17.聖子 託児は人の為ならず
小室医師から連絡を受けた私は旭市の総合業院へと向かった。
相変わらず伊瀬さんは訝しげな顔をしていたが私はあえて気にしないようにした。
あの男は、事件の被害者やその家族に対して非常に薄情なのだ。
病院に着くと私は前と同じように受付へと向かった。この前の女性事務員に話を通すと今度はすぐに小室医師に連絡してくれた。
「どうも泉さん!」
待合室で待っていると小室医師が何やらファイルを持って私のところにやってきた。
「先日はありがとうございました。あの……。ヒカリ君は?」
「ああ、元気になりましたよ! 一昨日の晩はずっと泣いてましたけれど、もう落ち着いたようです。会っていきますか?」
私は「お願いします!」と小室医師に伝え、彼の居る病室に案内して貰った。
どうやって出産したのかが分からないけれど、葛原みのりの息子は世間的には存在しない人間のようだ。
おそらく、産婦人科に掛からず出産したのだろう。
通常ならそんな状態での出産はあり得ない。しかし出産に関する記録は一切無く、それ以外には考えられなかった。
おかしな話だけれど、彼女の息子の名前も遺書から推測するしかなかった……。
葛原みのりの遺書には頻繁に『ヒカリ』という名前が書かれていた。文脈から察するに息子の名前らしい。
しかし今回の事件はどれもこれも推測の域を出ない。DNA鑑定しなければ、彼の両親の断定さえ難しいだろう。
小室医師に案内された病室は6人の相部屋のようで、入り口のプレートには患者の名前が書き込まれていた。
患者の内、5名はきちんと漢字でフルネームが書きこまれていたが、1人だけカタカナで『ヒカリ』となっている……。
「ヒカリくーん! 今日は残さず食べられたねー」
「うん! おいちかったー」
ベッドにはちょこんと小さな幼児がニコニコしながら座っていた。髪が長く、一見すると女の子の見える。前髪が長いせいで表情がイマイチ分からないけれど、口元は笑っているようだ。
「えらいねー。ちょっとこのお姉ちゃんがお話したいんだってー」
小室医師は子供の扱いに慣れているようで、すんなり私を紹介してくれた。
「こんにちは! ヒカリ君! お姉ちゃん覚えてるかなー?」
私が話しかけるとヒカリ君はじーっと私の顔を覗き込んだ。前髪の分け目から見えるヒカリ君の目はクリクリしている。
「お姉ちゃんしってるよぉ。こんにちは」
ヒカリ君は私の事を辛うじて覚えているようだ。
「こんにちは! 覚えててくれてありがとー」
私はヒカリ君に他愛のない話を振りながら様子を伺った。彼は思っていたより元気で聞いたことには素直に応えてくれた。
「ママ早くもどってこないかなー?」
ヒカリ君はあどけない表情のまま、帰ってくるはずのない母親のことを小室医師に尋ねた。
「うーん……。ママ今痛い痛いだからもうちょっと待っててあげてね!」
「うん!」
無邪気にそう言うとヒカリ君は目を擦って大きな欠伸をする。
「ねむたい……」
「よーし! ヒカリ君お昼寝の時間だね! 先生と一緒に数を数えよう!」
小室医師はヒカリ君のベッドの隣にあるパイプ椅子に腰掛けると、彼を寝かし付けるために一緒に数を数え始めた……。
ヒカリ君を寝かし付け終わると、私たちは診察室前のベンチに腰掛けた。
「本人は何も覚えていないようなんです……」
小室医師は歯切れの悪い言い方をした。確かにさっきの様子だと記憶は混乱しているらしい。
「そうみたいですね……。ヒカリ君には母親のこと何て話したんですか?」
「すいません……。今病気だから元気になるまで帰ってこないとだけ伝えてあります。まだ幼くて死を理解できそうにありませんし、仮に理解できても受け止めきれないでしょうから……」
実に小児科医らしい説明の仕方だ。3歳児に『死』を伝えることなんてほとんどないが、確かに説明したところで理解できないだろう。
「あの……。これからあの子どうなるんでしょうか?」
「……。まだ何とも……。もし親族の方がいらっしゃれば、引き取って頂くのが理想だとは思います」
親族……。居なくはないが、引き取ってくれるかはかなり微妙なところだ。
「もし……ですけど……。回復後私が一時的に預かるってことは可能ですか?」
「それは……。私の判断では何とも……。まずは親族の方に確認する他ないと思います……」
「で……すよね……」
かなりナイーブな問題だとは思う。でも仮にこのまま施設に送られたとしたらあの子の将来は一体どうなってしまうのだろうか?
小室医師にもう一度よく礼を言うと、私は署に戻った。
はたしてヒカリ君にどうしてあげるのが一番良い方法なのだろう……。私は車を走らせながらまだ少年と言うには幼すぎる彼のことをずっと考えていた――。




