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黒の矜持  作者: 川端マレ
第三部 グローテハーフェン編

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第七十九話 目覚め 前編

 エルデンシュトラ南部──タラモンの集落にある臨時の診療所。

 ジークフリートたちはここに、落石事故が起きた日から滞在していた。


 夕暮れが近づき、アンネリーゼは干していたシーツを取り込みに外へ出た。

 陽が傾くにつれて、風がほんのり冷たくなってきている。

 小さく腕をさすり風の冷たさを紛らわす。少し背伸びをしてシーツの端を引っ張り、それを抱えると足早に廊下へと向かった。


(今日で三日目か……)


 何をしていても心配事がふとよぎる。

 その日数を考え、女性軍医から言われた言葉を思い出す。


『三日、それを超えれば一週間。そこで容体が悪化したら止められない』


 あの事故が起きてからジークフリート少佐は、ぼんやりとうわごとを言うくらいで、意識がここに在らずの状態だった。

 予断を許さない状況と、あまり改善していっているように見えない様子に、不安を募らせる。


 衣類や備品がしまわれている小部屋に入ると、抱えたシーツを一度広げ、角を揃えて畳んでいく。


 足首はまだ少し痛む。それでも動ける範囲で手を動かしていないと、少佐の状態や、置いてきたリオラ曹長たちのことで頭が埋め尽くされ、押しつぶされそうになる。


 診療所へ一緒に転がり込んだ形となっていた軍曹と伍長は、軽傷のまま動けていた。

 落石事故の翌日には、先遣部隊の騎乗兵がこの診療所に辿り着いた。

 救援の到着に軍曹と伍長はようやく肩の力を抜いていた。


 アンネリーゼはシーツの(しわ)を伸ばす指を止め、その光景を思い出す──


 軍曹はジークフリート少佐から受け取っていた伝言を、先遣部隊を指揮する少尉へ報告していた。


『崩落は爆発音の後に起きている。崖上の調査もするように』


 その報告を受けると少尉は、軍曹と伍長の全身状態に一度視線を巡らせた後、手短に指示を出す。


「少佐滞在中の護衛として、軍曹、伍長はここに残れ」


 そして少尉の後ろに控える部下を二名選りすぐり、命令を与える。


「二名は入り口に残れ。身元の分からぬものは入れるな」


 そうして少尉は先遣部隊に同行していた中年の軍医と共に、少佐が治療を受けている部屋へと入っていった。


 中年の軍医は少佐の状態を手早く診察すると、齟齬(そご)がないか診療録と照らし合わせていく。


「今必要な処置は全て終わっていますね」

「傷口が開けば致命傷になりかねない。このままここで安静にしましょう」


 そう告げると、先遣部隊と一緒に軍医は前線の天幕へ戻っていった。

 ここで必要なのは付き添いと看護であり、軍医には前線でやる事があるのだろう。


(軍医の先生は忙しい、私にできること……)


 アンネリーゼはそれをぼんやり考えながらシーツを一枚畳み終える。

 手の平を布の上ですべらせ、残った皺をならして横に寄せると、二枚目のシーツへ手を伸ばした。


 その時、小部屋の扉がノックされ、女性軍医が顔を覗かせた。


「急患が入ってね。これから少し硝石の作業員の宿舎へ行ってくる」

「少佐の様子、看ていてくれる?何かあったら宿舎へ」


 アンネリーゼはシーツを畳んでいた手を止め、女性軍医へ顔を向けると頷いた。


「はい。分かりました」


 本来女性軍医は、硝石工場で体調を崩している作業員の治療のために派遣されている。

 その診察と合わせてジークフリート少佐の治療も行っていた。


 女性軍医が付きっ切りになることも出来ず、治療以外の看護の補助をアンネリーゼが担っていた。


 シーツを畳み終え、棚にしまうと、ジークフリートが療養している部屋へと向かう。


 部屋のドアを開けると、窓際に一つのベッド。

 そこにジークフリートは寝ている。


 窓から差し込む夕日が強く、ジークフリートの横顔がまるで陶器のように見えた。

 寝息さえ聞こえない静かな様子。

 心臓が強く一度拍動し、息をつめ駆け寄った。


 耳を寄せて確認すると、スーっとわずかに聞こえる呼吸音に、ほっと胸をなでおろす。


(生きている……大丈夫)


 熱を測り、記録する。

 軍医が後で見た時に状態が分かるように細かく書き込んだ。


 あの日から高熱が続いていた。それでも日毎(ひごと)に、熱が引いている時間が少しずつ伸びている。

 

(さっきは熱が今下がっていたから能面のように白く見えただけか)


 それでも心配になり、消毒液のしみ込んだ脱脂綿で指先を拭くと、包帯の外側に軽く手を添え湿りや熱のこもり具合を確かめる。

 顔を寄せ、創部から変わった匂いがしないか鼻を鳴らして確かめた。


(膿んではいない。大丈夫)


 『感染の兆候が出ると危ない』と女性軍医に教えてもらっていた。

 ひとつひとつ『大丈夫』を重ねて、万が一は起きないと自分に暗示をかける。


 ひととおり確認をし、安心すると急に手持ち無沙汰になる。

 近くのテーブルへ行き、そこに備わっている脱脂綿やガーゼを、使いやすい大きさにカットして時間を過ごした。


 ジークフリートは眠りが浅くなると傷が痛むのか、眉間に小さく皺が寄る。

 その時は決まって衣擦れの音がする。

 アンネリーゼはその僅かな動きを察知して、傷に響かないように、肩甲骨の下や膝下に畳んだタオルを差し込み、楽になりそうな姿勢を探す。


 時折ジークフリートがうっすら目を開ければ、用意したガーゼを白湯に浸し、唇を湿らせるように水分を飲ませる。

 喉仏の動きを確認し、上手く飲み込めているかを見届けた。


(水分に反応する今なら食べてくれるかも)


 いったん枕元を離れ、廊下の先で温めておいたスープを取って戻った。


 食事の時は変な所へ流れては大変だと、背中にタオルを挟み上体を起こそうとするが、体重が思った以上に重く、アンネリーゼひとりでは腕力が足りない。


 扉の外へ助けを求める。


「軍曹。手を貸していただけますか?」


 軍曹はすぐに入ってきて手を貸してくれた。


「少佐、失礼します」と軍曹は律儀に声をかけると慎重に持ちあげる。


 ジークフリートの体勢が落ち着くと、アンネリーゼはその唇へ煮出したスープを差し出す。

 匙に乗せられたそれは、少量の穀物が混ぜられており、わずかにとろみがついて飲み込みやすいはずだ。

 ただ飲み込むその動作でさえ疲れるのか、すぐに顔を背けて寝入ってしまう。


 いつも整然とし、隙の無いジークフリート少佐のその様子は、普段からはかけ離れすぎている。

 人間味のない孤高の存在が、現実味のある姿を晒すことで、この人も一人の人間なのだと再確認させる。

 食べ物というにはほど遠い、薄いスープを口にしてこんこんと寝続ける。

 自分を使いつぶすような生き方をしている少佐が、ただ生きるために今を過ごしていることに胸がほどけるのだ。


 それでもいつ悪化してしまうのか、その不安は常にあった。

 アンネリーゼはそうならないように、必死につなぎとめた──

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