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黒の矜持  作者: 川端マレ
第三部 グローテハーフェン編

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第八十二話 通常運行 後編

 女性軍医は数分もしないうちに戻ってくると、器具を乗せたワゴンをベッド脇に停める。


 ジークフリートの袖を通していない左腕をあらわにすると、包帯にハサミを入れ切り開く。

 シャキ、シャキという音がするたび、支えを失いそうになる左腕を、軍医は支えながら手を進める。


 全部切り終えると必要最小限にあてられていた添え木をはずし、創部の確認を入念にする。

 ワゴンに置かれているガーゼに手を伸ばし、患部をおおう。

 新しい添え木を当てなおし手早く包帯を巻いていく。

 補強を強めるため締め具を取り付け、キュッと締め上げる。


 女性軍医はジークフリートの左の指先をつまむとたずねた。


「これは感じますか?痛みやしびれがあったら教えてください」

「うん。大丈夫だよ。問題ない」


 糊の効いた布を何枚も重ね、硬くなるまで形を整えていく。


 白い布を左腕の下に差し入れて、その両端を右肩の上で結び上げた。

 その上から、左腕を身体に固定させるように幅広の包帯布で巻き上げた。


「処置は終わりました。再度言いますが、起き上がるのは短時間でお願いします」


 ジークフリートは衣服を整え、右手で処置された部分を確認するようにひと撫でした。


「うん。ありがとう」


 礼を言うと、目線を女性軍医から外しアンネリーゼへと移す。


「アンネリーゼ。羊皮紙と、羽ペンを用意してくれる?」


 突如声を掛けられ、アンネリーゼは現実に引き戻されたかの様に肩をびくっとさせ、一瞬言葉を詰まらせたが返事を返す。


「……あっ、はい。わかりました」


 羊皮紙と羽ペンを用意するとアンネリーゼは、ジークフリートの目の前の小卓へ並べた。

 そして、女性軍医は様子を見届けるように残り、軍曹とともに、ジークフリートの背に数枚の毛布を差し込んで書き物が出来る角度まで上体を起こす。


 ジークフリートは準備が整うと推薦状を書き始めたが、左腕は動かすことが出来ず、羽ペンを動かすたび羊皮紙が小卓の上を滑りわずかに揺れる。

 アンネリーゼはその様子を見て、そっと羊皮紙の端に手を添え押さえた。


 羽ペンを動かしているジークフリートの視界にその手が入ってきて、羊皮紙の滑る動きが止まると、格段に書きやすくなる。

 ジークフリートは軽く微笑を零し、押さえてくれるアンネリーゼをちらりと見て落ち着いた口調で礼を言う。


「助かるよ。ありがとう」

「……いえ」


 アンネリーゼは端正に綴られていく推薦状の文字を、見つめ続ける。

 リオラ曹長や犠牲になった者たちの死が、淡々と生きている人の手で手続きが進められていく。

 

 チラっとその文字を書いているジークフリートの姿に目をやる。

 俯いてペン先を走らす横顔に、黒髪の前髪が影をつくるが、その下に隠れるこめかみにはうっすらと汗が滲み、肌が薄く光っていた。


 最後の項目まで書き進めると、ジークフリートは呼吸を整えた。


「封蠟も印章もここには何もないんだよね。そうだなぁ……」

「立会人の署名を代わりに入れようか」

「アンネリーゼ、そして軍医のあなた。立会の署名入れてくれる?」


 女性軍医の眉間の皺が深くなる。面倒だ、という顔だ。だが次の瞬間、視線は書面の空欄へ落ちた。

 アンネリーゼも同じように一拍遅れて紙面を見た。必要だ、と理解してしまう。


 二人はお互いの顔を一度見合わせると、無言で意思確認をするように視線を交わす。


 女性軍医はすっと前に足を運ぶと無言で羽ペンへ手を伸ばし、サラサラと手際よく署名をする。

 羽ペンが置かれると、アンネリーゼが続くようにそれに手を伸ばす。一度書面の文字に目をやると複雑な表情のまま羽ペンを走らせる。

 推薦状の公式的な説得力を増す二人の署名が記されると、ジークフリートはひとつ区切る様に息を吐いた。


「うん。ありがとう」

「あなた達の協力で、彼らが大切にしていた家族にひとつ返すことができるよ」


 推薦状を殉職した三名分書き終えると、ジークフリートは身体をハーゲン軍曹に支えられながら戻した。

 横にされたジークフリートの顔は、それまで書き物で俯いていて確認しづらかったが、眉間がうっすら青白くなっていた。

 それを見て女性軍医は深くため息をつき小さくこぼす。


「無理をするなと言ったのに……」


 それでも女性軍医は手を貸してしまった手前、腹をくくっているようで強めの口調で咎めるに留まる。


「この後は絶対安静でお願いします」

「あはは、分かっているよ」


 そうジークフリートは軽く返すと、アンネリーゼを見た。


「これ、明日前線の天幕にもっていってくれる?」

「ハインリヒ経由で、元帥(げんすい)へ送付するように伝えてほしい」


 アンネリーゼは推薦状を手に取ると、その質量以上の重みに指先が自然と強張った。

 小さく頷き「はい。承りました」と答えると、軍曹と女性軍医とともにジークフリートの部屋を後にした。


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