第5話 九本目の企画案
俺は一条院悟が嫌いだ。
原作を四周プレイした。四周とも、こいつは同じ場所で、毎回同じことを繰り返した。正義の暴露でシルベの心を壊した。
当たり前のように、断罪されて、画面から消えさった。四周とも一ミリも同情できなかった。ざまあみろとしか思えなかった。
シルベの半年を作った男だと知ってからは、なおさらだ。
「やっぱり俺は、こいつを好きにはなれない」
内側から全部を思い出した今も、好きになったわけじゃない。事情が分かったところで、やったことは変わらない。
だが。
こいつが『そういう悪役』のまま断罪されて終われば——彼女の半年も、『悲しい話』のまま終わる。
悪役に利用された、無名の配信者。裏で繋がっていたかもしれない女。検索結果の隅に残り続けた半年前の一文は、こいつの断罪と一緒に消えたりしない。むしろ確定する。真相の全体を知っている唯一の人間が、悪役として処理されて消えていくからだ。処理された悪役の言葉は、もう誰の頭にも入らない。
死人は証言できない。断罪が終わった悪役だって同じことだ。
だから嫌いな男を、ここで終わらせるわけにいかなかった。こいつが終われば、シルベの物語も終わったままになる。
◇
案の骨格を最終確認するつもりで、俺は半年前の記事を開いた。構成を流用する。反論の難しい事実を先頭に置き、文脈を予測して、断片を——
スクロールする手が、素材フォルダの一番下で止まった。
『栞鳥シルベ・非公開音声.mov』
再生した。ちょっとした確認のつもりだった。
『……夜分にすみません。文字で打とうとしたんですけど、うまくまとまらなくて』
半年ぶりに聞く声は、記憶より少しだけ、幼かった。
『湊さんに迷惑をかけるくらいなら、わたしが離れた方がいいのかもしれないなって、最近ずっと考えてます。わたしが関わったせいで、あの人まで変なこと言われてるので。……すみません、こんなこと、一条院さんに言うことじゃないですよね。忘れてください』
再生が終わって、部屋がしんと静かになった。
メモの二行目が、目に入る。
【シルベ】救済。
——この声の、どこに救ってくれって書いてあるんだよ。
彼女は退こうとしていた。守られようとなんかしていないじゃないか。相手のために自分から引こうとして、それすらうまく言えなくて、最後は、忘れてくださいと言った。俺の表のどの欄にも、この声は入らない。入らないものを、俺は『救済』の二文字に丸めて、案の軸に据えてしまっていた。
半年前と同じ場所で。同じやり方で。
◇
案を消そうとした。
どうしても消せなかった。
全員が得をする設計なら、画面の中で成立したままだろう。これを消したところで、代わりに何があるっていうんだ。
頭の中の誰かがそう説いてきて、答えが用意できなかった。
俺はメモを閉じて、保存先を選んだ。
企画案のフォルダ。シルベとの次のコラボのために、密かに書き溜めていた八本が、半年前の日付のまま並んでいる場所。その下に、九つ目として、告発の設計案が並んでいた。
並べてから、自分が何をしたのか分かって、しばらく画面を見ていた。皮肉なことに、八本と九本目は、同じ人間が、同じ熱量で書いているのであった。
◇
次に、音声ファイルにカーソルを合わせた。
消すべきだろ、と思った。これがある限り、三の矢は撃てる。手元から消せば、少なくとも、俺からは何も撃てなくなる。
消しても意味がないということも、知っていた。協力者の側に複製があるかどうか、俺には確認する手段がなかった。無いと信じる根拠も、有ると断定する材料すらもない。世界に何部あるか分からないものを消して、消したことにするのは、この仕事をやる人間が、一番唾棄すべき種類の安心だ。
——だから消しても意味がない。でも、それは消さない理由になるというのか。
ならない。意味がなくても、俺が撃てなくなることになら、意味がある。
じゃあ、ここで消してしまうのか。これは彼女が、彼女の判断で、俺に預けた声だろう。使ったのも俺で、消すのも俺なのか。シルベから託されたものの最後を俺が決めるというのか。
半年前は理由がすぐに揃った。聞けば止められる。聞かない方が彼女のためだ。俺の方が正しく判断できる。一発で揃って、迷いなく動けた。
今夜は揃わない。
消す理由と消さない理由が、どちらも途中で止まる。カーソルだけが、ファイル名の上に載っていた。
俺は、何も決められないまま、フォルダをそっと閉じた。
◇
代わりに、開いた画面がある。
DMの送信画面だった。
宛先は、栞鳥シルベの公式アカウント。
文面は、決まるまでが無駄に長く、決まってからは早かった。
『夜分にすみません。用件だけ書きます』
『数時間以内に、このアカウントの関係先から、二本目の動画が出ます。内容は、小仙波湊と複数の女性配信者との不適切交際についてです。編集済みの映像で、五人分。あなたは含まれていません』
『もし時刻と内容が当たっていたら、一度だけ、話を聞いてもらえませんか。外れていたら、二度と連絡しませんので』
読み返した。
告発アカウントから、次の告発の中身を、標的の一番近くにいる人間へ流している。
契約で言えば、素材と計画の漏洩。責任所在の開示条項に、過失の理由を自分の手で追加するようなものだ。
しかも、これで守られるのは湊だ。よりによって、あの湊だ。
そして、この文面には、俺の技能が一つも入っていなかった。
事実の並べ替えも、文脈の切除も、疑問形への誘導もない。予測して、情報を相手に渡して、ただ待つ。当たっているかを確かめるのも、その先で聞くかどうかを決めるのも、向こうだ。俺に残っているのは、送るか送らないか。それ一回の迷いだけだった。
送信した。送信してしまった。
送った直後に分かった。この文面は、自白と同じようなものだ。次に出るものを知っている人間は、どう考えても、情報を出す側にいる人間だけだ。
彼女がこれを読めば、半年前に自分を助けた奴と、今夜、相手を燃やしている奴が、同じ場所にいるのだと確定する。
半年間、彼女が曖昧にしていたことを。
真実として確定させてしまったのは、一条院悟の方からだった。
◇
送信済みの画面を閉じて、企画案のフォルダへ戻った。
九つ目に、カーソルを合わせる。
もう、要らなかった。全員が得をする表は、たった今、自分で壊した。告発の中身を標的の側へ流した時点で、あの設計は成立しない。成立しなくなった案を、成立していた頃の形のまま取っておく理由は——もういい。
探さなかった。
削除の確認画面で指が止まった。
半年前、四回目の配信を消した夜、この指は一秒たりとも止まらなかった。
今夜は止まった。止まってから消した。
フォルダには、八本の企画案だけが残っていた。
◇
憂鬱な気分で受信箱に戻った。
その時だった。
新着メッセージが一件。
通知の一番上。フォロワー欄は空白で、プロフィール画像もない。アカウントの作成日は、今日になっている。
送信者名は、ひらがな三文字だった。
『しるべ』
時刻表示は、俺が打診の文面を打っていた、ちょうどその間のものだった。
彼女は俺の言葉を読む前に、これを書いていたのだ。
同じ夜の、同じ時間に、画面の向こう側で。




