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黒の矜持  作者: 川端マレ
第三部 グローテハーフェン編

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第七十三話 沈黙と喧噪

 臨時の本営となっている伯爵邸の一角の事務室は、地図と書類の山が広がり混沌としていた。

 窓の外では、西日が穏やかに空を茜色に染め上げている。


 元は執事用の事務室。その部屋にある机の前でハインリヒは、編成済みの名簿を眺めていた。

 落石現場の処理に当たる工兵や地形と調査に長けた兵を選定し、名前をひとりずつなぞっていく。


(抜かりはないか……)


 昨晩、ノエル二等兵が帰還し、落石事故の一報を受け取った。

 少し仮眠をとったがそれ以外は業務に追われていた。

 先陣部隊の派遣。事故状況の聞き取り。本部のアウグスト元帥への報告。そして第二派遣部隊の準備──


(少佐の御父上、元帥閣下はどうなさるだろうか……)

(落石は天災とは思えない。明らかに狙ってやっただろう)

(いや、思い込むな)

(でも、撃たれてるんだぞ?)

(”別々に起きたことだ”というのは、天文学的な確率じゃないか?どうみてもおかしいだろ)

(だがしかし──)


 室内の静寂とは裏腹に、ハインリヒの頭の中はうるさかった。

 その思考を断ち切るように、ドアがノックされた。


 先陣で出兵した隊からの伝令が姿を見せる。


「失礼します。先陣部隊より報告です」


 敬礼をしたのち兵は、ハインリヒに報告が纏められている紙束を手渡した。


 ハインリヒは書類に目を通していく。


(検問所も動いてくれていたのか)

 

 ほっとした心境を抱えるが、表には出さないように無表情を貼り付けている。

 先陣に組み込んでいた地形調査を担当させた兵からの調査内容も、簡易的だが報告が(まと)められている。


(こちら側は崩落が完全ではなく、近づくのは危険か……)


 なおのこと、後方から接触できる検問所が動いていたことの意味はありがたい。


 そして沈黙のまま紙をめくる。

 この間ハインリヒは一言も発さない。

 伝令も意図を掴めず、同じように無表情を貼り付けて立ち尽くしていた。


 静寂で満たされた空間に重たい空気が流れる。

 次の項目は、隊員達の状況だった。


(少佐はタラモンの南部の集落……臨時に滞在している軍医のもとで治療中)


 安心するも、状態の報告を目にして一瞬固まる。


(解放骨折……後遺症残るのか?)

(予断は許されない状況……)

(どうなるんだ……大丈夫なのか?)


 ため息が漏れそうになるが、それを喉奥で押さえると唾をひとつ飲み込んだ。


(……命張りすぎなんだよ)


 少佐はいつも軽い調子だが、部下の命を軽くは扱わないことをハインリヒは分かっている。

 きっと不測の事態が起きたのだろうと推察するが、それでも心配が高まり苛立ちを覚える。

 湧き上がる渋い感情は喉元の(たん)と同じ扱いにし、軽い咳払いを挟む。


(この苛立ちをぶつけるのは帰ってきてからだ)

(いや、三倍に仕返しされるな……)


 そして、退避済みの者の情報を確認し終わると、落石現場から救助された者の詳細に目を通していく。


(オスカー上級曹長は、右足を挫滅に近い損傷……)

(出血は中等量、挟まっていたのが幸いしたか)

(現場で軽い処置をし、検問所へ治療のため搬送)


 取り繕えなくなり、ため息がこぼれる。

 無音の空間へ落とされたため息に、待機していた伝令は目を逸らした。


 更に報告は続いている。紙束を捲って項目を確認すると脳が理解を拒んでいるのを感じる。

 確認できた殉職者は──三名。不明二名。


(不明二名……この報告をまとめた時点で昼は回っているだろう)

(事故が起きてから丸一日経ったかどうかあたり……)

(厳しいな……)


 どの隊員も顔を知っている人間だ。

 紙束を掴んでいた指先が強張り、(しわ)が刻まれる。


 更に下へと視線を進め、殉職者の名前を確認していく。


(伝令がまだいる。職務の顔を貼り付けろ)


 紙束を机に置くと几帳面に揃え、無表情で伝令兵へ伝える。


「報告ご苦労。引き続きよろしく頼む」


 伝令は敬礼をすると事務室を退室した。

 ドアを閉めた音を確認すると、ハインリヒは頭を抱え、ぐっと手の平に力を入れた。


 誰にも聞かれない状況になると心置きなくため息をこぼす。


 今回の特使の任務は最初から危ないと分かっていた。

 だが、中央で取り決められたことを遂行しないという選択肢はなかった。

 その残酷な命令を、分かっていても止められない。


 こんなこと、慣れるわけなどない。

 関わった人間を失った喪失は、積もり重なって増えていく。


(感じない振りをしているだけだ)


 そう思ってふとアンネリーゼを思い出す。


(彼女は身近な人間がこうもいきなり、いなくなってしまうことは耐えられるのだろうか……)


 彼女の今までの行動を見ていると、真っすぐに純粋で感情をそのまま受け取り、そしてそのまま傷つく。


(よりによって一番近いリオラ曹長)

(知るのは残酷だ……)


 西日が山稜の向こうへ沈みきる前に、ハインリヒは事務室を後にし、第二派遣部隊の出兵の号令を出しに詰所へ向かった──


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