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子どもたちが、無抵抗の女と黒人の男に向かって、容赦なく石を投げつけている。
その異様な光景を前にして、駿河はついに我慢の限界に達した。
「なにやってんだ!」
怒声とともに、駿河は飛び出した。地面を強く蹴りつけ、駿河は一気に距離を詰めた。土を踏み鳴らす音が乾いた空気に響く。
「やめろ!」
怒声を張り上げながら、子どもたちの中心へ踏み込む。その剥き出しの気迫に、子どもたちは一瞬、動きを止めた。
息を呑む気配。わずかに揺れる視線。
そして——
弾かれたように、散り散りに逃げ出した。
手にしていた小石を取り落とし、背を向けて走る。足音がばらばらに遠ざかり、やがてそれも消えていく。
転がった石が、地面を転がる音だけが、わずかに残った。
……静寂が戻る。
駿河はその場に立ち尽くした。
肩で息をしながら、荒れた呼吸を必死に整える。胸が上下するたび、熱を帯びた空気が喉を焼く。こぶしは無意識に握られたままだった。
やがて——
俯いていた女が、ゆっくりと顔を上げた。そして、駿河をまっすぐ見据えた。
「……あなたこそ、なにをしているんですか。相手は子どもですよ」
その声音は静かだったが、はっきりと非難が込められていた。
駿河は一瞬、言葉を返そうとする。
——子どもなら何をしてもいいのか。
喉元まで出かかったその反論を、ぐっと飲み込んだ。
ここで言い争っても意味はない。そう判断したからだ。
「いや〜、うちの単細胞がすみませんねぇ〜」
間の抜けた声が割り込む。
駿河に遅れて、甲斐がのんびりと歩いてきた。謝っているようで、まったく悪びれていない調子だ。
その背後から、和奏も控えめに姿を現す。
女は警戒心を強め、わずかに後ずさった。
「……あなたたち、誰ですか?」
同時に、男が一歩前へ出る。
大きな歩幅で距離を詰め、駿河たちと女の間に割って入った。無言のまま、その場を遮るように立つ。
甲斐はそんな空気も気にせず、軽い調子で口を開く。
「どうも〜。突然すみません。あなた方、差別教の方々ですよね?ちょっとお話がありまして」
その一言で、空気が変わった。
女の表情が強張る。
はっと息を呑み、歯を食いしばりながら、甲斐を睨みつけた。
「差別教……?」
かすかに声が震える。
「な、なんですか、それは……。あ、あたしたちは、そんな団体名を名乗った覚えはありませんけど」
否定はしたが、言葉の端々に動揺が滲んでいる。
それが、自分たちを指す忌まわしい呼び名だと理解している証だった。
「えっ、違うんですか?」
甲斐が素っ頓狂な声を上げる。その無神経さに、空気がさらにぎこちなくなる。
——まずい。このままでは話がこじれる。そう判断した和奏が、前に出た。
「あの……!」
強張った声で呼びかける。
そして、恐る恐る続けた。
「わ、わたしのこと……覚えていませんか?」
「……あなた」
女は和奏に気づくと、ぱっと表情を和らげた。一瞬、花が開くように笑みが浮かぶ。
だが——
次の瞬間、その笑みは消えた。
出しかけた牙を引っ込めるように、表情を引き締め、すぐに駿河と甲斐へと鋭い視線を向ける。
「と、とにかく……どちら様かは存じませんが、あたしたちの邪魔をしないでいただけますか?」
わずかに声が揺れる。それでも、女は強引に言葉を押し切った。
「行こう、ダニエル」
踵を返す。
ダニエルと呼ばれた男も一歩遅れてついていき、二人はそのまま足早に立ち去っていった。
残されたのは、気まずい沈黙だった。
「……もう、最悪です」
ぽつりと、和奏が呟く。肩を落とし、小さく息を吐く。視線は地面に落ちたまま、つま先で小石をちょん、と蹴った。
「せっかく……やっと会えたのに……」
声はわずかに拗ねている。唇を軽く尖らせ、頬を少しだけ膨らませる。
ほんの一瞬、さっきまでの緊張がほどけたように見えたが——
すぐに、ふいっと顔を背けた。
このまま引き下がるわけにもいかず、三人はこっそりと女とダニエルの後をつけることにした。
二人はそのまま、真っ直ぐ駅の方へと向かっている。一定の距離を保ちながら、駿河たちは二軒分ほど後ろを歩いた。
二人は会話に夢中で、尾行されていることには気づいていない様子だった。
「美緒さん。先ほどの方々は、どなただったのでしょうか?」
ダニエルが穏やかに尋ねる。
「あたしにも分からないよ。なんなんだろうね、あの人たち……。いきなり失礼だよね」
美緒はため息混じりに言った。
「また“差別教”だってさ。やんなっちゃうよ、ほんと……」
「まぁ、あまりお気になさらず。いつものことではありませんか」
ダニエルは静かに言葉を添える。
「それより、後ろにいた女性の方……どこか見覚えがありましたね」
「あたしはないけど……」
美緒はそっけなく答える。——本当は、覚えていた。
だが、あの場の流れで引っ込みがつかなくなり、ついすっとぼけてしまったのだった。
二人はゆっくりとした歩幅で歩き続ける。
「ねぇ、それより、これから——」
「危ない!」
その瞬間、ダニエルが鋭く反応した。腕を振るい、飛んできたものを弾き飛ばす。
カン、と乾いた音。
小石が地面に転がり、軽い音を立てた。
「……なんなのよ、今日は。厄日?」
美緒が眉をひそめる。
物陰から、先ほどの子どもたちが再び現れていた。
またしても、小石を握りしめている。なんとも執念深い。
「出て行け!二度とこの街に来るな!」
敵意を剥き出しにした少年が叫ぶ。
「うち、ママから聞いたことある!子どもに悪いこと教える人たちが、最近この街に来たって!」
少女が早口でまくし立てる。
「きっとこの人たちだよ!退治しなきゃ!」
——天晴。
鬼退治は否定されるのに、“不真面目病退治”は正義。親からの教えを、実に忠実に守っているのだ。
「出てけ!」
「そうだそうだ、出てけ!」
再び、小石と罵声が飛び交う。
「やめなさい」
ダニエルが静かに、しかしはっきりと諭す。だが、子どもたちは聞く耳を持たない。
その様子を、少し離れた場所から見ていた駿河が、歯軋りを立てた。
「あのクソ餓鬼ども……」
今にも飛び出しそうな気配を見せる。
「もう、やめてくださいよ!」
慌てて和奏が腕を掴む。
「さっきと同じことになっちゃいます!」
「じゃあ、このまま指くわえて見てろって言うのか?」
「そうですけど……!」
和奏は言い淀む。正論ではある。だが、納得はできない。
そのとき——
「分かった。僕が行く」
甲斐が一歩前に出た。
「冷静に話し合いで解決してくるよ」
どこか浮き足立った様子だ。
「やめろ!」
「やめてください!」
駿河と和奏が同時に腕を掴む。
「お前が出ると、余計ややこしくなる!」
駿河は、同じ過ちを繰り返さぬよう、込み上げる怒りを必死に押し殺しながら様子をうかがった。
歯を食いしばり、拳を握りしめる。今にも飛び出しそうな衝動を、どうにか押し留めている。
その視線の先では——
ダニエルが、子どもたちに注意を続けながら、飛んでくる小石を素手で弾き飛ばしていた。
カン、と乾いた音。そのたびに、石が弾かれて地面に転がる。
だが——
弾ききれないものもある。
手の甲に当たり、赤い線が滲む。指先から、わずかに血が滴っていた。
それでもダニエルは、眉一つ動かさず、ただ静かに立ち続けている。
一方の美緒は——
完全に言葉を失っていた。その場に立ち尽くし、ただ目の前の光景を見つめている。
肩は小刻みに震え、足は一歩も動かない。
酷い有様だった。
とてもじゃないが、見ていられない。
——どうして子どもたちは、ここまで狂気に染まっているのか。
そのとき、駿河の脳裏に、ひとつの考えが閃いた。
「……おい、甲斐」
低く呼びかける。
「子どもが好きそうな玩具って、なんだ?」
「なんですか、こんな時に」
和奏が思わず口を挟む。だが駿河は視線を外さない。
「うーん、そうだなぁ……」
甲斐は淀みなく答える。子ども心という点において、彼の右に出る者はいない。
自分が欲しいもの、好きだったものを思い浮かべれば、それがそのまま答えになる。
「———ありがとう」
短く礼を言うと、駿河の手元に、ふっと白い大袋が生成された。現実に馴染まない、異質な存在感。
「ちょっ、待ってください——!」
和奏の制止の声を振り切り、駿河は一歩踏み出した。
そして——
子どもたちの前へと躍り出る。
「少年少女よ!」
声を張り上げる。その場の空気が、一瞬だけ止まった。




