眠ることを知らない夜。
夜が更ける前、町がゆっくりと静まりかえるなか――
《深夜の世界》の店内では、シンが黙々と片付けを進めていた。
客席の照明は落とされ、残るのは厨房の蛍光灯の淡い光。
グラスを拭くたびに、ガラスの音が小さく響く。
静かな夜――いつもなら、ここから「閉店後の時間」が始まるはずだった。
ECOは機器の熱を落とし、動作を一つずつ点検していく。
「ビール抽出ユニット、正常。エアコン換気モード、良好。……閉店準備、予定より二時間遅延。」
静かに頷き、最後にカウンターのメニュー表を整える。
店内はもう、誰もいない――はずだった。
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ガランッ!
ドアが勢いよく開いた。
冷たい夜風と一緒に、甘ったるい酒の匂いが流れ込む。
「……申し訳ございません。もう営業は終了しました。」
「やっほ~♡ ECOちゃ~ん♡ 灯りが付いてるから、まだ開いてると思って来ちゃった~♡」
入ってきたのは、かなり酔っぱらったみっちゃんだった。
片手にはカラーコーン、もう片方には一升瓶。
そのアンバランスな組み合わせが、すでに酔いの予感を漂わせる。
「……いいえ、すでに営業は終了しています。」
「あら~いいのいいの♡ アルコールの香りだけでも吸わせて~♡」
「……アルコール粒子は、お酒の代用にはなりませんよ?」
ECOが眉をひそめる間もなく、みっちゃんはカウンターに腰掛け、
当然のようにグラスを手に取り、酒を注いだ。
「ねぇ、シンちゃん♡ 焼かない肴、ある~?♡」
「……ありません。というより、なぜ飲み始めてるんですか?」
「“ここ”が一番落ち着くの~♡」
ECOがため息をつく間もなく――
ガチャリ。
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「おっ!! みっちゃんみ~つけた~~~!!」
今度はマサが来店。
……彼も、見事に泥酔していた。
片手に鉢植え、もう片手にワンカップ。
その目の焦点は、どこにも合っていない。
「本日、営業は終了しています。」
「え? 開いてるじゃ~ん! 飲ませてよぉ~ECOちゃ~ん、コレあげる~から~。お線香~」
「……帰ってください。」
すると、さらに続いて常連たちがぞろぞろと入ってくる。
みんな、片手になぜか“謎の持ち物”を抱えていた。
「なんか開いてるっぽいから来た~!」
「シンさん、ウェルカムビール!!」
ECOの抗議を完全にスルーし、全員が勝手に席へ座り始めた。
誰かが照明をつけ、誰かがラジオをいじる。
流れてきたのは、懐かしい昭和歌謡――『東京ラプソディ』。
ラジオから懐かしい《東京ラプソディ》が流れた。
客たちは自然と口ずさみ、店の空気がゆるやかに揺れる。
「……収拾がつきません。」
「いいっていいって~♪ ほら~、かんぱ~いッ!」
「………」
シンが小さく呟く。
「……ECO。」
「……なんですか。」
「……あきらめろ。」
「……はぁ。………仕方ありません。1時間だけですよ。そして“深夜料金”は倍とります。」
「おお!出た、“深夜の世界”の“深夜料金”ってか!(笑)!」
「……三倍にします。」
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三十分後。
閉店したはずの店は、完全に“深夜の宴会場”へと変貌していた。
テーブルには刺身、冷奴、ポテトサラダ。
せめてもの優しさか、火を使わない注文ばかりだ。
――と思ったら、奥でホットプレートが唸り始めた。
「誰ですか、電源に繋げたのは?!」
「は~い俺だ俺! やっぱ焼き魚食いてぇからな!このIHで刺身焼いてんだ!」
「……IHの意味を理解していますか?」
「知らねぇ! けど速い!」
ECOは静かに首を傾げた。
「……そもそも、なぜ皆さん、ここに?」
「そりゃ~三次会予定の店がな、急な休みだったんだよ! こっちゃぁ飲む気満々だったからよぉ、ココで続きやるしかねぇ!ってなったんだ!」
「“帰宅する”という選択肢は?」
「ある訳な~い♡ だって楽しいでしょ♡ ほら、ECOちゃんも笑って~♡ 笑う門には福来たるよ♡」
「……笑いより、営業妨害が来ています。」
「な、なに!? そんな奴らが!? どこだ~! みっちゃんかな~!?(笑)」
「……(沈黙)」
「ちょっ、や~だぁ♡ まぁ合ってるけど! おまわりさ~ん♡ わたしよ~つかまえて~♡」
シンはため息をつく。
「もう……好きにしろ。」
「じぁ好きにする。ECOちゃん、ビールくれ!」
「………」
ECOは仕方なくビールを注いだ。
その泡のきめ細かさに、常連たちは思わず声を漏らす。
「あぁ……やっぱECOちゃんの入れるビールはうまいよなぁ。」
「うん、泡との比率が完璧ね。」
「褒めても安くなりませんよ。」
「ねぇ♡ 香ばしいわぁ~♡」
ECOはふと手を止めた。
「……誰が注いでも同じでは?」
「違うわよ♡ ちゃんと個性があるの♡ シンさんの入れたビールは、少し甘いのよ♡」
「……そんなわけ……」
「もちろん、ないよ♡」
「…………」
店内は笑いで溢れかえった。
「おっ、今怒ったな?」
「いえ。勘違いです。」
「はい出た~! “勘違い”~(笑)」
その時、店の時計がピピッと鳴る。
「……一時間、過ぎました。」
「えっ!? マジ!?」
「まぁ、華の金曜だ。もう一杯いこうぜ!」
「……論理的破綻を感じます。」
「まぁまぁ、じゃあ今一度――かんぱ~い!!」
「「かんぱーーーいッ!!」」
深夜に響く歓声。
笑いとアルコールの香りが、狭い店内を包み込む。
割れたグラスも、焦げた魚も、もうどうでもよく思えた。
ECOはふと、窓の外の月を見上げた。
柔らかく光る丸い輪郭が、少しだけ笑っているように見える。
「……はぁ…まったく……非合理的です。」




