十九話 奇襲と奇襲
私達の前には、百名の敵兵がいた。
どうやら、考える事は敵も同じだったらしい。
このまま行かせれば、敵兵の行き着く所は反乱軍の背後だ。
そんな敵部隊との遭遇によって、私達の部隊の緊張は一層に高まり、そして緊張は混乱へと変じようとしていた。
そんな部隊の雰囲気を肌で感じ取る。
早くそれを静めなくてはならないが……。
アーリアを見れば、何とか平静でいようとしているが余裕はなさそうだった。
指揮を取れる状態ではない。
「防御陣形!」
私はアーリアに代わり、声を張り上げた。
アーリアは私を一度見て、自分の顔を両手で叩いた。
「皆、防御陣形を取れ! 今まで練習してきた通りだ!」
自分に渇を入れ、号令を発する。
混乱に陥りかけていた兵士達は、その号令で完全ではないにしろ少しは冷静さを取り戻したようだ。
何をしていいかわからない状態より、とりあえずでも指針を示してもらった方がまだマシだ。
その間も、敵の部隊はこちらへゆっくりと向かってくる。
見ると、敵歩兵の中で一人だけ馬上の人物がいた。
私はその人物を一度目にしていた。
ユリウス将軍である。
緩やかな薄い金髪で、表情は柔らかく目は垂れ気味である。
顔つきはあまり祖父に似ていないようだ。
でも、眉の形は似ている。
だとすれば、この部隊はあの時砦内にいた部隊だ。
砦前に展開していなかったのは、別働隊として動くつもりだったからだ。
ユリウス将軍の率いる兵士達は急な接敵であるにも関わらず、落ち着きを保っている。
「駆け足止め! 陣形を崩さず、緩やかに行進!」
高い声が岩場に響く。
ユリウス将軍の号令だ。
その声で敵の兵士達は陣形を保ったまま一定の速度でこちらに近づいてくる。
やはり、こちらとは錬度が違う。
互いがぶつかれば、こちらは容易く蹴散らされてしまうだろう。
しかし、一気に突撃してこないのは何故だろう?
何か狙いがあるのか……。
それとも将軍の性格だろうか?
私は馬を歩ませ、部隊の前へ出る。
「先生?」
「数の差が大きすぎます。このままでは持ちこたえられないでしょう。その上、新兵達では敵の数を減らす事は期待できない……。なら、減らす役目は私が担います」
言って、私は馬を歩ませる。
まぁ、私一人で減らせる人員などたかが知れているだろうが。
相手を混乱させる事ぐらいはできる。
混乱した相手なら、新兵でも相手できるかもしれない。
「なら、私も!」
「あなたはご自分の立場をもっと理解し、貴びなさい」
ついてこようとしたアーリアをその言葉で留まらせる。
私は鐙に結んでいた棍棒を右手に、左手で手綱を持って馬を駆けさせた。
敵陣の少し前で止まる。
敵の兵士達が槍をこちらへ向けた。
それでも、迫ってくる事はない。
抑えがよく利いている。
馬を反転させ、相手が進むのに合わせて、私も一定の距離を保ちながら馬を同じ方向へ歩ませる。
「ユリウス将軍。一騎討ちなんてどうだろう?」
背を向けて首を巡らせ、私は陣形の中央にいるユリウス将軍に声をかける。
「どなたか存じませんが、丁寧な提案をありがとうございます。ですが、私は臆病者ですし……。何より、こちらの数が優位の内はお受けする意味もありません。なので、お断りいたします」
ありゃ、一か八かで訊いてみたけどダメか。
「あなたのお祖父様ならすぐに飛びついたでしょうが」
「祖父をご存知で?」
ユリウス将軍の表情が強張った。
「先の戦いでお相手させていただいた。存命なのでご安心を」
私の答えに、ユリウス将軍は見るからに安堵した様子を見せた。
「感謝致します」
「感謝ついでに一騎討ちに応じてもらえると嬉しいのだけれど?」
「祖父を下したというのなら、やはりお相手するわけにはいきません。勝てる気がしないので」
マティアス将軍の孫と聞いていたが、性格はまったく似ていないようだ。
なんというのか、消極的だ。
守勢に重きを置いているというのか……。
やっぱり、この緩やかな進軍も性格的な部分が強いらしい。
「一騎討ちなら、余計な被害が出ない。同じ国の人間同士で命を散らすのは馬鹿馬鹿しい事では?」
「確かに、味方同士で戦うなんて事は正直勘弁願いたい事です。でも、私達の背後にも味方はいるので……。応じるわけにはいきません」
なら、仕方ない。
私は馬から下りた。
そのお尻をぺチンと叩いて。アーリアの部隊の方へ向けて走らせる。
巻き込んで馬ちゃんを死なせるのも可哀想だ。
私は敵の部隊を前に、棍棒を構えた。
その数、百名程度。
「正気ですか?」
ユリウス将軍はそんな私に驚きを見せて問う。
敵に心配されるとは……。
正気かどうかは、やってみないとわからないな。
私は、手近な兵士の一人を棍棒で殴りつけた。
顔を横から殴られた兵士は、何の反応もせずに倒れ伏す。
棍棒で殴られた事にも気付かなかったようだ。
続けて、すぐさまに隣の兵士も殴り倒す。
そうして、近くにいる兵士達を次々と殴り倒していった。
陣形の一部が崩れたためか、いつしか敵兵の前進が止まっていた。
「崩れた陣形を整えて! 応戦しつつ前進! 倒れた兵士は陣形内に引き入れて手当てを!」
ユリウス将軍は声を張り上げて指示を飛ばした。
兵士達は再び前進する。
その指示で前に出てきた兵士を殴り倒す。
次々に殴り倒す。
応戦もしてくるが、軽くいなして殴り倒す。
包囲されるならいざ知らず、正面からのみの相手ならいくらやっても負ける気がしない。
このままなら、本当に百人ぐらい殴り倒せそうなものだが……。
「第一部隊を残し、前方敵部隊へ全軍突撃! 第一部隊は私と共に、単騎の将を包囲する!」
そう上手くはいかないようだ。
ユリウス将軍はすぐに対応策を講じてくる。
敵部隊が、一部の部隊を残して私を避けるように進軍する。
私の後方、アーリアの部隊へと突撃していく。
そんな中、十名程度の兵士達と共にユリウス将軍が私を包囲するように動く。
私は敵兵に囲われ、ユリウスが正面に居る。
嫌な手だ。
全員で私を包囲してくれるならまだよかったのに。
私一人なら、逃げに徹すればどうにか切り抜けられた。
けれど、大半をアーリアの方へ回された。
隊長であるユリウス将軍が私の方にいるため、この場を離れるのを躊躇われる。
部隊の救援に戻る方が良いのか、ユリウス将軍を倒した方が良いのか、悩みどころだ。
結局、私はユリウス将軍の相手をする事にした。
そちらの方が、救援に戻って時間をかけるより早く戦いが終わると思った。
アーリアにはそれまで、どうにか持ちこたえてもらおう。
私を囲う中、最初に動いたのは背後の敵兵だった。
それを察知した私は攻撃を避ける。
炎の魔術だ。
私の足元に火球がぶつかり、地面を炎が走った。
その炎を避けて着地すると、付近の兵士が槍で攻撃してくる。
棍棒で防いで反撃を試みるが、ユリウス将軍が剣で割って入る。
一般兵士より、こちらを相手にするべきだな。
今、ユリウス将軍を倒せば戦況は有利に進む。
剣を防ぎ、逆に刀身の腹を棍棒で叩く。
剣を手放す事はしなかったが、剣を大きく弾かれてユリウス将軍は体勢を崩した。
お祖父さんなら、受け止めただろうね。
この様子なら、個人の力量で私の方が勝っている。
そう思いながら、私は意識を刈り取るための強い一撃を放つ。
が、それが当たる直前、私の左右から突きこまれる二本の槍。
ユリウス将軍への攻撃を中断し、一歩退いてそれを避けた。
一人一人が相手なら私は圧倒できるだろうが、連携で上手く隙を消してくる……。
ケヴィンの戦い方と似ている。
これがカルダニア特有の戦い方なのかもしれない。
たったの十人ばかりなのに、百人を相手にする時と比べてずいぶんとやりにくくなった。
この調子だと、負けはしないが勝てもしないな……。
早く片付けてアーリアの援護に向かいたいのに、存外難しい……!
完全に足止めされている。
マティアス将軍と戦ったあの時とは、逆の立場になっている。
そう思っている間にも、私を包囲した兵士達は次々に猛攻を仕掛けてくる。
私はそれを避け、反撃を試みるが相手を打倒できる攻撃が放てないでいる。
完全に相手のペースだ。
これはよくないな。
なら、そのペースを崩す必要がある。
敵兵士の攻撃に対し、私は彼らを見下ろせるほど高く跳び上がってそれを回避した。
敵兵士の驚く顔が見える。
その兵士の肩に足をかけ、顔面を蹴りつけてからさらに高く跳び上がる。
下を見ると、次に私へ攻撃を仕掛けようとする三人の敵兵士の様子が見える。
そこから視線を外して、私からもっとも遠くにいた敵兵士へと魔力縄を放つ。
恐らく、魔術を使って援護していた兵士の一人だ。
敵兵士の体に張り付いた魔力縄を引き、反動で敵兵士へ近づく。
その勢いのまま、跳び蹴りを当てた。
仰向けに倒れた兵士の足首を掴み、足を捻り折った。
「ぎゃあ!」
間髪いれず、こちらへ近づこうとしていた兵士へ棍棒を投げつける。
棍棒は槍で叩き落されるが、その間に敵兵士の股下をスライディングで通り抜ける。
鎧の首元と胴体を後ろから掴み、兵士を持ち上げて地面へ叩きつけた。
「ぐえっ! ぐえぇっ!」
悲鳴を上げる兵士の腹、鎧と鎧の間に膝を突き入れるようにして圧し掛かる。
ついでに顔を蹴りつけて意識を混濁させる。
そうしてまた援護が難しい位置にいる兵士へ魔力縄を放ち、確固撃破していく。
相手の数が少なくなるつれ、対応は容易になっていった。
けれど、残り三人ほどになった頃には、逆にやりづらくなる。
孤立する兵士がいなくなったからだ。
その三人の中にはユリウス将軍がいる。
三人とも着かず離れずの絶妙な間合いで私を囲い、攻撃を仕掛けてきた。
さて、どうしよう。
このまま戦い続けてユリウス将軍を倒すか、それともアーリアの援護に行くか……。
一瞬だけ迷い、ユリウス将軍の打倒を選ぶ。
そのためにも、手段は選ばない事にした。
私は兵士の一人に攻撃を仕掛ける。
相手に選んだ敵兵士は槍で応戦するが、何度か打たれて体勢を崩す。
そこを狙い、背後から別の敵兵士が攻撃を仕掛けてきた。
私の背を狙い、突き出される槍の穂先。
私はそれを無視した。
槍の穂先が、私の腕に突き刺さる。
それでも私は動じない。
想定済みだ。
「何っ!」
攻撃が当たったと言うのに、敵兵士の声も戸惑いを含んだものである。
それに構わず、私は相手をしていた敵兵士にトドメの一撃を放った。
棍棒で打ち据えられた兵士が大きく体を回転させて宙を舞う。
次いで、すぐさま腕に刺さった槍を掴む。
槍を引いて、兵士自身を引き寄せる。
それを防ごうとユリウス将軍が攻撃を仕掛けてくるが、私は引き寄せた敵兵士を盾にした。
ユリウス将軍は攻撃を踏み止まり、私はそんな彼女に向けて兵士を突き返す。
と同時に、兵士の背を蹴りつけてユリウス将軍へぶつける。
それで体勢を崩す事を見越してユリウス将軍へ追撃を仕掛ける。
「すまない!」
が、ユリウス将軍は一言謝ると、向かってきた兵士を槍で払って転倒させる。
そして、私の棍棒による追撃を槍で防いだ。
「やっと一騎討ちだ」
「嬉しくないですね」
言葉を交わし、棍棒と槍を交わす。
カンコンと高い音を立てて互いの得物が打ち合わされた。
そしてこの戦いは、すぐに決着がつきそうだった。
彼女は力も、技術も、マティアス将軍に及ばない。
防御が堅く、一撃での打倒は不可能ではあるが……。
防御の後に隙ができる。
マティアス将軍にはなかったものだ。
その隙を衝き、私は肩や足を打ち据える。
体勢を崩したユリウス将軍を上段から打ち付ける。
彼女はそれを槍の柄で防ぐが、私は構わず何度も棍棒を打ち付けた。
一撃を受ける毎に、彼女の身体が沈んでいく。
そして最後には、膝を地面につけた。
「ぐっ……!」
そんな彼女の槍を下から打ち上げてやると、槍はすんなりと手から離れてどこぞかへと飛んでいく。
何度も強く打ち据えられ、もはや彼女には槍を握る力も残っていなかった。
武器を失い、跪く彼女の顔へ向けて棍棒の先を突きつける。
「私の勝ちだね」
そう言って、私は笑いかけた。




