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赤い魔女の帰還

 ―――来た!


 突然強く感じた気配に、私はベッドから飛び起きた。


「……呼んでる」


 間違いない。カッサンドラの気配だ。

 私は急いで着替えると、指輪の入った鞄を掴んで部屋を飛び出した。


「シルヴィオさん、来ました!」


「ええ、行きましょう」


 私が起き出す音に気付いていたのか、シルヴィオさんは既に準備を終えていた。

 二人で部屋を出て屋上へと上がる。

 ヒヤリとした風が頬を撫でる。白みはじめた空はまだ夜の名残で暗かった。

 シルヴィオさんと自転車で舞い上がる。


「どちらですか?」


「あっちです」


 私が指差す方向。最短距離をレーンを使わず翔る。

 頭の中で、早くとカッサンドラが急かす。


「シルヴィオさん、ごめんなさい」


 頭痛に苛まれながら、自転車の柄の部分からカッサンドラの魔力を注ぎこんだ。ぐんっと自転車の速度が上がる。

 シルヴィオさんが驚きの声をあげる。それでも何とか制御して、高速のまま突き進んでいった。

 吹き付ける風圧に目を細めながら、振り落とされないように必死に柄を掴んだ。


「もう少し右です!」


 カッサンドラの気配のある方向を指差す。

 向かう先の広い屋上に、人影が見えた。


「あそこは……」


 シルヴィオさんが叫んだ。風の音で聞こえにくいが、そこが私達が初めて会った歌劇場の屋上だと知る。

 遠いせいか、速度のせいか、屋上に猫の姿は見えない。

 ぐんぐんと近づいてくる屋上。

 人影は朝陽の昇る方を見詰めていて、顔が見えない。金色の髪の毛がきらりと光った。

 まだ、猫は見えない。

 でも、まさか……。

 心臓がうるさいくらいに脈を打つ。

 近づくにつれ、まさかという思いは、確信に変わっていった。


「降りますよ!」


 シルヴィオさんが、叫ぶと同時に私を抱え込み、姿勢を低くする。

 速度を落としきれないまま、着地。衝撃。

 勢いは止まらず、自転車ごと屋上を滑っていく。

 ようやく止まったときには、墜落したのか着陸したのかわからないありさまだった。傾いた自転車から、よろよろと立ち上がる。

 幸い二人とも怪我はない。自転車も、思ったより丈夫なようだ。

 顔をあげれば、歌劇場の広い屋上。朝陽から一番近い縁(へり)に、その女性は立っていた。

 薔薇色の朝陽に輝く、高く結い上げた金の髪。舞台衣装のような深紅のドレス。

 指には五(・)つ(・)の(・)指輪が光っている。

 こちらに気付いているはずなのに、視線も寄越さない。

 貴女が私を呼んだんでしょう、ねえ。


「赤い魔女(カッサンドラ)」


 私の呼び掛けに、ようやく振り向く。

 その強い意思を宿す金色の瞳と目が合い、息を飲む。


 赤い魔女が、そこにいた。





「あら、なあに?そんなにボロボロの格好で、はしたない」


 記憶にある猫と、いや、昨夜聴いた記録の中の声と同じ、美しい声が嘲るようにそう言った。

 違うのは、それが肉声だと言うことだけ。

 私の今の格好は、風やら衝撃やらで髪はボサボサ。服もよれて散々だ。とはいえ、誰かさんが急かしたせいでこうなったんだろうに。

 手でぱぱっと申し訳程度に整えて、カッサンドラを睨む。


「あなたこそ、その格好は何?」


「私が気に入ってた舞台衣裳よ。博物館のマネキンには勿体なかったから着てあげたの」


 いや、服の事じゃなくて。

 どう訊いたらいいのか、少し考える。


「猫の体はどうしたの?」


「ああ、そんなこと。あの姿は私には相応しくなかったから、変えたのよ」


 指輪を全て集めた今なら、こんなことは容易いことだと魔女は言う。

 中身はともかく、猫の姿は親しみを持てたのに。ちょっと惜しく思った。


「……ヒトの姿になる為に、指輪を集めたの?」


「さあ?その為かもしれないし、何か他の目的があるのかもしれない。悩ましいわね?」


 カッサンドラは心底楽しそうに、私たちをからかってくすくすと嗤った。そんなところは猫の時と何も変わらない。

 それなのに、伝わってくる感情はやけに冷めているのが気になった。失望?諦観?指輪は手に入れたのに、何故?

 私は鞄から指輪を取り出した。


「これが、サヴィーノの指輪よ」


 小箱に入れられたそれを差し出すと、カッサンドラから笑みが消えた。

 見たことのないほど神妙な顔で、指輪に手を伸ばす。

 その手が届くギリギリで、私は指輪を握りこんだ。

 手が震える。


「お願い、約束して」


 こんな風に指輪を人質にするように迫るのは、本当は気が進まないし、とても恐ろしい。けれど、どうしても確実に言質をとりたかった。


「この指輪を受け継いできたヒトたちに会ってあげて。あなたとサヴィーノの子孫なのよ。三百年も、あなたを待っていたの」


 私の訴えに、だがカッサンドラは不快そうに顔をしかめる。

 そしてあろうことか、指輪からも興味を失ったように私達に背を向けた。


「もういいわ」


「っ、そんな!」


「その子孫とやらに会って、私にどうしろと言うの?私が祖先よと手をとって、涙でも流せば満足かしら?とんだ茶番だわ!」


 初めて、カッサンドラが声を荒げた。

 サヴィーノの指輪さえ、苛立たしげに私の手からはたき落とす。拍子に、箱の中から指輪が転がり落ちた。

 転がっていく指輪を、ショックで動けないまま目で追った。

 コロリと回って止まった指輪を、伸びてきた手が拾う。

 シルヴィオさんだった。

 怒りを押し込めた無表情で、カッサンドラに指輪を差し出す。


「受け取ってください」


 静かな怒りの籠る声だった。


「あなたがリンカを眷属にしてまで、手にしたかった指輪でしょう。受け取るべきです」


 カッサンドラは苛ついたように顔を歪ませ、シルヴィオさんの手から奪うように指輪を取った。


「これで、命令は果たしたはずです。リンカを、眷属から解放してください!」


 シルヴィオさんの叫びは、カッサンドラに届いていなかった。

 カッサンドラの目が指輪に釘付けになっている。

 私にまで喜びと、哀しみと、切なさと、強い後悔が伝わってくる。

 後悔?カッサンドラが?

 何が起こっているのかわからない。

 けれど、カッサンドラの指輪を持つその手が、肩が戦慄(わなな)いて、美しい顔が歪んだ。


 ああ、泣いてしまう。


 そう、思った瞬間、カッサンドラが全てを振り払うように大きく首を振った。

 乱れた息を継ぎながら、ゆっくりと顔を上げる。私を見据え、一歩、踏み出した。

 鬼気迫る顔に、思わず後ずさりしてしまう。


「止まりなさい!」


 私と、間に入ろうとしていたシルヴィオさんの足が止まった。

 またあの威圧的な魔力がカッサンドラから溢れ出す。

 眷属にされたときを思い出して、今すぐ逃げたいのに足が動かない。

 指輪を得て、さらに強くなったそれに、震えて立ち尽くすことしかできなかった。

 カッサンドラが、私に五つの指輪を向ける。


「橋本凛歌。この程度の命令で手こずるような役立たず。こちらから契約を破棄してあげるわ」


 その言葉に、すっと私を縛っていた何かがほどけた気がした。

 理屈なしでわかった。もう私は、彼女の眷属ではない。


「あ……」


 解放された喜びよりも、『役立たず』という言葉の方が私に突き刺さった。

 知らず溢れてくる涙で曇る視界の中、私の足元に赤い光が灯る。それは、あっという間に複雑な魔方陣を描いていく。


「待ってください、何を……!」


 シルヴィオさんが叫ぶ。

 涙の向こう側で、カッサンドラは冷酷に言い放った。


「もうあなたは用済みよ。……帰りなさい」


 最後の一言だけは、やけに優しく響いた。




 視界が赤い光で溢れる。私はたまらず目を閉じた。

 光が収まり、恐る恐る目を開け、私は愕然となった。


「どうして……」


 ワンルームの小さな部屋。

 いつものベッド。

 使いなれた電子ピアノ。

 見慣れたテレビ。


「私の部屋?」


 元の世界の、アパートの部屋。

 精も根もつきて、私はその場に座り込む。

 戻ってきてしまった……。

 呆然となりながらも、自分の思考に違和感を覚えた。


 カ(・)ッ(・)サ(・)ン(・)ド(・)ラ(・)は(・)私(・)の(・)部(・)屋(・)を(・)知(・)っ(・)て(・)い(・)た(・)の(・)?(・)


 偶然じゃなかったの?

 あの時私は、あの猫の気まぐれに巻き込まれたんじゃなかったの?

 たまたま通りがかった私の歌が下手で、嫌がらせをされたんじゃなかったの?

 ここに戻ってきたのは、偶然?

 違う。

 位置指定の魔方陣があるって言ってた。

 カッサンドラはこの部屋を指定して、私を帰したんだ。

 あの時、私がたまたま通りがかったんじゃない。

 カッサンドラは、どうしてか私を前から知っていた。私がこの部屋に住んでいることも。会社帰りにあそこを通ることも?

 ……知っていて、私をあの世界に連れて行った。


「……戻らなくちゃ」


 あの世界へ。

 カッサンドラに、どういうつもりだったのか、確めないと。

 でも、どうやって?

 頭を抱えて、必死に考える。

 きつく目を閉じれば自分の中に、赤い光が閃いた。カッサンドラの魔力だ。

 私の中に注ぎ込まれた魔力は、まだ僅かながらに残っている。

 眷属じゃなくなっても、まだ魔力は使える。

 それなら―――。

 私はその場で床に手をついた。

 見えないけど、ここに魔方陣があるなら、起動すれば戻れる?

 いや、この魔方陣は位置指定がここになってる。起動してもあの場所に戻れる訳じゃない。

 あちらへ位置指定のしてある魔方陣じゃないと……。



 私は部屋を飛び出した。

 家から程近い、駅に向かう途中の道。

 あの時、カッサンドラがいた塀がある。

 まだ夜が明けたばかりの人通りの少ない時間帯。試すなら、今しかない。

 私は、慎重にあの時の記憶と重なる場所を特定する。

 目に見えないけど、ここに異世界転移の魔方陣がある!……はず。


 私は人体転移の魔方陣を使ったときのように、地面に両手をついた。そして、一気に魔力を流し込む。


「お願い……起動して」


 必死の願いもむなしく、注ぎ込もうとした魔力は跳ね返されたように私の中に戻ってきてしまった。まるで魔力を入れる器が無いみたいだ。

 これじゃダメなの?なんで……。

 ここがダメなら、他に手はない。一気に焦りが沸いてきて、落ち着けと呟く。

 必死にカッサンドラとの会話を思い出す。何か、手がかりは……。


『ちょっと向こう独特の現象を利用したの』


 昨日のランチの時。シルヴィオさんがカッサンドラから聞き出した、あの世界に戻る方法。

 この世界独特の現象って何だろう。

 私は、最初に異世界へいったときのことをもう一度思い出す。

 仕事帰りで、私は歌っていて、カッサンドラに下手な歌と言われて……そう、カーニバルが現れたんだった。

 さっき、この世界に戻ってきたときは見なかった。あれが、この世界独特の現象?

 うーん、カーニバル……お面……。お祭りとか……行列?


「百鬼夜行?」


 まさか、あのカーニバルが?

 自分で呟いて、自分で否定してしまった。

 ああ、でも、逢魔が時ってのは聞いたことある。確かに魔力を強化できそうな言葉の雰囲気はあるけど……まさかね?

 いやいや、この際、何でも試してみないとだめだ。

 あの時、何時だった?

 一昨日は駅についたのが、六時半過ぎ。そこからここまで歩いて……大体七時くらいだったはずだ。

 もう一度、そのくらいの時間に来てみることにした。



 私は一度部屋に戻った。

 とりあえず座ったものの、落ち着かない。


 ……そういえば、今って何月何日?


 テレビをつけて、データ放送を表示させる。画面に映った日付は……私が向こうに行ってから二日後の日曜。

 意外にも、ここと向こうの時間の流れは同じらしい。

 良かった。向こうでの二日がこっちの一週間とかじゃなくて。

 偶然とはいえ、いなくなったのが土日だったから、仕事にも支障がでていない。


 …………偶然、だよね?

 そこまで考えてゾッとする。

 まさか、土日はお休みだって知ってて、今朝、私を帰してくれたとかそんなことは……いやいや、それは流石に考えすぎか。

 つい大きなため息をつく。

 どこまでが故意で、どこまでが偶然なのか。

 カッサンドラ、あなた、何をどこまで知ってて、何をしたかったの?

 それに私はカッサンドラを問い詰めて、答えを得たとして、どうするつもりなんだろう?

 考えてみても、そこから先は真っ白で何も思い浮かばない。

 思考を放棄して、私はパソコンを開いた。



「……これでよし」


 もし、ここに戻ってこられなかったことを考えて、悩んだ末、家族や職場、友人宛にメールを書いておいた。

 帰ってこられた時のことも考えて、予約メールにする。月曜の始業時刻少し前に送付されるようにしておく。

 部屋も掃除した。整理整頓して、通帳と銀行印もわかるところに置いた。洗濯物も、たまっていたのを洗って、干して、片付けた。ついでに、向こうでもあまり目立たないような服と使えそうな物を選んで、鞄に詰め込む。

 ゴミも、あとは出すだけにしておく。冷蔵庫の中身は、日保ちしないものを、昼食がわりに食べてしまった。

 そうして改めて見れば、部屋が随分がらんとしてしまったようだ。


 ―――本当に、私、ここに戻らないつもりなの?


 そう、自問してみても、答えは見つからない。

 ただ、このままここで何もかも忘れて、これまでのように暮らす。という選択肢だけは、選ぶことはできなかった。


 ―――ピロン


 スマホが鳴る。

 これも、解約のことを考えたら、置いていった方がいいだろうか。どうせ、向こうでは使えない。

 見れば、ニュースアプリの速報だった。友人の連絡ではなかったことを、少しだけ寂しく思う。私はそっと、スマホをテーブルの上に置いた。

 もう時間だ。何だかんだで準備をするのに時間がかかってしまった。


「行ってきます」


 最後にそう呟いて、私は部屋を出た。



 鞄だけを持って、最初の場所に戻る。

 一昨日と同じ赤い夕暮れ。でも、もう私に声をかけた猫はいない。

 今度は私だけで、私の意思で、異世界へ転移する。

 心臓がバクバクと早鐘を打つ。足も、カタカタと震えた。

 もし、失敗したら……。

 目をぎゅっと閉じる。大丈夫。これはカッサンドラの魔方陣なんだから、絶対にあそこに行ける。


 私は目を開け、両手を地面につけた。

 たまたま通りがかった人に変な目で見られるが、気にしない。集中して。

 私の中に残るカッサンドラの魔力をかき集める。

 両手の平から魔力を注ぎ込んだ。

 さっきとは違う、魔方陣に魔力が吸い込まれていく手応え。


 ―――お願い、魔力、足りて!


 残ったすべての魔力を注ぎ込む。

 が、これまでのように魔方陣が赤く光るわけでもない。何の変化もなかった。


「何も、起きない?」


 呆然として立ち上がる。失敗したのかと絶望感に襲われそうになったとき、気が付いた。


 ―――さっきこっちを見てた人、いない。


 通りがかりの人が消えていた。

 突然、風が轟(ごう)と吹いてくる。


 シャラン


 あのときと同じ、鈴のような音が遠くから響いてきた。

 道の先に目を凝らせば、みるみるうちに近づいてくる極彩色の奇妙なパレード。

 大音響と極彩色に飲み込まれて、私は目を閉じた。


 次に目を開けたとき、私は異世界のあの路地に立っていた。

 思わず快哉を上げるが、あまりにも聞き慣れた轟音にかき消される。


 ―――今の音……。


 嫌な予感がした。

 急いで路地から出ると、空を見上げる。

 霧が晴れて、茜色に染まる空。そこに紛れもないジ(・)ェ(・)ッ(・)ト(・)機(・)が、屋上を掠めるように飛んでいった。


次回はまた来週末更新予定です。

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