『月は海に沈み、海は月の引力で満ちる』 ②
油がはねる音。お湯がグツグツと煮える音。 まな板に包丁が当たる、小気味いいリズム。
いつもと変わらない、開店直後の『深夜の世界』
――のはずだった。
だが、シンの視線は数秒おきにテレビへ吸い寄せられる。
「……そろそろか」
画面には、扇子を手に静かに佇むアリス・ゲート。
その後ろには、いつも通り飄々とした流門寺の姿。
(……頑張れ、流門寺。お前がナンバー____)
その時。
ECOが鍋を覗き込み、淡々と告げた。
「マスター」
「……ん?」
「現在、唐揚げを茹でています。」
「…………え?」
「油は隣です。」
「ぎゃあああぁぁぁぁぁ!!!!」
ーーーーー
実況が声を張り上げる。
「さぁ始まりました!『睦月の萬神楽』決勝戦!! 【静海の女王】大和か!! それとも【月影の魔女】アリス・ゲートかッ!!」
開始直後。
先に動いたのは流門寺だった。
――18機のビットが一斉に展開される。
まるで魔女に仕える使い魔のように、 大和を中心として旋回し始めた。
だが。
大和は動かない。
ただ静かに、アリス・ゲートだけを見つめていた。
「先手は流門寺選手!! 十八番の18機同時制御――『魔女の檻』!!
使い魔たちが静海の女王へ襲いかかるゥッ!!」
ビットが唸りを上げる。
上下左右。
死角すら許さぬ不規則な軌道で、18機の使い魔が一斉に牙を剥いた。
光弾が降り注ぐ。
しかし――
大和が静かに腕を掲げる。
次の瞬間。
無数の迎撃弾がステージを埋め尽くした。
乾いた炸裂音。
火花。光。
一発、また一発と、ビットが放った光弾が空中で撃ち砕かれていく。
実況が絶叫する。
「迎撃だァァァ!! 大和選手の迎撃技――《三式》!!
18機の使い魔を真正面から迎え撃つゥゥゥ!!」
二分間。
流門寺の猛攻は続いた。
そして――
実況の声がさらに大きくなる。
「ビットが止まったァァ!!」
「ここでクールタイムだァ!!」
18機のビットは一斉に停止。
再装填のため前線を離れ、アリスの周囲へと下がり、防御陣形を形成した。
「ふむ……ここまでは想定内でござる」
アリスが扇子で口元を隠し、小さく笑う。
『あら、本当かしら?』
「……やはり、アリスには誤魔化せぬでござるか」
苦笑しながら肩をすくめる。
「拙者、ポーカーフェイスには少々自信があったのでござるが」
アリスはくすりと笑う。
『ええ。大和さんには通用しても、わたくしには無理ですわ』
流門寺は観念したように息を吐いた。
「……本音を言えば、二発ほどは当てる予定だったでござるよ」
「さぁ!!ここで大和選手が動くッ!!」
背部のバックパックが重い音を立て、地面へと着地する。
――ゴォン。
箱は変形し、姿を変えて現れたのは、
巨大な《四六式三連装主砲・皇砲》
観客席がどよめいた。
「キタァァァ!! 大和選手の切り札!!《皇砲》!! 装填完了まで残り300秒!!」
大和は静かに告げる。
「装填準備、開始。」
それだけ言い残し、 アリスへ向かって歩き出す。
走らない。
急がない。
一歩。
また一歩。
確実に距離だけを詰めていく。
「……来ますわ」
アリスはレイピアを構え、 流門寺も16機のビットを前面へ展開する。
解っている。
近付かせてはいけない。
なのに――
身体が、動かない。
否。
動ける。
だが、一歩踏み出した瞬間。
斬られる。
そんな確信だけが、脳裏を支配していた。
実況も思わず声を潜める。
「で、出たァ……!! 大和選手の間合い制圧、《静海》!! 未だに誰も理屈を説明できない、女王最大の領域です!」
さっきまで熱狂していた会場が、 嘘のように静まり返る。
まるで、海そのものが息を止めたような静寂。
その静けさこそが、 何より恐ろしい。
そして。
大和は静かに刀へ手を添える。
「――参ります。」
ーーーーーーーー
店内。
テレビから実況だけが響く。
シンは包丁を握ったまま、画面に釘付けになっていた。
「……やべぇ」
「【静海】ってよ……どう攻略すんだよ…」
包丁を動かす手は止まらない。
トントントントン……
実況が叫ぶ。
「女王が!! 魔女が!!」
シンも思わず身を乗り出す。
「いけ!流門寺!」
トン。 トン。 トン。
ドンッ。
ECOが横を見る。
「マスター」
「……ん?」
「現在、まな板を二センチほど切断しています。」
「…………え?」
視線を落とす。
まな板には、見事な切れ込み。
「Nooooooo!!」
ECOは淡々と言う。
「包丁の切れ味は良好です。」
「そういう問題じゃねぇぇぇ!!」
ーーーーー
少しずつ。
だが、確実に。
アリスは追い詰められていた。
剣の間合い。
反応速度。
立ち回り。
そのすべてにおいて、静海の女王・大和が一枚上手だった。
流門寺のビットも必死に援護を続ける。
だが――噛み合わない。
アリスの剣が届く前に、大和は一歩退く。
ビットが射線を作れば、静海がその動きを封じる。
まるで戦場そのものが、大和の間合いになってしまったかのようだった。
そして。
アリスの呼吸が、ほんのわずかに乱れる。
「やむを得んが、アリス!“アレ”を実行するでござるよ!!」
一瞬の間。
アリスは嘲笑する。
『あらあら、ずいぶんと早い奥の手ね……覚悟と体力は、充分かしら?』
「ふむ。このままでは、勝ち筋が見えぬでござるからな!本当は【大神楽】までとっておきたかったでござるが!」
流門寺は、はっきりと理解していた。
「多少の無理は____友に、習ったでござるよ」
その言葉に、アリスは目を細める。
『……そう』
そして、短く息を吐いた。
『なら________無事を祈るわ。魔女の名において』
アリスは大和から距離を取る。
その動きに、観客がざわめいた。
次の瞬間――流門寺が、動く。
凄く聞き覚えのあるワード。
「行くでござるよ――」
「−−【纏】」




