62.月姫 大江山ワンダーランド④
姉からの電話を切ると私は自分の両頬を叩いた。かなり衝撃的ではあるけど、そんなに動揺してはいられない。
とりあえず車を降りよう。そう思った。ココスで葵が待っているし、もしかしたらカリフォルニアタコサラダを、すでに食べきっているかもしれない。
「ごめん。お待たせ」
「大丈夫だよー」
予想通り、葵はカリフォルニアタコサラダを食べていた。このサラダは、昔から葵の大好物なのだ。
「お姉ちゃん何だって?」
「ああ、別に大した用事じゃないよ……」
「ふーん……」
葵は適当な返事をするとサラダのアボガドをレタスに絡めた。
「ま、いーけどさ。ルーちゃんは隠しごと下手だからさー。困ったことあんならいいなね?」
やれやれだ。やっぱり葵は私のことなどお見通しらしい。
そういえば昔、幼なじみの茉奈美と麗奈にも同じようなことを言われた。自分で自覚していないだけで、私は顔に出やすいのかもしれない。
「いやさ……。別に葵に話してどうこうなる話じゃないから……。ウチの家庭の問題だし」
「そっか……。でも困ったら言ってね! 手伝えることならするからさ」
「うん。ありがと」
葵にはそう言ったものの、問題解決は難しいかもしれない。というか問題かどうかも定かではない。普通に生きていたらこんなことにはあまりならないだろう。そんな問題。
それから私たちは互いの近況を報告しあった。
「この前までスランプだったんだ……。全然描けなくなってね。いやー苦しかったよ。イメージ的には門の外に閉め出された感じだったよ」
「イメージしづらいけど……。でも、もうすっかり治ったんでしょ?」
「まーね。ようやく新しい絵を描き始めたよ。やっぱり私って課題があってそれにそって創作するより自由に描いたほうが性分にあってるのかもね。だってスランプの原因、『自由と不自由』って展覧会に出す作品描いてたときだもん。前衛芸術はやっぱり性に合わないんだよねー。見てては楽しいけど描くのはちょっと違う感じがしたよ」
クリエイターらしい悩みだ。私のように帳簿の収支が合わないという悩みとはジャンルがまるで違う。葵の話を聞いていると自然と樋山さんの顔が思い浮かんだ。
「そういえばさ。絵本作家の樋山涼花さんって人知ってる?」
「樋山涼花? ああ、名前と作品ぐらいならね。たしか小説の表紙のイラストレーターから絵本作家に転身した人でしょ?」
さすが葵だ。その手のクリエイターは、畑違いでもある程度は把握しているらしい。
「うん。実はその人、私のお母さんの元上司らしくてさ」
「へー。そうだったんだね! てかルーちゃんのママって……」
「ああ、私が小さい頃に出てったよ。この前たまたま樋山さんと会ってそんな話聞いてさ……」
葵は感心したように「運命的だね」と言って肯いた。
「樋山さんねー。あの人の作品は特徴あるよね。水彩とクレヨン画が得意で、昔ナントカっていう小説の表紙イラストで注目されたんだよね」
「妙に詳しいね」
「まぁね。業界の先輩もそうだけど、横の繋がりも、作りたくて前、調べたんだ」
葵曰く、樋山さんは業界ではかなり有名人らしい。絵本作家としてだけではなく、絵画展や、イベントのイラストも手がけているようだ。
「実は樋山さんと会ってからね。私も絵描き始めたんだ。拙くて人に見せるようなもんじゃないけどね」
「うっそマジ? 今持ってないの?」
葵の目の色が変わった。こういうところは、昔から変わっていない。
「今あるのは……。ラフしかないけどいい?」
「うん! みしてみして!」
私はバッグからイラストのラフを取り出して葵に渡した。
彼女は目を丸くしながら私の描いたイラストを見ている。
「やっぱり……。悪くないね。ルーちゃんは才能あると思う」
「そんなことないって。そんなのただの落書きみたいなもんだよ?」
「落書きねぇ……」
葵は小さくため息を吐くとイラストを返してくれた。
「別に描いたからどうしたいとかはないんだ……。ただ、樋山さんに会って、母さんの話聞いたら無性に描いてみたくなってね」
「そっか。私から言わせてもらえば、それを創作意欲っていんだけどね。でも……。いいんじゃないかな? 世間に評価されたいとか、お金がほしいとか、そんな理由じゃなく、描きたいと思えるのは大事だよ」
創作意欲。たしかにそうかもしれない。地位や名声のためではなく、ただやりたいからやることがあるのはとてもありがたいことだ。そして、今まで私に欠けていたものだ。
食事を終えると私は葵を家まで送っていった。最後まで彼女は私を心配してくれた。私は何も話さなかったけれど。
彼女を下ろすと急に火が消えたような気持ちになった。
さて……。明日には泉さんに連絡しなければいけないだろう――。




