第七十五話 疎外
グローテハーフェン侯爵邸、その一角。
可憐に整えられた部屋の中で、カタリナは窓外を眺めながら猫を撫でていた。
侯爵邸は普段、落ち着いた雰囲気に包まれている。
それが先日から騒めき、屋敷の外の兵たちが忙しなく動いていた。
(なにかあったのかしら……)
特使の一行がこの屋敷をたつと、カタリナの軟禁状態もすぐに解かれた。
それこそが特使とカタリナに、接点を持たせたくなかったのだろうと推察できた。
(最初は私を駒として紹介したくせに)
その父のやり方に腹が立つ。
ジークフリート少佐と初めて顔を合わせた夕食会。
その時父ユリウスは、カタリナを少佐に紹介した。
それは当たり前の所作だったが、カタリナは薄々感じていた。
『顔を合わせておけば何かと役に立つ』
そんな思惑が透けて見えて辟易とした。
そこまでは、侯爵家として取り立てておかしな話ではない。権勢ある家と縁を結びたがるのは、どこの家でも同じだ。
でも、父にはそれ以上に、なにか思惑があるように感じる。
そう思わせる場面があった。夕食会の最中、父はジークフリート少佐だけをバルコニーへ呼び出し、何やら長く話し込んでいたのだ。
室内から硝子越しに見た二人のやり取りは、表面上は穏やかだった。
だが、ジークフリート少佐は、硝子一枚隔て側近の護衛兵を室内に配置していた。
互いに危険があってはならないとの配慮だろう。
カタリナが知らされている表向きの事情であれば、あれほど相手が警戒するだろうか?
穏便な関係ならば警戒する必要はどこにある?
父に対してそれほど警戒するのは、父になにか疑いが掛けられているからでは?
そういう疑問が頭をもたげていた。
屋敷で今起きている喧噪の原因を探るべく、廊下へ出てすれ違う兵へ声をかける。
「なにかあったのですか?」
「カタリナ様。ご心配いりません。お部屋へお戻りください」
丁寧に返される。
それでもカタリナは、なにかが水面下で動き出していると感じていた。
侍従グンターの娘と恋愛関係にある兵ならば、口を割るかもしれない。
そう考えるとカタリナは、彼がひとりになる時間を見計らい会いに行く。
姿勢正しく警備に当たる兵へ近づくと、禁断の恋を抱えている兵はあからさまに狼狽えた。
「……っ!カタリナ様」
「何故こんなにも兵たちが騒めき立っているのですか?」
「それは……」
地位は高くとも、カタリナはいつも蚊帳の外だ。
侯爵家の令嬢でいることが重要であり、それ以外を知ることも何か行動を起こすことも、全てが出過ぎた個人の考えになる。
「私が知った所で、何も変わらないのに?」
「……」
兵士は、疎外されているかのように感じているカタリナの様子から、このままでは納得しないだろうと考え、話せる範囲で話していく。
「常日頃から備えが必要になる。確認せよと通達が出ています」
「普段の演習より規模が大きいので騒がしいですが、訓練の一貫です」
「御心配には至りません」
カタリナは兵の顔をまじまじと見つめ、彼の知っている範囲のどこまでを話してくれているのかと、観察していた。
嘘は無いように感じた。それでも全部が真実とも思えない。
(本当にそうなのだろうか……)
心配そうに考え込むカタリナをみて、兵は安心させるように言葉を並べていく。
「カタリナ様。御父上……ユリウス様は今までもこの街を導いてくださいました」
「帝国からの脅威があっても、外交力や政治力を駆使し、安定した統治をされておられます」
「どうかお部屋に戻られてお過ごしください」
カタリナは思案気な表情を崩すことなく、兵のその言葉を”下級兵の言葉”として額面通りに受け取った。
(私の取り越し苦労なのだろうか?いや、知らないからそうなる)
(彼はどこまで知ってそれを言っているのだろうか)
これ以上真相を吐き出させようとしても、そもそもこの兵が知らないこともあるだろう。
「分かりました。私は変わらず過ごすとします」
カタリナはそう言うと、普段通りの可憐な所作をして自室に戻った。
──陽が落ち、侯爵邸の大広間や廊下のシャンデリアの灯りが落され、各部屋の小さなランプだけが頼りになる時間帯。
カタリナは知らないままではいられないと、人の行き来が少ない時間になってから行動を起こそうと決意した。
(この時間なら人も少ない……)
古くからカタリナの、身の周りの世話をしてくれている侍女が下がる時間になった。
「では、本日はこのあたりで失礼いたします」
カタリナは、膝上の猫をそっと抱き上げ侍女に近づいた。
「もし……私が、この子のお世話を出来なくなった時。あなたに頼んでいいかしら?」
「どうなさいました、お嬢様……そのような不吉なことを」
カタリナは普段通りの振る舞いをしながら、侍女の目を見る。
「今日読んだ本が、少し悲しいお話だったからかしら」
「私すぐ影響されちゃうの、あなたも知っているでしょう?」
「少し感傷的になっているのかもしれないわね」
「でも、あなたが引き受けてくれると、私は安心して今夜も眠られるわ」
侍女はホッとした様子を浮かべ答える。
「カタリナ様の願いですから、お任せください」
「よくお休みになれますように、ハーブティーをお持ちいたしましょうか?」
カタリナは温和にふふっと笑みをこぼすと答える。
「あなたの返答で気持ちが楽になりました。お茶は必要ないわ、おやすみなさい」
侍女は礼をして部屋を後にした。
ドアがパタンと閉まる音をきいて、カタリナは猫に顔を沈め、呟いた。
「もし……そうなったら……ごめんね」
顔をあげると涙を拭い、猫をベッドへそっと降ろし、ワードローブへと向かった。
この時間帯は父ユリウスも寝室で休んでいるだろう。
父の書斎をこれから暴く。
そこに何が隠されているのか知るために。
カタリナは着替えを済ますと、自室のドアを少し開けた。
廊下は静まり返っており、等間隔に置かれたろうそくが、心もとなく揺れている。
街へ忍んで出かける際に、見繕った動きやすい服装をして廊下へ出る。
この服装であれば、他の者が見てすぐに”カタリナだ”と気が付かないだろう。
人目の少ない順路を選び、父ユリウスの書斎へたどり着く。
プライベートな部屋は血縁者だけが持つ鍵で施錠されている。
カタリナはその鍵を取り出すと書斎のドアへと差し込んだ。
書斎には様々な手紙や本などがしまわれていた。だが見える範囲で特別重要な物は無かった。
書斎の引き出しを開けた。
(これはお父様の政務室の鍵……)
その金の鍵に触れる。
重く冷たい鍵を指先で拾おうとするが震える。
これは父を裏切っている。
『信じない自分は、親不孝者』と頭の中で対極が囁いてくる。
ギュッと目を瞑り震える指先を従わせ、その金の鍵を握りしめて書斎を後にした──
父ユリウスが、いつもこの街の行政を指揮している政務室。
灯りはすべて落され、真っ暗になった室内には月明りだけが窓から入り込んでいる。
持ち歩いていたランタンの灯りを頼りに、政務室の机へと向かった。
引き出しの一番上。鍵のかかっている引き出しを、先ほど書斎から持ち出した金の鍵で開けた。
重要な書類や親書、様々なカギ類、そして父個人が記している記録。
記録を綴ったそれを引き出しから机の上に置いた。
厚革で綴じられた重たい表紙を開き、そこに並ぶ名前と日付を目で追って行った──
『硝石の受け取り先は徹底的に隠滅せねばならぬ』
その一文が目に入った瞬間、全ての時間が止まり「あぁ……」と言葉にならない声が零れ落ちた。
綴られている文字を追っていくほど、今までの『何かがおかしい』の『何か』が、実態となって姿を現す。
何故、地下にエルデンシュトラ駐屯所の隊長の娘が幽閉されているのか理解した。
『密輸を嗅ぎ付けている少佐を、寝返らす必要がある』
何故、皇帝陛下の側近である公爵家嫡子のジークフリート少佐が、このグローテハーフェンに特使として来たのか。
『硝石は手を出した時点で死罪。何をどう重ねようとそれ以上は無い』
『属国開放の同志で背負い、それを達成するのみ』
『これは私の一存として、ここに記す』
万が一この記録が他者の目に触れた時、連座を避けようとしたのだろう。
何故、父は自分に隠していたのか──
全てが腑に落ちた。
父と同じ志を持った者達で、大儀の旗を掲げている。
でもやっている事は、一族全てに罪がかかることだった。それほど大きな罪を重ね続けていた。
(”娘は知らなかった”で通せるわけないでしょ……)
涙がぽた、と書類の端を濡らした。
自分でも気づかないうちに、肩が震えている。
それは父が、最低限カタリナを守ろうとしてくれていたのを知ったからなのか、父が真っ黒だったからなのか、そのどちらの涙だかわからない。
「……馬鹿じゃないの」
その言葉が誰もいない政務室に虚しく響いた。




