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山田くんも知らない

 この世の中には、予想外のことが起こることがある。

 夢物語のようなことが、現実で起こることが、確かにあるのだ。


 俺の身に起こったことは、おそらく、そのひとつなのだと思う。俺一人が特別、というわけではなく、この世界に幾人もいる中の、ただの一人。特異ではあるが、無いことは無い。そういうものだろう。

 きっとみんな言えないから、黙っているだけだ。――『単身、異世界へ召喚されました』なんて。頭おかしいんじゃねーの、と疑われて終わるに決まっている。俺だったらそうする。たとえ親友が言い出したとしても、精神を疑う。だって、異世界だぞ? 召喚だぞ? 作り話じみている。

 その作り話が、自分の身に起きたというのだから、いよいよもって笑えない。


 勇者の降臨だと崇められ、ごてごてした衣装に着替えさせられ、見ず知らずの異世界人と、世界を救う旅に出た。世界を侵食する“闇”の正体を探り、その大元を絶つことが目的だという。――それ、俺になんの関係があんの? 反発したら、「この闇が広がれば、いずれそちらの世界にも影響を及ぼすでしょう」と真顔で諭された。嘘か真かは分からない。けれど、親や友人、それ以外の人全てを見捨てるのか、と問われ、見捨てる、などと答えられる輩がどこにいる。あんなの脅しと一緒だ。

 かくして、アテの無い旅が始まった。終着点の見えない旅だ。“魔王”がいたら、魔王とやらを探せばいいのだろうが、いかんせん、こちらの敵は“闇”そのものであり、どこにでも現れ、どこからでも消えていく。数えられるようなものではないもの相手に、いったいどうしろというのか。“勇者ならば道が分かるだろう”? 冗談じゃない。わかるか、んなもん。


 しかし、“勇者”にはファンタジー特有の、いわゆる強制力があるのだろうか。流れ上助けざるを得なかった旅人や、そのあたりの王族、貴族様々な人間と知り合い、次第に真相へ迫っていく。まるで本当に、ゲームの中のようだ。現実と仮想が、混濁している。距離感が上手く掴めなくなる。

 あちら側とこちら側を繋ぐ扉になるのだという、緑色の宝玉を眺めながら、俺は息を吐く。次第にわからなくなる。俺がいるべきなのは、いったいどちらなのだろう。あちらにいる時間が伸びれば伸びる程、自分の居場所がわからなくなる。

 こんなもの、捨ててしまえばいい、と誰かが囁く。しかし――。


 あちら側で知り合った者たちの顔が浮かぶ。


 まるでゲームのようなのに、全員が全員、生きていた。考えていた。苦しんでいた。時に身近な人の命を奪われ、時に我が身を食われ。中には、命を落とした者もいた。――助けられないことがあるのだと、突きつけられた。

 それら全てが定められた運命で、既に決定付けられたものだというのなら、世界のどこを探して救いがあるといえるのか。

 だからこそ、揺らぐ。いつの間にか、あれがただの仮想なのだと、言えなくなっていた。



 ――そんな時だった。



 “区切り”がついて、送還される。場所はランダムだ。なんとか元の時間軸に戻す代わりに、多少のブレは許してくれ、というのが、あちらの弁だ。“異質”は正常なものを嫌う性質でもあるのか、決まって人通りの無い場所へ飛ばされる。

 だからその日も、そうだと思って――そうではなかったから、驚いた。


 くるりくるりと、まるで踊るように舞っている。あちら側の舞姫と呼ばれる人間と比べると、えらく不格好で、軸がちっともなっていなくて、ただ、とても楽しそうだ。空気に溶け込むような“透明”な彼女は、なるほど確かに異質に含まれるかもしれない。あるいは、世界に溶け込みすぎて、人として認識されなかったのだ。

 それが、学校で前の席に座っている女子生徒だと気付いたのは、そのすぐ後のことだった。


「谷?」


 名を呼べば、彼女は肩を震わせる。存在感が戻ってくる。振り返った顔は、人が本来そうであるように、赤みを帯びていた。

「や、や、山田くん。こん、にちは……?」

 つっかえつっかえにそう言った谷は、おそらく先程の踊りを人に見られたくはなかったのだろう。現に、俺が突然ここに現れなければ、彼女は気持ち良くそれを続けていたに違いなかった。邪魔をしたことを自覚すれば、とても平然とはしていられなかった。あちらとしても、俺が見ていたことに気付いたのだろう、逃げるように去って行った。


 ごくごく、普通の反応だ。なんてことはない、普通の。

 だからもしかしたら、彼女が異質なのではなく、例えば――そう、それ以前に彼女が“鍵”に偶然触れた時の残り香がついていたのではないかと思った。その残り香(いしつ)を頼りに、彼女の前に辿り着いたのかもしれない。

 であれば、巻き込んだのは、俺だ。



 それが二回、三回と重なっていくにつれ、俺の罪悪感は増していった。会う度に妙なことをしている谷を見るのは、楽しくて、『帰ってきた』ことを実感できるような気がして、ここにいる自分も存在しているのだと思えて、――それを自覚すればするほど、余計に。

 俺はきっと、彼女を利用している。



 異世界行脚は滞りなく進んでいた。時に障害に当たり、それを乗り越え、仲間が増え、……喪い。まるで“そうあるべきだ”と言わんばかりのルートを辿って、ゴールへと突き進んでいた。

 何かを失って、何かを得て、進んでいく。俺にはわからなくなる。失わなければ手に入らないから、尊いのか。失わずに手に入ったものは、価値が薄いのか。同価値だというなら、何故俺たちは、失わなければ、救いを得ることができないのだろう。進めば進む程に、底なし沼に足を踏み入れている気がする。それとも、それが成長だというのか。

 昨日まで隣で笑っていた仲間が、命を落としていく。それだけの価値が、この先にあるのだという保証も無いのに。無いからこそ、自らその方向に持って行くしかないのだ。価値を掴み取る他ないのだ。でなければ、何の為に彼らの笑顔がなくなったのか。


 ――そうして、数多の犠牲を持って、世界は救われ、“平和”を手に入れた。

 俺は、異世界での居場所をなくした。


 身と心を削られるような行程に対して、幕引きはあまりにもあっさりしていた。別れの際にぎゃあぎゃあ泣くことは、誰もしない。それよりも悲しいことが、この世の中にはごまんとあって、そしてそれはこれまでの道のりで、嫌という程に味わってきた。

「元気で」「幸せに」「貴方の幸運を願う」「そちらの世界の平和を願う」

 短いながらも、心と熱がこもった言葉を、互いに贈り合う。


「――さようなら――」


 普段からよく使う言葉だ。学校から帰る時、友人に手を振る。それと同じ。けれど決定的に違う。また会おう、が含まれない言葉。



 次に目を開けると、屋内から屋外に場所が移動していた。空からは雪が降っていた。そういえば、あちらでは雪は降らないらしい。今、こちらの世界は冬でたまに雪が降る、という話をしたら、目を輝かせていたなあ、と今思い出さなくてもいいことを脳裏に浮かべる。克明に蘇る記憶もいつか薄れていくのだろうか。

 くるりくるりと、いつぞやと同じように、彼女が回っている。やっぱり不格好で。けれどとても楽しそうに。――世界の危機などまるで何も知らず。それなのに、それは平和を象徴しているかのようで。


「つめた……っ」

 くしゃみが聞こえた。寒そうだな、と思う。寒そうだ。寒い。

 気が付けば反射的に、自分の着ていたコートを、谷に被せていた。

 彼女は案の定驚いて、振り向く。身の丈には到底合わず、ずり落ちそうなコートを両手でひっしと握りながら、いつものように、頬を赤く染めている。


 ぼんやりと、彼女を見る。谷はまた、逃げるように去って行くのだろうか。

 しかしこちらの予想に反して、彼女はふんわりと笑ってみせた。

「今日、寒いね」

 あくまで、日常の――なんてことはないような、言葉。何も知らない。知らないからこそ、彼女は俺に言うのだろう。なんでもないその言葉を。「ああ」と呻く。世界はあまりにも残酷だ。犠牲を知らずに、笑う人のなんと多いことか。でも多分、それでいいのだ。そうでなくては。――泣くよりも、笑う方が良い。陰りのある笑みよりも、花が綻ぶような笑みが良い。そんな人間が増えればいい。もっと、もっと。


 ――どうか俺たちのことなど、知ってくれるな。


「寒いな」

 声は、震えていなかっただろうか。いつも通りにできていただろうか。寒い。もう一度呟く。なんだかいつもと違う気がした。コートを着ていないからだ。だから寒いのだ。だから――目の前の存在を、抱き締めた。温もりを求めるように。

 谷の身体は、思っていた以上に小さくて、思っていたよりも温かかった。すぐに赤くなるからだ、と嘯く。


 ふ、と息を吐く。冷たい空気が心地よい。澱みのない空気だ。

 谷の細い腕が、背中に回る。おつかれさま、と言っているような気がした。それが俺の願望であると決め付ける前に、彼女の手に力がこもる。だから、これは願望では終わらない。


 宝玉が、まるで最後の別れを告げるように、ひときわ緑の輝きを強める。直感した。この光は今から失われる。鍵はなくなる。

 そうして俺は勇者ではなくなる。ただひたすら平和の中で生きる人間になる。



 笑おう。俺は思った。

 光が消えたら、谷に笑顔を向けよう。逃げられるかもしれないけれど。


 感謝を伝えるなら、それが一番良い。




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