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仔猫の恋  作者: くろくろ
蛇の足は何本ある?
31/61

狐さんに抱き付いて、「大好き」だと叫んだのでした。

最終話ボツ。

『冷静になれば~』の電話の後、『肉食獣に~』の前あたり。

「珠稀」


ゾクッとした。

ただし、直に対する“ゾクッ”とは違うゾクッだ。


「…呼び捨てにしないでくれる?狭山君」


ニヤニヤとイヤな笑い方をする相手は、まったく意に介することなく珠稀の前に立つ。


「逃げたってことは、本当は珠稀に男はいないんだろ?」

「ちがっ!」


カチンと来て、思わず怒鳴りそうになった珠稀だったが、慌てて口を閉じる。

ここは職場ではないし、直はいない。

付き合ってるといったところで、彼が恥ずかしい思いをしないで済むとはわかるのだが…。

珠稀は結局、口を閉ざした。


「なぁ…いい加減、素直になれよ」


「…えっ?」


まるで、珠稀の心中を覗き込んだかのような言葉。

驚いて顔を上げれば思ったより近い位置に笑みを消した真剣な表情があって、思わず後退る。

…こんなところで、直と他の男の人が違うのだと実感してしまう。


「なんで、そんなに意地張ってんだ?珠稀の本当の気持ちなんて、すぐにわかるっつーのに」


衝撃的だった。

元はといえば、兄に過剰に構われるのを避けるために得たポーカーフェイスだったのだが、年々硬くなって“無表情”としかいいようのない有様になった顔面。

珠稀本人は、あまり動かなくなった顔の筋肉が自分の感情をしっかり隠してくれていると思い込んでいたため、驚いたのだ。


大人は、自分の感情をコントロールして冷静な表情を作る。

就職する前から…兄ではなく、直の姿を見ていたからそれはわかってはいたし、憧れてもいた。

自分にはポーカーフェイスがあるから大丈夫だと信じていたのだが、それは勘違いだったと指摘されてはじめて気付く。

しかも、知られたくないことがダダ漏れだったことがショックであった。


「…っ。そんなに、わかりやすい?」


狭山は鼻で笑う。

どうやら、答えはいうまでもないらしい。


仲が良いわけでもない、しかも中学を卒業して以来会っていない相手にもわかるぐらいだ、直にはきっとバレているのだろう。

そう考えているだけで、恥ずかしくて堪らない。


彼が気付いていながらも何もいわなかったのは、珠稀の好きにさせるぐらい余裕があるからか、それとも『子どもが大人のマネをしてる』と見守られていたからなのか。

後者であれば…とても、居たたまれない。


「子どもだと、思われてるのかな…?」


だからこそ、恥ずかしくて人前で彼の横に立てないのだ。

彼自身、珠稀にしてみれば落ち着いていて冷静で、何でも恥ずかしがってまごつく珠稀を余裕な態度で引っ張っていってくれる。

成人した人間の言葉ではないが、いかにも“オトナ”である。

そして、彼が付き合っていた女の人…実際に会ったのは、一人だけだがー…もまた、甘え上手で自信に満ち溢れたオトナの女の人であった。

自分の、振袖を着たせいで更に平らに見える胸を見て溜息を吐く。

そこも、負けている。

勝てるとしたら年齢ぐらいだが、年が若いことがネックになっている以上、まったく意味のないことだ。


肩を落とせば、狭山は珠稀を哀れに思ってか、慰めるように優しげな口調で話し出した。

中学時代から考えれば、すごい進歩である。


「いいだろ、そんなこと。むしろ珠稀は、もうちょっと子どもっぽく甘えてみてもいいって」


「ウザくない?」

「ウザくねーよ。俺だけがそういうとこ見られるんだって、優越感はあるけどな」


「そんなもの?」


とはいえ、珠稀だって彼と女の後輩とのやり取りを羨ましく思ったことがあるのだ。

当時は珠稀と付き合ってはいなかったが、親しげな二人の様子はまるで恋人同士のようであった。


「そうだって。お前はわかんねぇかもしれないけど、男っていうのはそういうの弱いぞ」


「ふーん?そうなんだ…」


「だから、珠稀は意地張らないで甘えろ。いいな」


『だから俺と…』と、狭山が続けようとした言葉は、残念ながら珠稀には届かなかった。


「タマ!」


珠稀が本当の猫であれば、耳をピンッ!と立てただろう。

視界を遮る│障害物《狭山》の影から横にずれれば、ちょうどこちらにやって来る直と目が合った。

低く、落ち着いた声はやはり耳に心地良く響いて、無表情でわからないだろうが、珠稀はうっとりとしながら聞いている。


直は男の影から見える振袖の色と柄から、そこに珠稀がいることは遠目からわかっていた。

そのとき胸の内に沸き出したものは黒だか赤だかの、とにかく醜い色をした感情である。

それが“嫉妬”だと自覚するのは、あまり時間が掛からなかった。


「あ、あんた、珠稀の兄貴のニセモノ!?」


ぼんやりと立ち尽くす珠稀より先に、近付く直に反応したのは彼女の横にいた男だった。

ニセモノも何も、直は『犬江志良』を名乗った覚えはない。

人を指差してはいけないと習っていないらしい目の前の男を見遣り、その顔を観察した直は見覚えがないので首を傾げる。

まあ、電話中の珠稀の後ろから聞こえた声の主であり、彼女を呼び捨てにした男だということはたった今、記憶したが。


一方、うっとりしていた珠稀はといえば、すっかり狭山の存在を頭から消し去り、アドバイスされたことだけを考えていた。

つまり、“どうやって甘えるか”である。

今までやったことのないのとで、今更どんな顔をして甘えれば良いのかわからない。

基本的に、妹でありながら長子のように、しっかりと真面目に家事やらやって来た珠稀である。

まず、勇気が必要であった。


ちなみに、珠稀が“甘える”ために行おうとしたのは手を繋ぐことだ。

他の人にとってはだいぶハードルは低いが、自分からしたことがない珠稀にとってはずいぶん高いハードルである。

最初はサラッと腕を組もうと思っていたが、いつか見た谷間に埋まる彼の腕を思い出して断念した。

勇気も胸も、だいぶ足りないためだ。


さて、目標が決まれば後は実行である。

…しかし、珠稀はなかなか実行に移せずにいた。

すでに顔見知りなのか、狭山と顔を合わせたまま動かない直の手を握るなんて、とても簡単なことだ。

しかし、握り拳を作って気合いを入れても足を一歩踏み出すことも出来ずにいた。


ふと、珠稀は自分が反対側に握ったままのコップの存在を思い出す。

オトナの仲間入りだと喜んで飲んだか、やたらと苦かった琥珀色の液体は、手の中で温くなっている。

緊張からか、喉が渇いてきた珠稀は、苦さに目を瞑って一気にそれを流し込んだ。


「本物にも、さんざんジャマされて…っ」


年下相手に何やらかした。

志良に対する内心の突っ込みぐらいでは、直の対初対面用の当たり障りのない笑みは揺らぎはしない。

人はそれを“慣れ”という。


それにしても、この男は誰だ。

成人式に出席している以上、珠稀と同年代なのだろうことはわかる。

会社の後輩と同じくらい、年上に対する態度がなっていないが、それはともかく珠稀との関係だ。


自分と待ち合わせをしたとはいえ、他の参加者のいないような場所に二人きり。

下の名前を呼ぶくらいどうというわけではないのだが、外に出れば自分たちはもっと他人行儀な態度である。

それを考えれば僻みたくもなると、直は年上らしくなく考えていた。


「もしかして、あんたがジャマするように頼んだのか!」


「何のことです?」


表情は相変わらず笑顔を作っているが若干、クレーム対応並みの平坦な声になっていた。

クレームは、感情的にならずに冷静に対応するようにとは、上司に教えられて今、後輩にイヤになるほどいっていることである。


「ところで、どちらさまですか?」

「しらばっくれるな!俺は…って、名乗ってないぃぃ~っ!?」


どうやら、彼の方が名乗り忘れていたらしい。

絶叫する男を黙って見ながら、直は考えた。


彼の態度を見れば、珠稀に対する好意と独占欲はあからさまなくらいにある。

そしてあの珠稀が、無防備に二人きりになるような相手だ。

今までの経験上、イヤな想像だが…新しい恋人もしくは候補だろうか。

そう想像するだけでじわりと、胸の内から更に暗い感情が沸き出す。


珠稀と付き合うより前、意図的に抑え込んで、気付かないフリをしていた醜い感情。

きっと後輩は、こんなものを『素直に出す』ようにはいってなかったのだろうが、これも紛れもなく直の本心だった。


「なおさん!」

「うぉっ!?」


不幸せにしたくない、別れたいなら別れるのが自分に出来ることだと以前までと同じように考えつつ、それでも嫉妬で頭の中がグチャグチャになっていた直にぶつかって来る小さな身体。

ほぼ正面から来た相手にまったく気付かなかった直は、衝撃に驚いてたたらを踏む。


「あぁ、こんなにもかんたんだったんだ。だったら、もっとはやくにやっとけばよかった。ふふっ」

「タマ?」


珠稀である。

珍しいどころか、自発的に行うのははじめての行為に驚いて呼び掛ければ、見たことのないような満面の笑みで胸へとこすり付けていた顔を上げた。


…アルコールで、人間の顔がここまで赤くなると、直と離れた場所で唖然と見ていた狭山ははじめて知った。


「お、おい!まさかさっきのビール、一気に飲んだのか!?」


「なっ…!あれ程、気を付けろといったのに、何やってんだ!!」


それから男二人は大騒ぎである。

暢気に猫のように直に懐く珠稀をそのままに、狭山は会場にいる彼女の幼馴染みたちに伝言を伝えに行き、直は酔っぱらいを回収して帰ることにした。

彼女の幼馴染みたちには悪いが、遅くなっても迎えには行くつもりだ。

それよりまず、目の前の酔っぱらいを休ませるのが先である。


両親は祝日なのに夕方まで仕事、兄の志良は外出中で無人の犬江家に連れて戻るわけにもいかず、親の車を近くのコインパーキングに駐めた直は、車から下ろした途端に抱き付いて来た珠稀を引き摺るようにしながら部屋へと戻った。

玄関に鍵を掛け、ホッと息を吐いた直の胸に頬をすり寄せる珠稀は相変わらずいい具合に酔っ払っている。


「ほんとはね、こうしてみたかったんだ」


とろりとしたそんな声でいわれ、直は相手が酔っ払いだと少し忘れてムッとする。


「タマがイヤがるからしないんだ」


二人は仕事の関係で休みが合わない。

それは仕方ないことで納得はしているのだが、せめて帰りぐらいは手を繋ぐだとか腕を組むだとかそういった触れ合いをしたいと直は思っている。

しかし、なかなかそういったことを珠稀はしたがらないのだ。


「イヤじゃないよ。はずかしいんだ。『あぁ、こんなつまんないのとつきあってんだ』ってなおさんがいわれたらいやだ。それに、そとでどうやっていちゃいちゃするの?ウザいでしょ」


「ウザっ!?」


直はショックを受けているが、珠稀としたら職場にやってくるお客さんのことを思い出していた。

イベントの当日で、周りに他のお客さんが待っているのにイチャイチャしててなかなか注文してくれない人たちは、目のやり場にも困るため迷惑なのだ。


「ん!」


頷く珠稀に悪意もなければ嫌悪もなく、ショックから抜け出した直は彼女のいった言葉を冷静に反復した。


珠稀は外で触れようとすれば、『恥ずかしい』といって逃れようとする。

それが不満であり、不安の元だった。


しかし、今のいい方だと恥ずかしいのは直の行動ではなく、珠稀自身のことをいっているように聞こえる。


「それに、じぶんがあまえてるすがた、ほかのひとにみられるのがはずかしい。ふだん、さめためでみてるくせにっておもわれたら…」


普段はだいぶ、白けた目で浮かれる周囲を見ている珠稀である。

確かに、他人をそんな目で見ているくせにいざ自分が同じようにしていれば逆に白けた目で見られるだろう。

尤も、彼女は無表情で感情は表に出ていないし、口に出しても聞いているのは直ぐらいなので大丈夫だと思うが。


それと、もう一つの『恥ずかしい』は、これは珠稀自身の性格の問題だ。

こればかりは慣らすしか方法はない。


「なんだ…よかった!」


やっと支えるためではなく、抱き返すことが出来た直は珠稀の肩口に額を押し付けて安堵の溜息を吐く。

むき出しの首筋に息が当たり、ピクンと珠稀は腕の中で反応した。


「俺、不安だったんだ。タマが、俺のこと誰にも紹介してくれないから」


「みゃーこやしーちゃんとれんげちゃんにはしょうかいしたよね?あと、サト」


幼馴染みのカレシはついでである。


「そうだったよな…」


冷静に考えれば、珠稀にとって一番親しく仲が良い人たちに紹介してもらっているのだ、職場でいわないぐらいどうということではない。

オープン過ぎる自分の後輩はともかく、直だって職場では積極的に珠稀のことは話していない。

そもそも、社会人としては、仕事中にプライベートな話をしないのは普通である。

素直にそう告白すれば、珠稀は驚いたようだ。


「しょくばっ!?さすがに、つぎにどんなかおしてせっきゃくすればいいか、わからないよ!しられたあとで、てんいんのかおしてせっきゃくしたらわらわれるだろうし。…ひめせんぱい、すごいよね。たいど、かわらないから」


「うちの後輩も、そういう意味ならブレないな」


まあ、あの二人は付き合う前からだいぶフリーダムではあったので、真面目な直と珠稀にはマネが出来ないのはムリもない。


『それにしても』と、珠稀は自分の肩口から顔を上げ、至近距離で自分を見下ろす直を見ながら思った。

自分が不安であるように、余裕に見える彼もまた不安に思うことがあったのだとはじめて知ったのだ。

驚くのも仕方ないことだろう。


「なおさんも、ふあんってかんじるの?」

「当たり前だろ。俺を何だと思ってるんだ」


『当たり前』だと返されて、珠稀は何だか安心して笑った。

自分だけが不安だったとわかって、安心したのだ。


「なおさん、なにかふあんだったりしたらいってね」


「タマも、いくらでも甘えてくれ」

「じゅうぶん、あまえてるよ」


今だって、こうして甘えている。

だが、直としてはそれでも不十分だった。


「いいや、足りない。したいことも、我慢しないでいい。タマからしてもいいし、恥ずかしいなら、俺からするよ」


行動も、言葉も足りない自覚のある珠稀は、グッと詰まる。

ここで、彼に任せっぱなしではまたズルズル甘えて不安にさせてしまうと感じたのだ。


とはいえ、アルコールのおかげで普段に比べれば行うことに対する抵抗感は低い。

ふわふわとした頭と、陽気な気分で直を見詰め返して、にっこりと満面の笑みを浮かべた珠稀ははっきりと自分の気持ちを告げたのだった。

本当はこっちが最終話だった。

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