第八話 手紙
南にある軍管区から少し離れた場所に、軍関係の資料や他国の情報などを管理する軍務資料局がある。
他所よりも木々が高く、白樺と針葉樹の隙間から朝の日差しがこぼれる。
軍務資料局に勤めるアンネリーゼ・リヒタールは局内の奥の机で、他国言語で書かれている資料を翻訳し書き留めている。
羽根ペンにインクをつけようと視線をあげた際に、入口付近の受付で黒い軍服姿の男性が一人、事務職員と何か会話をしている様子が目に入った。
(軍の方が来るなんて……珍しい)
そう思いつつも、自分の業務を進めようと資料に視線を落とす──
コツンコツンと板張りの床を歩く音が徐々に近くなり、アンネリーゼは顔を上げると、その音は丁度近くで止まった。
「あなたが、アンネリーゼ・リヒタールさんですか?」
落ち着いた声で名前を呼ばれる。
視界におさめた男性にアンネリーゼは見覚えが無い。
階級章を見ると大尉。
(どうしてそんな方が、私に話しかけるのだろう?)
疑問を抱えるが、アンネリーゼは落ち着いた口調で答える。
「はい、そうですが……どのようなご要件でしょうか?」
なるべく表情が出ないように取り繕ったつもりだが、その男性はジッと観察するようにアンネリーゼを見てくる。
「自己紹介が遅れましてすみません。私は帝国陸軍大尉、ハインリヒ・フォン・リーベルトです」
その口調から、このハインリヒ大尉は真面目な人間だと感じる。
「こちらに来たのは、通訳者を探しに来ています」
「通訳ですか……?」
アンネリーゼは通訳や翻訳の仕事を任される事が多いが、通常は直属の上司から業務の指示を与えられ、仕事に取り掛かる事が多い。
将校のような役職のある人間が、軍務資料局の事務所に直接来ることはまず無い。
(どうして通訳者を探している話を私に……?)
通常とは異なる事に、妙な胸騒ぎを感じる。
「今回探しているのは"タラモン語"の通訳者で、扱える人が極端に少なくて、軍務局に直接来ました」
(タラモン……)
その言葉に、アンネリーゼは無意識に目が泳ぎ、身体の前で重ねてた両手にギュッと力が入る。
その一瞬の動作を見て、"違和感"を感じたハインリヒは、表情を変えず続けて話す。
「アイゼンブルク少佐より、あなた宛に手紙を預かっています」
スっと胸元から白い手紙が差し出され、アンネリーゼは恐る恐る手を伸ばし受け取る。
(アイゼンブルク少佐……お父さんが教育係をしていた公爵家のご嫡子……?)
(なんだろう……)
手紙を持つ指先が震えてしまっているのを、どうにか抑えようと別の手で握るが、震えは治まらない。
先程のタラモンの名称が、脳裏に残っているせいもあるのだろう。
「その手紙はすぐに確認して欲しいと、伝言を預かっています」粛々と任務を遂行していくように、ハインリヒは言葉を出す。
(えっ……ここで読むの?)
異常事態が重なり動揺しつつもアンネリーゼは、震える指先を必死に従わせ、手紙を開封し読み始める──
***
アンネリーゼ・リヒタール殿
業務的な挨拶は省略します。
あなたの目の前にいる男は、軍務命令として「タラモン語の通訳者」を探しています。
しかし、任務を達成できなければ、彼は職を失うことになるでしょう。
三男である彼には、帰る場所があっても居場所はありません。
もし、あなたがタラモン語を扱えるのなら、彼を助けてあげてほしい。
タラモン語をあなたが扱えないのなら、そのまま彼に「使えない」と伝えてもらってかまいません。
判断はあなたに委ねます。
ジークフリート・フォン・アイゼンブルク
***
──判断はあなたに委ねます。
アンネリーゼは公式に提出した書類に、タラモン語について一切書いていない。
(アイゼンブルク少佐は、私がタラモン語を使えると感づいている……?)
手紙を読み終えたアンネリーゼは、ハインリヒの顔をチラッと見る。
(この方の人生がかかってる……)
何かを言いかけて、その言葉を出す前に飲み込み考える。
(アイゼンブルク少佐は噂だと、冷徹な判断を粛々とされる方だときいている)
(お父さんから聞いた話では、少年時代は好奇心旺盛で優しい子だと言っていた)
(でも私は、アイゼンブルク少佐を直接は知らない……)
「あの……」遠慮げに言葉をかけるアンネリーゼ。
「クビになるって本当ですか……?」
その言葉にハインリヒは、怪訝な表情を一瞬だすがそれを抑え込む。
(少佐……手紙に何を書いたんだ?)
「手紙になんと書かれているか、私は存じませんが、こちらへの気遣いは不要です」
よどみなく返ってくる言葉を聞いて、アンネリーゼは心を痛める。
(こんなに誠実そうな方なのに……)
その目の前の人間が、自分の回答次第で居場所を失うと考えると、無下に断る事がはばかれる。
(もし……ここで引き受けたら、お父さんを悩ませるだろう)
(私がタラモン語に興味を持って、教えて欲しいとせがんだあの日、お父さんは珍しく教えるのを躊躇う様子を見せた。)
(聞いてはいけない事があると子供心ながらに感じ、詳しくは聞かなかったけれど……)
父親の顔を思い出し、そして目の前にいるハインリヒ大尉の事を考える。
(子供の頃感じた違和感の理由を、大人になった今ならきっと受け止められる)
(もう子供ではない。向き合わなきゃいけない。そんな気がする──)
ふう、と迷いを打ち消すようにひと呼吸置くと、アンネリーゼは決意のこもるヘーゼルの瞳でハインリヒを見つめ、落ち着いた口調で言葉をだす。
「ハインリヒ大尉……私はタラモン語が分かります」
「通訳の務め、受けさせて頂きます」
その言葉に安心してしまったのか、ハインリヒは思わずため息が出てしまう。
その様子を見てアンネリーゼは(これで良かったんだよね……)と思いつつも、父マティアスに出立前までに話さなければいけない。そう考えるのだった──
「急で申し訳ないですが、明朝出兵になります。詳しくは後ほど他の者を手配しておくので、その者から聞いてください」
ハインリヒの言葉には一切の無駄がなく、淡々と告げ軽く敬礼をすると、そのまま踵を返し出口へと歩を進める。
残されたアンネリーゼは、それまでやっていた業務に手を付けようとするが、頭は働かず進まない。
(仕事が終わったらお父さんの所へ行かなくちゃ……)
白樺と針葉樹の隙間からは太陽は見えない。それでも届く光は分散され、ゴシック様式の窓枠の影を室内に落とす──
最後まで読んでくださりありがとうございます。
彼らが何を選び、どう進むのか、見届けていただけたら幸いです。




