第七十三話 沈黙と喧噪
臨時の本営となっている伯爵邸の一角の事務室は、地図と書類の山が広がり混沌としていた。
窓の外では、西日が穏やかに空を茜色に染め上げている。
元は執事用の事務室。その部屋にある机の前でハインリヒは、編成済みの名簿を眺めていた。
落石現場の処理に当たる工兵や地形と調査に長けた兵を選定し、名前をひとりずつなぞっていく。
(抜かりはないか……)
昨晩、ノエル二等兵が帰還し、落石事故の一報を受け取った。
少し仮眠をとったがそれ以外は業務に追われていた。
先陣部隊の派遣。事故状況の聞き取り。本部のアウグスト元帥への報告。そして第二派遣部隊の準備──
(少佐の御父上、元帥閣下はどうなさるだろうか……)
(落石は天災とは思えない。明らかに狙ってやっただろう)
(いや、思い込むな)
(でも、撃たれてるんだぞ?)
(”別々に起きたことだ”というのは、天文学的な確率じゃないか?どうみてもおかしいだろ)
(だがしかし──)
室内の静寂とは裏腹に、ハインリヒの頭の中はうるさかった。
その思考を断ち切るように、ドアがノックされた。
先陣で出兵した隊からの伝令が姿を見せる。
「失礼します。先陣部隊より報告です」
敬礼をしたのち兵は、ハインリヒに報告が纏められている紙束を手渡した。
ハインリヒは書類に目を通していく。
(検問所も動いてくれていたのか)
ほっとした心境を抱えるが、表には出さないように無表情を貼り付けている。
先陣に組み込んでいた地形調査を担当させた兵からの調査内容も、簡易的だが報告が纏められている。
(こちら側は崩落が完全ではなく、近づくのは危険か……)
なおのこと、後方から接触できる検問所が動いていたことの意味はありがたい。
そして沈黙のまま紙をめくる。
この間ハインリヒは一言も発さない。
伝令も意図を掴めず、同じように無表情を貼り付けて立ち尽くしていた。
静寂で満たされた空間に重たい空気が流れる。
次の項目は、隊員達の状況だった。
(少佐はタラモンの南部の集落……臨時に滞在している軍医のもとで治療中)
安心するも、状態の報告を目にして一瞬固まる。
(解放骨折……後遺症残るのか?)
(予断は許されない状況……)
(どうなるんだ……大丈夫なのか?)
ため息が漏れそうになるが、それを喉奥で押さえると唾をひとつ飲み込んだ。
(……命張りすぎなんだよ)
少佐はいつも軽い調子だが、部下の命を軽くは扱わないことをハインリヒは分かっている。
きっと不測の事態が起きたのだろうと推察するが、それでも心配が高まり苛立ちを覚える。
湧き上がる渋い感情は喉元の痰と同じ扱いにし、軽い咳払いを挟む。
(この苛立ちをぶつけるのは帰ってきてからだ)
(いや、三倍に仕返しされるな……)
そして、退避済みの者の情報を確認し終わると、落石現場から救助された者の詳細に目を通していく。
(オスカー上級曹長は、右足を挫滅に近い損傷……)
(出血は中等量、挟まっていたのが幸いしたか)
(現場で軽い処置をし、検問所へ治療のため搬送)
取り繕えなくなり、ため息がこぼれる。
無音の空間へ落とされたため息に、待機していた伝令は目を逸らした。
更に報告は続いている。紙束を捲って項目を確認すると脳が理解を拒んでいるのを感じる。
確認できた殉職者は──三名。不明二名。
(不明二名……この報告をまとめた時点で昼は回っているだろう)
(事故が起きてから丸一日経ったかどうかあたり……)
(厳しいな……)
どの隊員も顔を知っている人間だ。
紙束を掴んでいた指先が強張り、皺が刻まれる。
更に下へと視線を進め、殉職者の名前を確認していく。
(伝令がまだいる。職務の顔を貼り付けろ)
紙束を机に置くと几帳面に揃え、無表情で伝令兵へ伝える。
「報告ご苦労。引き続きよろしく頼む」
伝令は敬礼をすると事務室を退室した。
ドアを閉めた音を確認すると、ハインリヒは頭を抱え、ぐっと手の平に力を入れた。
誰にも聞かれない状況になると心置きなくため息をこぼす。
今回の特使の任務は最初から危ないと分かっていた。
だが、中央で取り決められたことを遂行しないという選択肢はなかった。
その残酷な命令を、分かっていても止められない。
こんなこと、慣れるわけなどない。
関わった人間を失った喪失は、積もり重なって増えていく。
(感じない振りをしているだけだ)
そう思ってふとアンネリーゼを思い出す。
(彼女は身近な人間がこうもいきなり、いなくなってしまうことは耐えられるのだろうか……)
彼女の今までの行動を見ていると、真っすぐに純粋で感情をそのまま受け取り、そしてそのまま傷つく。
(よりによって一番近いリオラ曹長)
(知るのは残酷だ……)
西日が山稜の向こうへ沈みきる前に、ハインリヒは事務室を後にし、第二派遣部隊の出兵の号令を出しに詰所へ向かった──




