿は辺りを見回し、小石をいくつか拾った。その中からひと際大きな石を俺の前に置き、小石を周辺にちりばめるように置いた。
「これを織田家と致します。故郷を追われた伊賀者は主君の仇のため、あるいは生活のために各地に散らばります。」
言いながら半蔵殿は周辺の小石に指で触れていく。
「それは必然的に織田家に敵対している諸侯となり、それぞれが新しい主のために活動し始めました。…私が身を置いていた本願寺には植田、須田といった伊賀者がおりました。」
…ん?なんか違和感があるな。伊賀者が各勢力を取りまとめていたと思っていたのだが、半蔵殿の話では伊賀者は各勢力にバラバラに取り込まれているように聞こえたが?
「伊賀者が各地に散らばったのは個々の事情です。そこで新たな主に仕えるにあたり、他家に仕えた同胞と自家都合で連携したと聞いております。」
それで織田家包囲網を作り上げたというのか!?ということは、第三次織田家包囲網は首謀者が誰というわけでもなく、各諸侯の思惑が一致してそれを伊賀者がうまく連携したということになる!それなら、その後の織田家の反撃にぐだぐだな対応になり、上杉家、武田家、徳川家、本願寺は個別に退場することになった結果に納得がいく。当然だ。主導者がいないのだから連携はできても連動ができない。結局織田家の脅威となりえたのは最初だけ。ん~最初の時点でこのカラクリが判っていたらもっとやり様があったのに…言っても栓無き事か。
「ですが伊賀者からは“久保田吉十郎”の名は聞いておりました。……我らを貶めたる非道者、許すまじ…と。」
…そうでしたね。俺は「大和仕置き」で道意様と大和衆伊賀衆を誑かした極悪人でした。
てことは、今回はその伊賀者によって仕組まれたのか?
「だが、その伊賀者らは俺を失脚させるだけで満足するであろうか?」
半蔵殿は首を振った。…だと思うがちょっと怖いな。
「ですが、此度の騒動で鬼面が久保田様であることを知ったはずです。」
てことは、俺がここから復帰した後も危険と言うことか。それはそれでちびりそうだ。
だが半蔵殿の考えでは、俺の偽書状の件は伊賀者である可能性は低い。…では誰が?
別所家:史実では家族もろとも処刑されています。




