31.裏月 ヘカテーブレイク②
話すと長くなると思う。
おそらく小説にすれば240000字くらいの話になるだろう。
そんな話だ……。
でもそんな長話は誰も聞きたくない思う。
だから今回は手短に話すつもりだ。
結論だけ言うとこれは私が失う話な訳だしね……。
その日は賑やかすぎるほどの雨が降っていた。
大志が私の元を訪れたのはそんな日だ。
「いらっしゃーい」
退院してすぐ、大志は私の賃貸マンションにお見舞いに来てくれた。
「お疲れ! すっかり顔色も良くなったんじゃねーか?」
休養を取った私はすっかり元気を取り戻していた。
あくまで肉体的な意味だけだけれど。
「うん! お陰様でねー。まぁゆっくりしていってよ! なんか飲む?」
「ああ、気にしないでいいよ。それより、お前大丈夫か? 腕の怪我もそうだけど、急に倒れたんだし無理すんなよ?」
大志の気遣いは本当にありがたかった。
もう5年近い付き合いになるけれど、彼はいつも私を気遣ってくれるのだ。
でもその日はそれだけでは済まなかった……。
その日、私は初めて大志に大きな弱みを見せた。
誰もがドン引きするくらいの内容の弱みだ。
正直に言えばそんな弱みなんか大志に見せたくは無かった。
彼は普段から私に優しくしてくれたし、その上甘えるなんてことは出来ない……。
と……。思っていたのだ。
その時私は、2つの大きな問題を抱えていた。
1つは付き人をしているバンドのヴォーカルの我儘だ。
彼女……。鴨川月子は私をぼろ雑巾のように扱っていた。
セクハラ、モラハラ、パワハラなんて言葉で片付けるにはあまりにも非常識な扱いだったと思う。
彼女を庇う訳ではないけれど、それは彼女なりのコミュニケーションであり、同時に愛情だったんじゃ無いかと思う。
歪んだ愛情は人は真っ直ぐな悪意よりよっぽど人を傷つける。
愛情が凶器のように思え、これならいっそ殺して欲しいと思うほどだった。
自殺しようとは思わないけれど、殺されるのなら有りかもしれない。
そんな狂気じみた考えさえ浮かぶほどに……。
ともあれ、私はパワハラ上司に私は相当打ちのめされていたのだ。
もう1つは恋愛の話だ。歪んだ私の恋の話……。
私が付き人をしたバンドの専属サポートギターの男と私は関係を持っていた。
最初は軽く食事を取る程度だったけれど、全国ツアーの時に私たちは肉体関係を持つことになった。
その時はそんな関係も悪くないと思っていた。
自分で言うのも何だけれど、私はビッチだし気になる男と寝る事にさして抵抗がなかったのだ。
私たちの肉体的相性はあまり良くなかった。はっきり言えば最悪だったと思う。
彼はAV男優のようなアクロバティックな体位でコトに及んでいた。
お世辞にも穏やかなセックスではなかったと思う。
彼の要求はかなり変態的だったし、アダルトビデオの会社の人間が見ても引くレベルだった。
マジでクソ変態的な男だったのだ。
彼がアダルトビデオ見すぎの変態ってだけならそこまで問題ではなかったと思う。
私が今まで付き合ってきた男の中ではかなりイケメンの部類の入っていたし、話していて嫌な気分にもならなかった。
でもそれが良くなかったんだと思う。
私が馬鹿だったんだ。馬鹿で愚かで醜かったんだ……。
後から分かった事だけれど彼は既婚者だった。
詰まるところ私は意図せずして不倫する羽目になってしまったのだ。
それから彼は私を無料で行為を提供する売春婦のように扱うようになっていった。
これも後から分かった事だけれど、彼と奥さんの夜の営みは閑散としていたそうだ。
奥さんとは深刻なセックスレスだったらしい。
そんな彼にとって私は性欲処理に持ってこいの存在だったに違いないだろう。
そんな状況に私はある意味巻き込まれ事故的に巻き込まれてしまったのだ。
自業自得なのは認めるけどね……。
私はもうどうして良いのかよく分からなくなっていた。
彼の事が嫌いでは無かったし、肉体関係を持つこと自体はそこまで苦痛ではなかった。
ただ心は砂漠のように渇いていたと思う。
行為をすればするほど、私の心は潤いを奪われていた。
肉体的潤いと精神的乾きが反比例的に広がっていくのを感じずには居られなかった……。
セックスを繰り返す度に彼は私に愛情の確認を毎回要求してきた。
「なあウラちゃん? 俺の事好きか?」
「……。好きだよ」
私たちはオウムのように同じ言葉を毎回交わした。
私は自分が酷く滑稽に思えた。まるでパブロフの犬のようだ。
「好きだよ」と繰り返すだけの愚かな犬。
肉体的疲労には耐えられた。しかし心の方はそうはいかなかった。
月子さんの我儘だけでも相当応えていたのに、不倫行為に及ぶのはかなりきつかったんだと思う……。
私の限界が訪れるまでそこまで時間を必要とはしなかった。
ある日、私の中の糸が1本切れてしまったのだ。
なぜ切れてしまったのかは分からない。
でも確実に私の中の何かの糸がプツンと切れるのを感じたのだ。
比喩的を通り越して、本当に音が聞こえるほどはっきりと糸が切れたのが分かった。
だからあんな事をしたんだと思うけれど……。
その日、私は行為が終わると彼を家から追い出した。
なぜあんな事をしてしまったのか、今でも理解できないけれどもう限界だったのは確かだ。
彼は私の部屋の前でしばらくドアを叩いたり、インターフォンを押したりしていたけれど、しばらくすると諦めて帰った。
彼が帰った後、私は部屋の片隅でうずくまることしか出来なかった。
うずくまる私の目から溢れ出る涙は、私の心と体を突き刺す針のように傷つけた。
私は自分の身体にこれほどの水分があることが信じられないほど泣いた。
目の周りが真っ赤に腫れ上がっているのが鏡を見るまでも無く分かるほどの涙だ。
もう砕け散ってしまったのだ。
ハンマーで砕いた硝子のように……。
彼を追い出したその日から私の地獄が数ランクアップした。
月子さんからの風当たりは以前にも増して強くなったし、彼も私にきつく当たるようになった。
自分でも本当に不思議だけれど、それから毎日笑顔で仕事をしていた。
あんな事があったのに気持ち悪いくらい頑張れたのだ。
きっとアドレナリンがとんでもない量出ていたに違いない。
でも……。
肉体的限界は最悪のタイミングでやってきた……。
そんな話を大志は私の目を真っ直ぐに見ながら聞いていくれていた。
話している最中に泣く私に寄り添ってくれたし、不器用なりに私を抱きしめてくれた。
大志にひとしき話し終わると私は落ち着きを取り戻していた。
あんなに感情的だったのが嘘のように自分を客観的に見る事ができたのだ。
こんな愚かな話を黙って聞いてくれる大志がとても愛おしく思えた。
酷く自虐的に聞こえるかもしれないけれど、私は馬鹿で愚かでどうしようもなく醜くて汚らわしい女だと思う。
でも……。そんな私を大志は受け入れてくれたのだ。
私は彼に感謝では言い尽くせない気持ちを抱いた。
そしてこの気持ちがゆくゆく私を酷く苦しめることになる。
やはり愛情は凶器なのかもしれない……。
数ヶ月後、私は思い知らされる事になったのだ。




