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黒の矜持  作者: 川端マレ
第三部 グローテハーフェン編

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第八十二話 通常運行 前編

 軍曹が先導し、ジークフリート少佐の療養している部屋へ向かう。

 ノックを入れると中から普段通りの「はーい」という軽い声が返ってくる。


 中へ入ると、軍曹はドア付近で足を止めそのまま待機する。

 アンネリーゼは止まった軍曹の動きに対応が遅れ、鼻先をぶつけそうになって、首をびくっと反射的に引いた。

 その動作に、アンネリーゼは自分がぼうっとしていたことに気が付いた。


 このまま軍曹の背中に隠れていたい気持ちがありながらも、胸に抱えた紙束へぎゅっと力をこめると足を一歩踏み出した。


 ジークフリートは、何も言わず、アンネリーゼのその様子をじっと見ていた。


 アンネリーゼは足元に視線を落とした状態でベッド脇まで歩くと、書類を手渡す一瞬だけジークフリートを見た。

 右手で書類を受け取ったジークフリートは、それを胸のあたりに置くと、ドアに待機している軍曹に声をかけた。


「あなた。ハーゲン軍曹。そこの脚の短い小卓。ここに置いてくれる?」


 そう言うと、ジークフリートは自分の腹あたりを視線で示した。


 軍曹は自分の名前を呼ばれたことに驚きつつも、小卓を抱えベッド傍へ運び「失礼します」と断りを入れ、ジークフリートの腹の上を渡すようにそれを置いた。


「ついでにもう一ついいかな?」

「少し背もたれを高くしてほしいんだ。申し訳ないね」


 軍曹は毛布を手に取ると、角を揃えて折りたたみ厚みを出す。それをジークフリートの背にあて、上体をわずかに起こす。


 この間、アンネリーゼは普段なら率先して手伝いに動くのに、何も動くことが出来ずその様子を眺めるだけだった。


 ジークフリートはアンネリーゼの異変に気が付きながらも、淡々としている。

 身体が動くと左腕に響くのか、眉根が少し動く。

 体勢が定まり安定すると、短く息をこぼし軍曹へ視線を向けた。


「助かるよ。ありがとう」


 軍曹はその言葉を受け取るとドア付近へ戻っていった。


 ジークフリートは右手で紙束の端をすっと撫でて揃える。

 それを小卓の縁へ立てかけ、読みやすい角度を探す。

 そうして読む準備を整えると、すらりとした指先が紙の縁をつまみ、次々と頁を送っていく。


 しばしの間、乾いた音が規則正しく響いていたが、ふとジークフリートはその手を止めた。


 死傷者一覧へ視線が落ち、眉を一瞬(ひそ)めた後、目がわずかに細まる。


(なるほどねぇ。このせいか)


 ふっと短く息をこぼし、ジークフリートは自分の左腕を確認した。


(これ以上、上体を起こすのに耐えられるかな)


 逡巡(しゅんじゅん)し、何かを思いついたように軍曹へ視線を向けて声をかけた。


「ここの管理をしている女性軍医を呼んでくれるかな?」


 その問いは予想もしなかったようで、ハーゲン軍曹は目を一瞬見開くがすぐに敬礼をすると、踵を返し部屋を出て行った。


 ドアが閉まる音のあと、室内の気配が一段静かになる。

 ジークフリートはアンネリーゼへ観察するような視線を向けた。


 表面上は普通にしているが、瞼が赤く腫れぼったい。

 さらに、心ここに在らずの状態で視点がどこかすり抜けている。


(泣いても内面までは崩れていなかったのにな)


 これまでなら『へぇ、泣いたんだ?』と確認をしていただろう。

 どこでその人間が心を(くじ)くのか。そしてどのように感情が繋がって表に出るのか興味があったのだ。


 だけど今、直接聞かずとも、アンネリーゼがどのような経緯で呆然自失となっているか理解できた。


(俺は自分のやるべきことをするだけだ)


 ジークフリートは残りの報告に目を通してく。

 ほどなくして軍曹が、女性軍医を伴って戻ってきた。

 女性軍医は面倒事なのをどこか感じているのか、眉間に少し皺を寄せ、部屋の入り口付近で立ち止まっている。


 その姿を確認すると、ジークフリートは丁寧に微笑んだ。だが目だけが、相手の逃げ筋を塞ぐように鋭くとらえている。


「あぁ、突然呼び出してすまないね、あなたに頼みたいことがあってね」

「ちょっと書き物をしたいから、この左腕、がっちり何かで固定処置をしてくれないかな?」


 冗談のようなその軽い物言いに、女性軍医は「は?」と呆れて声をあげる。


 了承出来るわけがない。開放骨折して四日目。

 傷口も、腕に戻した骨も不安定だ。

 そんなことをしたら悪化しかねない。


 女性軍医はうっすらと浮かべていた眉間の皺を深くする。


(君が死んだら私の首が飛ぶんだが?)


 このジークフリート少佐という男。

 こっちの事情もお構いなしにとんでもない要求をしてくる。


 咳ばらいをひとつ挟み、女性軍医は背筋を正した。


「少佐。それは承知いたしかねます」


 はっきりと出されたその言葉を受け、ジークフリートは「あぁ。そう」と短く答えた。


 ジークフリートは視線を紙面へ落とした。死傷者一覧の名前を指先でなぞる。

 サァ……と乾いた音が虚しく響く。

 冷たい視線で見つめたその先には、よく知る文字列が存在している。


「部下が殉職してね。階級特進の推薦状を直属の上官の俺が書かないと、遺族は困るんだよ」


 命への責任の取り方として昇進では足りないだろう。

 それでも足りないものを、足りないまま差し出すしかない。


 ジークフリートはベッド上に置かれた小卓を、指先でトントンと叩きながら女性軍医へ尋ねる。


「ちなみにさ、普通に起き上がっていいのはいつ位をあなたは予測しているの?」


 女性軍医は顎先に指を添えて、計算を走らせるような表情に変わる。


「そうですね……10日、いや、二週間は安静にしていただきたい」


 その返答を聞きジークフリートは小さく右肩をすぼめた。


「無理だね。そんなに待てない」

「彼らには生活がある」


 ぐっと軍医は息を詰める。


(なぜ私が危ない橋を渡らねばいけないんだ……)


 ジークフリートは、その女性軍医の微細な変化を細めた視線で測っていた。

 安全をとって期日を伸ばす言い回し、遺族の生活を出すと言葉に詰まった様子。


(完全に無理なら理由を聞いても言葉に詰まらず、間髪入れずに断るだろう)

(彼女は保身を優先したいが、迷っている)

 

 押す余地があると読み、確定を取り付けるのに柔和に微笑む。


「で、やってくれないの?」

「推薦状を書くのは決定事項。俺はこの状態でも書くつもりでいる」

「左腕のこの添え木では心もとないでしょう?だからあなたに頼んでいる」


 創部の確認が必要なため現状最低限の補強しかされていない。

 ジークフリートの言う理由も女性軍医は分かる。そして断ったら余計ひどい事になるのは明白だった。

 

 女性軍医は深く溜め息をつく。


「……短時間だけです。痛みが強くなれば中止を」


 そう言うと女性軍医は踵を返し、足早に部屋を出て行った。

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