表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒の矜持  作者: 川端マレ
第三部 グローテハーフェン編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

85/88

第八十一話 触れる距離

 伝令や輸送兵が利用する天幕へ、アンネリーゼは今日まとめた書類を届けにきた。

 これを届け終われば診療所へ戻り、自分の時間をとれる。

 けれど、その時間を自分の為に使う気にはなれず、何もしない時間がやってくるのを怖く感じる。


 つい先程まで疲労感が一切なかったのに、急にため息が何度も零れだす。


 輸送兵が使う保管用の天幕の垂れ布をよけて、中へ入る。


 そこには一人の兵がいた。

 兵は紙束を抱え、その日輸送する荷物を確認しチェックをしているようだ。

 アンネリーゼが入ってきたのに気が付くと声をかけてくる。


「中央への報告の書類ですか?」

「はい」

「それなら奥の机にある板箱へ入れておいてください」


 兵はそう言うと奥を視線で示した。

 アンネリーゼは軽く会釈を返すと、奥へ足を進める。


 奥の机上には、造りがしっかりとした板箱が3つ並んでいた。


(この中のどれかなのかな?)


 どの箱もしっかりと蓋がされている。


 ひとつめの箱の蓋に手をかけて開けようとした時、隙間から乾いた木の香りが漏れた。桐の匂いだ。

 

 澄んだ爽やかなその香りは、普段なら落ち着くはずなのに心臓の鼓動が騒がしくなる。


 蓋を開け、目に飛び込んできたのは、階級章だった。

 一点に縫い留めたようにその階級章から目を離すことが出来ない。


 背後でチェックしていた兵は確認が終わったのか、天幕から出ていく。

 後ろで入口の幕が、ばさっと音をたて閉じられた瞬間。その空間にはアンネリーゼひとりになる。


 孤独な空間になってやっとアンネリーゼは、その目にしたものを受け止めるように視線を動かした。


 アンネリーゼが見た階級章は、リオラ曹長のものだった。

 その開けた板箱には、階級章と軍服。そしてその傍らに──小さな桐の箱。


 リオラ曹長の遺体は、検問所で葬送を済まされていた。

 帝都へは日数がかかりすぎるため、遺体の搬送は叶わないと判断されたのだろう。


 リオラ曹長の着ていた軍服は、汚れは綺麗に落とされ、整然とたたまれている。


 アンネリーゼは箱に入った軍服へ手を伸ばす。


 軍服の端をそっと撫で、綻びのある部分に指先を重ねた。

 その綻びが傷に触れ、宙に浮かんでいた事実が現実と繋がる。

 肩が震え、出かかる感情を飲み込むが、それが喉仏より下へは降りてくれず下から逆に突き上げて来る。


 沢山受け取ったものを、それ以上に返していきたい。

 そう思っていたのに、もう出来ない。


『アンネさん。……あっ、そう呼んでもいいかな?馴れ馴れしい?』


 最初出会った時から助けてもらってばかりだった。

 毎日ちょっとずつお返しができると、なぜ思い込んでいたのか。


「こんな……なにも、まだ……」


 ぽたぽたっと足元の地面に涙が落ちる。乾いた土にじわりと染みをつくった。


「……馬鹿だ私は」


 アンネリーゼはそっと桐の箱を手に取り、それを抱きしめた。

 さらりとした木の質感がひどく冷たい。


 リオラ曹長から貰った数々の言葉が蘇る。


 それはいつもアンネリーゼを励ます言葉ばかりだった。


(もう返せない……もう聞けない……)


 その場に座り込み、桐の箱へ額を押し当てた。

 声をあげる事も出来ないまま、心は静かに慟哭した──


 どれほどの時間、そうしていたのか分からない。


 気が付けば、陽が西の山脈へその身を僅かに残すばかりとなっており、隙間からまっすぐと朱色の光を伸ばしている。


 天幕から出ると、兵たちが道の端に置かれているかがり火に、明かりを灯しはじめていた。


 その時間通りに職務をこなす姿を遠目で見て、自分も規律通りに動かなきゃと、診療所へ帰る準備をする。


 等間隔に置かれているかがり火が、近くでパチッと爆ぜる。

 その音はやけに遠く、アンネリーゼは手元のランタンに火が灯っていないのにも気づかず、そのまま歩き始めた。


 現場の出入り口へ着くと、兵へ挨拶を済ませようと声をかける。


「本日はこれで診療所へ戻ります。明日もよろしくお願いします」


 兵はその言葉を受け取ると、わずかに残る茜色の空を見て、アンネリーゼへ声をかける。


「もう暗くなるので、診療所までお送りします」


 そう言うともう一人の兵を伴って、アンネリーゼを護衛し診療所まで送り届けてくれた。


 診療所に着くころには陽はすっかり落ち、辺りは真っ暗になっていた。

 道中どんな会話をしたのか思い出せない。


 与えられている自室へ戻り、ベッドに腰を下ろすも、現実感が何もない。


(私何をやっているんだろう……)


 ジークフリート少佐へ報告をしなければならないのに、自室へ戻ったきり足が動かない。


 ベッドから立ち上がろうとして、ふと視線が扉の横へ流れた。

 まるで、そこに誰かが立っているかのように──


『あたしも一緒に行くことになっているから。ね?』


 そう言って笑いかけてくれたリオラ曹長。

 踏み出すのに不安を抱えていたあの時、先に立って手を差し伸べてくれていた。

 その寄り添いに支えられ、あの時は少佐の部屋まで行けた。


 でも、今は──


 ちょっとした出来事一つ一つが身を刺すように痛い。


 身動きすることもできず、流れ落ちた涙がぽたっと手の甲へ落ちた。

 同じような状況が重なるたび、失ったんだと知らしめてくる。


 ひとしきり泣いた後、ぼうっとする頭をそのままに、虚ろに一点を見つめ続けていた。


 虚空を埋めるようにドアのノック音が落され、アンネリーゼを現実へ戻す。


 短く返事を返すと、顔をみせたのは軍曹だった。


「通訳官アンネリーゼ。戻っていたか。夕餉(ゆうげ)の前に少佐への報告を」


 そこまで言い、生気の抜けたようなアンネリーゼの表情を確認する。

 一瞬眉を(ひそ)めたあと、(おもんぱか)るような表情になりながらアンネリーゼの返答を待っている。

 

 アンネリーゼは軍曹へ視線も合わせず「準備をしてすぐ行きます」と返すと、持ち帰った紙束を手に持ち、もう既に揃っている角を意味もなく揃えた。


 ドアを半分開けたまま、軍曹は何も言わず待っている。

 アンネリーゼは深呼吸をひとつ挟み、消化できるはずもない感情を抱えたまま部屋を出た──

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ