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二十二話 王の器

 和睦の会談は、カルダニア王の罠であったらしい。


 会談の場所へ向かう道中で、ジェスタとバーニは王軍からの奇襲を受けた。

 罠であるという可能性は、バーニも当然考慮していた。

 警戒も怠ってはいなかった。


 しかしながら、相手が悪かった。


 敵の部隊を率いていたのはカルダモン将軍。

 カルダニア軍の最高位にある者だった。


 何とか相手の包囲を破って散り散りに逃げたが、カルダモン将軍は単身でジェスタを追ってきた。

 そして、ジェスタを追い詰め殺した。


 バーニはその様子を克明に、弁舌を尽くして事細やかに私達へ伝えた。

 無論、そこにはアーリアもいる。


「これが、事の経緯です。遺体の回収はままなりませんでした」


 会議用テントの中。

 事の次第を語り終えると、バーニは最後にそう締めくくった。


 アーリアはバーニの状況説明を黙ったまま聞いていた。


 出会ってからそれほど時間が経つわけではない。

 親しく付き合っていたわけでもない間柄ではある。

 しかしそれでも、彼の死に私は衝撃を受けていた。

 悲しさも覚えている。


 私ですらそうなのだから、彼女の心中はどうなっている事だろう?

 私はそう思い、アーリアを見た。


 少なくとも表面上は平然としているように思える。

 私は視線をバルダンに移す。


「間違いありませんか?」


 バーニの説明に相違ないか、確認のために訊ねた。


「はい。間違い、ございません」


 跪いたまま、バルダンは搾り出すような声で答えた。


 ふぅん……。


 私はアーリアへ目を向ける。


 報告を聞く間、常に毅然とした態度を崩さなかったアーリア。

 しかし、今回ばかりはそれも保てないのかもしれない。

 そう思っていたが、不意に彼女は顔を上げた。


「……わかった。ありがとう」


 バーニを見据え、震える声で礼を言う。

 その顔には、ぎこちなくも笑みすら湛えていた。


「軍師殿も疲れただろう。もう、休んでほしい」

「……恐れながら」


 答え、バーニはテントを後にした。

 バルダンもそれに続いて出て行く。


 私は普段通りに振舞おうとするアーリアをうかがう。


 彼女は大丈夫だろうか?

 それが心配だった。

 いや、疑問に思うまでも無く大丈夫ではないだろう。


 バーニは会談へ向かう前、覚悟を決めろとアーリアに促した。

 しかし、バーニは今それを求めようとしなかった。


 それは彼なりの労わりだったのか……。


 けれど、アーリアはその覚悟を決めて行動に移そうとしているのかもしれない。

 これから、反乱軍を率いていくという覚悟を……。


 アーリアは私に向き直ると――


「コルヴォ先生。私は、王になります。王になって兄上の志を継ぎ、この国に平穏をもたらしたいと思います。だから先生……私の味方でいてください」


 毅然と語り、宣言し、そして最後には懇願するように彼女は私へ言った。


「この力が及ぶ限り、私はあなたを守ります」


 私はそう答えた。




 夜になってから、アーリアはテントを出て行った。


「ここまできて、こんな事になるなんてね……」


 アードラーがそう口にする。


「私達の任務は王族を守る事……。判断が難しいね。どうするべきかな?」


 亡命させるべきなのか、このまま王都を攻めるべきなのか……。

 現政権の転覆が可能なら、その方が都合は良いのかもしれない。

 けれど、それで王族アーリアが命を落とすような事になっては本末転倒だ。


 新たな王には、アールネスとの和平を望む人間に就いてもらわなくてはならない。

 でなければ、私達がここに来た意味は無い。


 判断の難しい所だ。

 どうするべきだろう。


「……たすけてあげてほしい」


 不意に、横から声が聞こえた。

 見ると、すずめちゃんがこっちを見上げていた。


 私としても、できるならアーリアの望む通りにしてあげたい……。

 でも、安全に事を運ぶならば亡命させた方がいい。


 私はすずめちゃんにしっかりとした答えを返せなかった。


「ちょっと外に出てくる」


 私は逃げるようにテントを出た。

 その足は野営地の外へ向かう。


 多分、今日も彼女はどこかで鍛錬を行っているだろう。

 予想は当たり、彼女は闇の中で棍棒を振っていた。


 テントを出てずっと鍛錬していたのかもしれない。

 彼女は汗にまみれである。


 前のように落ち込んで座り込んでいるかと思ったが、今回はそうではなかった。

 一心不乱に棍棒を振り続けていた。


「アーリア様」


 声をかけると、彼女は動きを止めてこちらを見た。


「先生」

「あれからずっと?」

「はい。不安を紛らわせたかったので……」


 やっぱり、不安があるか。

 いや、不安だけで済むだろうか?


 悲しみはもちろんある。


 そして兄が死んだのも束の間、その意志を継いで反乱軍を指揮しなくてはならなくなった。

 悲しみだけでなく、重責まで抱え込んでしまったのだ。

 それはあまりにも大きすぎる。


 その重責から、逃げ出したいと思っても当然ではないか。


「逃げる事だってできるんですよ?」


 私はアーリアにそう言った。

 そんな重責を負う必要はないのだと、私はそう示した。


 もし彼女が何もかもを捨てて逃げ出したいと願うなら、アールネスへと連れ帰るつもりだ。


 すると彼女は苦笑する。


「それはできません。私にはもう、止まる事を許されなくなった。立ち止まってしまいたくても、動き続けなければ……。私には、皆を見捨てる事なんてできませんから」


 はっきりと答えた。


「そうですか……。立派な決意です。本当に立派な……」


 私が迷うまでも無く、彼女は進退を決めていた。

 少しでも迷いがあるなら、私は彼女を連れ帰っていたかもしれない。

 でもそう言われてしまえば、私も彼女の決意に報いる形で協力したくなる。


「そう言ってもらえるなら、嬉しいです。私は、王にならなくてはならないのですから」


 彼女は笑う。

 子供っぽい、無邪気な笑みだ。


 不意に、その笑みが曇る。


「でも、私に兄のような器があるでしょうか? 皆を率いる器が……。王となる器が……」


 どう答えるべきなのか。

 しばし悩み、答える。


「私には、王の器という物はわかりません。ただ、人としての器なら少しわかります。それが、王にとって必要な物と同じかはわかりませんが」

「構いません。聞かせてください」

「では、僭越ながら。私は人の器の大きさとは、使える物差しの種類の違いだと思います」

「物差し?」

「器の小さな者は、自分の物差しでしか物事を計る事ができない。自分の尺度でしか物を知れず、他人を慮る事ができない。しかし、器の大きな者は他人の物差しで多くの物を測る事ができるのです」


 自分の尺度でしか物を見られない人間は人を思い遣れない。

 しかし、他人の尺度で物を見る事のできる人間は人を思い遣る事ができる。


 つまり、他人を正しく理解できる事、それが器の大きさだと私は思っている。


「貴い身分であれば、その器を育む事も難しいでしょう。しかし、あなたはしっかりと人としての器を育んでいるように思える。人として大きな器があるのなら、そこに王としての器を取り込んでしまうのもいいかもしれません」

「そんな事ができるのですか?」

「……すみません。適当な事を言いました」

「もうっ」


 彼女の表情が少しだけ和らいだ。


「でも、先生の言うそれは、先生が私の至らなさを教えてくださったからです。でなければ、私は他人の事に心を割く事もしなかったでしょう。私に器があるというのなら、それは先生の教えがあったからですよ」

「言っても聞かない人間だっています。あなたの今は、あなた自身に素養があったからこそ得られたものです。誇っていいと思いますよ」

「先生は、慰めるのが上手ですね」

「そういうつもりで言ったわけじゃありませんが」

「……そうですか。でも私は、慰められましたよ。もう少し、頑張れそうな気がします」


 その言葉を証明するように、彼女は笑みを作った。


 良かった、と思うべきだろうか?


 どうして、こんな時に泣かないの?

 いつもはすぐに、涙を流すのに……。

 どうして……。


 しかし……。

 私はふと、バーニからの報告を思い出す。


 ここでジェスタが死ぬとは思わなかった。

 本当に思いがけない事だ。

 だって……。


 ジェスタはカルダモン将軍に殺された、か……。

 機会があるなら、その時の話を是非将軍の口から聞きたいものだ。




 翌日。

 アーリアは反乱軍の全員を前にして、演説を行った。


 それは新たな指導者を皆に示すための物であるが、それだけではない。


 ジェスタの訃報はすでに反乱軍全体へと伝わっており、そこに不安を覚えている者は多かった。

 それに伴う士気の低下は火を見るよりも明らかで、その士気低下を考慮しての事である。

 これを放置しては、せっかく集まった志願兵も散逸する可能性があった。

 現に、ジェスタの訃報によって逃げ出した兵士も幾人かいる。


 だからアーリアは、新しい指導者としてここで反乱軍が磐石である事を示す必要があった。


 壇上から並ぶ兵を前に、アーリアは一度息を呑んだ。

 その様子を、私は彼女の後ろから見詰める。


 一度深呼吸し、アーリアは声を発する。


「もう皆、耳にしていると思うが、私の兄であるジェスタが亡くなった。カルダニア王軍による卑劣なだまし討ちによるものだ」


 よく通る声でそう告げると、兵士達の間にざわめきが起こる。


「だからこれからは、兄に代わり私が皆を率いていく事になる。皆の不安はもっともだ。私は兄と比べて、頼りないと思うかもしれない。確かにそれは事実でもある」


 そこまで言って、アーリアは一度言葉を切った。

 兵士達を見回し、それから言葉を続ける。


「だが、私は知っている。皆の願いを……。何を思い、何を求め、そしてここに集ってくれたのか……。それを私は知っている。そしてその願いは、今一歩の所で叶おうとしている!」


 アーリアは強い口調で言い放った。


「頼りない私ではあるが、だからこそあと少しで届くその願いを叶えるため、皆には力を貸してほしい! そなた達が兄に見た希望、そして兄の目指したこころざしは私が継いで行く!」


 壇上の彼女を見る目の多くが、いつしか熱を持っていた。

 誰もが顔を上げ、そこからはジェスタを失った絶望が払拭されつつあった。

 彼女の言葉が、彼らの心を揺さぶったのだ。

 その証明だろう。


 彼らにとってまさしく、彼女は今本物の希望になったのだろう。


「この国に布を敷くように平穏を行渡らせる! その未来へとこれからは私が導いていく! そのために、非力な私を助けて欲しい! そして共に行こう、皆が願った未来へと!」


 熱のこもった彼女の言葉に、兵士達の間からおおっ! と賛同の音声おんじょうが返ってくる。


「目指すは王都! そこさえ落とせば、私達は平穏を得られるのだ!」


 最後にアーリアが王都の方角を指し示して言うと、さきほど以上の大歓声が兵士達の間から上がった。


 演説は成功である。


 アーリアは小さく息を吐く。

 兵士達に背を向けて、私の方へ近づいてきた。


「どうでしたか?」

「これ以上無い最高の結果だと思いますよ」


 答えると、彼女は笑顔を作った。

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