表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/27

眠れぬ夜②

 暗い寝室のベッドに座り、ほっと息をつく。

 今日一日であまりにも色々なことがあった。

 疲れているはずなのだが、気が張ってしまって、すぐに眠る気にはなれない。

 扉の方を見れば、リビングの光が消えたのがわかった。

 シルヴィオさんももう寝るのだろう。彼も私やカッサンドラに昨日から振り回されてばかりだ。疲れているに違いない。



 また一つ、ため息をついた。

 ああ、思い切り歌いたい。

 そうしたら、このモヤモヤとした気持ちも、少しはスッキリするような気がする。

 目を閉じれば、先程聴いたカッサンドラの歌が思い出された。

 あの美しい歌を、今、あの猫(カッサンドラ)は歌えない。猫の姿だから。

 猫を飼ったことはないからわからないけど、もう子猫という見た目ではなかった。歌い手が何年も歌を歌えないなんて、どんなに辛いことだろうか。

 一際心に残る、あの歌。

 何故か、切なくなった。

 これは、カッサンドラの気持ちなのだろうか、自分の気持ちなのだろうか。



 どれだけ時間が経ったのか。

 ベッドに横になってはみたけれども、やはり私は眠れないでいた。

 リビングの方から何も音は聞こえないから、たぶんシルヴィオさんはもう寝ているんだろう。

 扉が開く気配がないことに、改めて安堵する。

 あの猫(カッサンドラ)の気配は、まだ遠い。

 今頃どこにいるんだろうか。

 自分の指輪を探して、国中を駆け回っているのか。

 うっかり警備のヒトに捕まってたりとか、怪我したりとか。

 ご飯、ちゃんと食べたかな。

 異世界人の私が、シルヴィオさんのお陰でこうやって食事もして、お風呂にも入って、ベッドで寝ることができているのに。


 そんなことを思っていたら、外から猫の声がした気がした。


「カッサンドラ!?」


 慌てて窓を開けるけれど、その向こうには星空と、灯りの消えた街並みだけだった。

 わかっていたはずだった。気配はまだ遠いところにいる。

 気配の感じる方向を見ても、見えるのは月灯りに照らされる街並みだけ。


「なんでこんなに気になるのかな。眷属になったから?」


 その時、ココンとノックの音がして、私は飛び上がる。

 扉は閉じたまま、シルヴィオさんの小さな、少し焦った声が聞こえる。


「リンカ?今、窓の開く音がしましたけれど、大丈夫ですか?」


「大丈夫です。ちょっと猫の声がした気がして……でも、気のせいだったみたいです」


 私は窓を閉めて、小声で返す。

 扉の向こうで、ほっと安堵のため息が聞こえる。


「良かった、また何かあったか、君が出ていってしまったのかと……」


 また心配をかけてしまったようだ。

 思い返せば、この世界に来てからこちら、私はずっとトラブルを起こしている。それに振り回されてばかりいるシルヴィオさんも、気が休まらないのだろう。

 ……半分くらいはあの猫のせいだけど。


「心配かけてすみません。あの、シルヴィオさん、もしかして眠れないんですか?」


「ええ、まあ。色々と考えていたら目がさえてしまって」


「私もです。今日は色々ありすぎましたよね」


 私は扉のそばまで行くと、扉にふれた。

 このすぐ向こうに、シルヴィオさんがいる。そのことが心強いのに、同時に怖かった。ひどく矛盾してしまった気持ちを、どうしたらいいのかわからない。


「……リンカ、何か、悩んでいますか?」


「……どうしてです?」


「オリンドと別れたくらいから、たまにふっと考え込んでいたので」


 ……ああ、このヒトはどうしてこんなに優しいのだろうか。ついさっき手酷く拒絶した私を、どうしてこんなに気遣えるのだろう。

 心が、目頭がじんわりと熱くなって、甘えてはいけないと思うのに、気付けば正直にずっと気にかかっていたことを口にしていた。


「カッサンドラが、今頃どうしているのかと思って」


 ちゃんと食べているのかとか、警備のヒトに捕まっていないかとか。

 一度口にしてしまえば止まらない。つらつらと思い付くままに並べていった。

 それを黙って聞いていたシルヴィオさんが、ポツリと呟く。


「リンカは、カッサンドラにあれだけの目に遭わされて、それでも彼女を心配するんですね」


 心配。

 言われて、すとんと納得した。

 そうか、私はカッサンドラを心配しているのか。


「心配です。カッサンドラはずっと歌えていないのでしょうから」


「確かに、猫の姿では歌えないでしょうが……」


 わからない様子のシルヴィオさんに、私は問いかける。


「シルヴィオさんは、二度と作曲ができなくなったら、どうしますか?」


「それは……」


 シルヴィオさんが、はっとしたように言葉を切った。私が何を言いたいのか、伝わったらしい。


 私なら歌えなくなったら、息が詰まって死んでしまうかもしれない。いや、歌を歌えなくなったって死にはしないだろう。どれだけ辛くても、自殺でもしない限りは。

 でも、きっと体より先に心の方が壊れてしまう。気が狂ってしまうかも。


「それは酷いこともされましたが、同じ歌い手として……いえ、私よりもずっと優れた歌い手だからこそ、心配なんです」


 わかりますと、シルヴィオさんの声がする。

 これは言うべきか言わないべきか迷っていたのですがと前置いて、話してくれた。


「実は、君がお風呂に入っている間に、オリンドから連絡がありました」


「え?」


「カッサンドラは、指輪を三つ手に入れたそうです」


 五つの指輪のうち、三つ。

 もうそんなに集まっていたのかと驚くと同時に……ではまだ捕まってはいないのだと、どこかほっとしている自分がいる。


「どこも警備が厳重だったでしょうに、猫の姿でよく捕まらずに集められましたね。最高機関のヒトも動いていたんでしょう?」


「何か、幻影の様なものを使っているらしいですね。もう首都や指輪を管理していたところは大混乱だそうですよ」


 混乱……。


 もし約束を破れば、混乱をもたらす。

 そう、カッサンドラは言っていた。


「指輪が揃ったら、カッサンドラはどうするつもりなんでしょう」


「わかりません。一つ手に入れただけであの騒ぎです。五つ集めたときにどうなるか、どうするつもりなのか……あまりいい予感はしませんね」


 シルヴィオさんの言葉に、ずっと胸にくすぶっていた嫌な予感がざわりと大きくなった。

 今思えば、オザンナさんとの話をカッサンドラは聞いていた気がする。あまりにもタイミングよく頭痛が起こったし、会う前にはカッサンドラの緊張が伝わって来ていた。

 オザンナさんの話から、最高機関が三百年前の約束を破ったのだと確信したのだとしたら。

 頭から血の気が引いていく。


「ここで、こうしていていいんでしょうか?やっぱり今からでも博物館に……」


「落ち着いてください。今行っても、カッサンドラはいません。眷属である君が、誰よりも一番わかっているはずです」


 シルヴィオさんの言葉に、私は焦りを吐き出すように大きく息をつく。

 それでも、嫌な予感にジリジリと胸が焼かれた。


「ここから、博物館はそう遠くありません。カッサンドラが現れたら、すぐに行きましょう」


 見えないとわかっていても、私は頷いた。

 それでも、不安な気持ちが口をつく。


「私達に、カッサンドラを止められるでしょうか」


「僕たちでは、恐らく止められません。可能性があるとすれば、サヴィーノだけでしょう」


 かつて、カッサンドラをいさめることができた唯一のヒト。彼女の恋人。

 私は鞄に視線を向けた。中には、オザンナさんたちが受け継いできたサヴィーノの指輪がある。

 これを届けて、二人の子孫がいることを話そう。

 それが、カッサンドラを止めることができる、たった一つの手段かもしれないから。


「シルヴィオさんに出会えて、良かったです」


「急にどうしたんですか?」


「シルヴィオさんと会えなければ、この世界で私はどうなっていたかわかりませんから」


 シルヴィオさんと出会えなければ、こちらの言葉もわからず、常識も知らず、ただカッサンドラに利用されるだけだったかもしれない。ましてや、カッサンドラを止める手段だって手に出来なかったはずだ。

 その上、私の歌の指導までお願いしている。

 本当にあそこで出会えたことは、私にとっては僥倖だった。

 でも、シルヴィオさんにしてみたら、こんなことに巻き込まれたのは、厄介事でしかない。申し訳ないと思っている。


 扉の向こうで、僅かにシルヴィオさんが笑う気配がした。


「君はよく僕に申し訳ないと言いますが、僕もあの時、リンカに出会えた偶然に感謝していますよ」


 思いもよらない言葉に、目を瞬く。

 シルヴィオさんに感謝しこそすれ、私が感謝されるようなことは何もしていない。


「君と出会ってから、今まで思ってもいなかったことばかりで……不謹慎かもしれませんが、少し楽しかったんです」


 確かにこの一日、痛い思いも苦しい思いもしたけれど、楽しかったことも結構あった。

 自転車で空を飛んだこと。カッサンドラとのランチや、久しぶりにきちんと歌ったこと。思い返せば、自然と笑顔になれる。


「私も……楽しかったです」


 扉があって良かった。面と向かってでは、言えなかったかもしれない。


「でもそれは、やっぱりシルヴィオさんのお陰なんです。必ず、この恩はお返しします。シルヴィオさんが要らないと言っても、必ず」


 数拍、沈黙が落ちる。

 キシと扉が少し軋んだ。


「そんな健気なことを言わないでください。今僕が、この扉を開けるのをどれだけ我慢していると思ってるんですか」


 思わずビクッと扉に触れていた手を引いてしまう。

 まるでそれが見えたように、シルヴィオさんが言う。


「……約束ですから、開けません。でも、もう寝ましょう。僕もこれ以上は、本当に自信がないので」


 おやすみなさいと声が聞こえ、シルヴィオさんが扉から離れていく気配がする。

 返事を返すこともできず、私はどうしようもなく震える手を握りしめた。


次回はまた来週更新予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ