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序章、過去の事件

 その日、東京は朝から今年一番の暑さを観測していた。

 二〇〇九年八月六日木曜日の早朝。いわゆる広島の原爆に当たる日であるが、平和式典が行われているはずの広島と違い、東京は普段通りの日常を迎えていた。

 だが、そんな東京の街を、今まさに一台のパトカーがけたたましいサイレンを響かせながら駆け抜けていた。車内の無線からは通信指令センターからの無機質な連絡が鳴り響いている。

『警視庁から各局、警視庁から各局。杉並区の児童公園にて男性の遺体を発見したとの通報あり。現場に先着した警官からの無線によると殺人事件の可能性がある。近隣所轄、及び捜査一課担当捜査班は至急現場に急行されたし。現場の詳しい住所は……』

 午前八時十五分。そのパトカーは、ちょうど広島で黙祷が行われているまさにその時刻ぴったりに、問題の児童公園に到着した。熱帯夜で蒸し暑かった昨夜に引き続き、朝だというのに日差しが強く、ますます気温が高くなってきている。そんな中、その児童公園は入り口に立ち入り禁止のロープが張られ、多くの警官や鑑識職員が汗をかきながら歩き回っていた。

 到着したパトカーから三十代前半の若いワイシャツ姿の男が降り立つ。男は公園の入り口で警察手帳を見せると、ロープの下をくぐって中に入り、公園のほぼ中央にある花壇へ向かった。

 そこには刑事ドラマなどでおなじみの人型のチョークの印が引かれていて、傍らに男と同じようなワイシャツ姿の四十代前半と思しき男が黙ってその印を見下ろしている。

「警部、遅くなりました」

 やってきた若い男が先着していた男に挨拶し、警部と呼ばれた男が軽く頷く。

 年配の男が斎藤警部。若い男が新庄警部補。共に警視庁捜査一課所属の刑事で、この事件を担当することになっていた。新庄は斎藤率いる斎藤班のメンバーでである。

「無線では殺しと言っていましたが」

「その可能性が高い。この公園は近所の子供たちが夏休みのラジオ体操をする場所でな。今朝六時半頃、いつものようにラジオ体操のためにこの公園にやってきた小学生たちが、花壇の傍で仰向けに転がっているワイシャツ姿の男を発見。同伴の保護者が警察に通報した。死因は後頭部強打による脳挫傷。仰向けに転倒して花壇のレンガの角に頭を思いっきりぶつけたらしい」

「事故の線はないんですか?」

「周囲の地面に争ったような跡があり、なおかつ被害者の胸の辺りからはっきりした指紋が検出された。どうも、誰かと争った挙句に、前から突き飛ばされて転倒したらしい」

「遺体はどこに?」

 斎藤は黙って右の方を指差す。新庄が振り返ると、担架に乗せられて毛布をかけられた遺体が近くに置いてあった。

 新庄は黙ってそこに近づくと、軽く合掌して毛布をめくる。五十歳前後の男性で、表情は思ったよりも穏やかだった。

「身元はわかったんですか?」

「懐に名刺があった。だが、少々問題があってな」

 と、斎藤は急に厳しい表情をした。

「何ですか?」

「見ればわかる。これがその名刺だ」

 その名刺を受け取って書かれている文字を読んだ瞬間、新庄の表情も険しくなった。その名刺には、名前の上に大きく『法務省』と書かれていたのだ。

「法務省の官僚ですか」

「どうやらこの事件、厄介な事になりそうだ」

 二人は、そのまま黙って物言わぬ遺体に目を落とし、鋭い視線を向けていた。


 警察はすぐさま捜査を開始した。被害者はこの公園を通勤経路として利用しており、帰宅途中に殺害された可能性が濃厚だった。法務省の現役官僚が狙われたという事で、当初はテロなどの可能性も疑われ、何人もの容疑者が浮かんでは消えていった。だが、最終的に捜査線上に浮かび上がった最有力容疑者は、あまりに意外な人間だった。

 七里蘭奈。その正体は、驚くべき事に近くの中学校に通うごく一般的な中学二年生の少女であった。無論、彼女がこの殺人事件の容疑者として浮上したのには、それなりの理由があった。

 実は被害者が死んだ時間、事件現場周辺を歩いているセーラー服姿の少女の姿を目撃した住人が複数確認されており、捜査本部でも当初からこれはテロではなく少年犯罪ではないかという意見が存在していた。それを裏付けるように現場からは中学生の履いているローファーらしき靴跡が検出され、疑惑は確信へと変わる。そして、その情報を元に聞き込みをしたところ、近隣の学習塾から自宅までの通学路にこの公園を利用している七里蘭奈が浮上したのである。

 相手は未成年。それゆえ検挙するには通常の事件以上に決定的な証拠が求められる。そこで警察は極秘裏に彼女の指紋を入手し、被害者の服に残っていた指紋と照合した。その結果、その指紋は彼女のものと完全に一致。彼女が犯人である事は決定的となった。

 しかし、警察は逮捕……というよりも補導に躊躇した。七里蘭奈と十影英太郎には直接的な接点がなく、動機がわからないというのがその理由である。おまけに、彼女は誕生日前の十三歳、すなわち刑法の適用外年齢で、彼女の処遇には警察も慎重になっていた。

 だが、事件から二週間後、事態は最悪の結末を迎えることとなる。


 斎藤と新庄は切迫した様子である家の前に立っていた。背後には他の刑事たちも控えている。その表札には『七里』と大きく書かれていた。

 刑事たちはノックする事もなくドアを乱暴に開けると、そのまま家の二階へと駆け上がる。二階にのドアの前には、一人の女性が放心状態で座り込んでいた。被疑者・七里蘭奈の母親だ。

「ランナ……ランナ……」

 うわ言を繰り返す女性を乗り越え、斎藤たちは部屋に踏み込む。そしてその瞬間、空中にぶら下がったセーラー服を着た少女……最有力容疑者・七里蘭奈の姿が目に飛び込んできた。

「畜生!」

 斎藤が叫び、他の刑事たちは拳を握り締めた。と、そんな刑事たちの視線が不意にある一点に向く。学習机の上。そこに一枚の紙が置いてあった。

 その紙の表面には『遺書』と書かれていた。


 そして、それから二年後。この物語は静かに幕を開ける。


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