第七十二話 職務と本音
エルデンシュトラの南部の診療所。
軍医の元へ搬送されたジークフリートの治療は、夜までかかっていた。
アンネリーゼたちは衛生兵による簡易的な治療を済ませ、空き家を転用している診療所の一室を借りていた。
深夜を回った所だろう。女性軍医がアンネリーゼたちの所へ顔を出す。
「少佐の……処置はひとまず終わりました」
”少佐”のところで、ほんの一拍だけ言葉が重くなる。
だが表情は変わらない。仕事の顔のままだ。
「ここから感染が起きれば左腕切除。全身感染が起きれば手の施しようはない」
「少佐は、意識混濁を起こしているが呼びかけには反応する。まだ見込みはある。という状態」
階級に対して一応の敬意は払っているが、あくまで『ひとりの患者』として見ている声だった。
ただ、その声色の奥に、寝かせた患者の身分を思えば面倒ごとになりかねない、という薄い警戒が混じっているようにも聞こえる。
「ちなみに──」
女性軍医は診療録を小脇に抱えたまま、さらりと続けた。
「怪我をして、ここに来るまでどれくらい経っているか分かります?」
淡々とした状態説明と同じ調子だが、その視線は一瞬だけジークフリートの居る方角へ流れる。
この質問が|色々な意味での今後の為が含んでいると、部屋にいる全員がなんとなく察した。
その場にいるアンネリーゼたちは、まだ予断を許さない状況に不安を覚えるが、ただ何もせず命が消えるのを眺めるしかない状況を、脱したことだけが救いだった。
女性軍医は三人を流し見てから、軍曹に視線を止めた。
軍曹は思い出すように、検問所を出たのが日の出と同時。そして、落石事故にあった場所を照らし合わせ始めた。
昼に休憩と馬の給水を行ってそれから一刻過ぎたあたり。
徒歩での行軍、落石を受けた場所の距離を逆算して時間を導き出す。
夕焼けの時に廃屋へ着いた。ほどなくしてタラモンの青年が来て、この診療所に着いたのは丁度陽が沈んだ頃だった──
軍曹は脳内にある計算を思い浮かべながら、視線を斜め下にして床を見つめた。
そうして思考の中に入りながら答えていく。
「ここに来るまで二刻は過ぎていたが、三刻までは経っていないだろう」
女性軍医は軽く顎に手を当てたあと、手元の診療録に流れるような筆致で記録していく。
「負傷から四時間か五時間……ってところか」
一度ため息を漏らし「……ギリギリだな」と呟いた。
医者として一度でも関わった患者は、助けたいと思うのが当然のように彼女の中にあった。
それと同時に階級持ち相手は、責任の所在が自分でなくとも”万が一が起きた時”のリスクが大きい。
目にした時点で、受け入れないという選択肢を彼女は選べなかった。
再度ため息を漏らす。
それでも職務は忠実に行っていく。
サラサラと流れるように文字を書く音が、小さい部屋に落とされる。
それを書き終えると女性軍医は診療録を小脇に抱え、三人を見た。
「少佐の容体は、衛生兵と私が交代で診ている」
「君たちも軽傷とはいえ怪我人だ。今日はゆっくり休むといい」
口調は事務的だが、「ちゃんと休め」と押しつけるような強さが少しだけ混じっている。
用件が済むと女性軍医は、踵を返し足早に出て行った。
残された三人は各々就寝の準備に入ろうとする。
診療所とはいっても空き家を臨時転用したものだ。
広くもない建物に、急患を抱え四人が転がり込む形となった。
予断を許さないジークフリートは診察室でそのまま過ごしている。
アンネリーゼと軍曹と伍長は、空いている一室を借りて滞在する。
その部屋には、簡素なベッドが二つとソファが置かれているだけだ。
奥のベッドに仕切りをたてて軍曹は「通訳官アンネリーゼは奥を」と示す。
アンネリーゼは悪いと思い顔をあげ軍曹を見るが、譲り合っていても埒はあかない。
一瞬考えた後「すみません。ありがとうございます」と一言告げ、ベッドへもぐりこんだ。
身体は疲れているのに、頭だけは冴えて目を閉じても今日あった出来事が浮かび上がってくる。
(置いて行ってしまったみんなは大丈夫なのだろうか……)
そこまで考えて、瓦礫と岩に埋め尽くされた光景が脳裏に浮かび上がってくる。
まだ取り残されている仲間を思うと、自分が今ベッドの上にいるのが申し訳なくなってくる。
じわっと目の端に涙が浮かびあがり、心臓が嫌な音をたてて軋み、不安が押し寄せてくる。
(安否を知りたい)
そう思うも知るのが怖くも感じる。でも『知りたくない』と思う事がなにか認めてはいけないものを考えているような気持ちにもなる。
(全てが夢だったらいいのに)
(次あった時に、どうやったら埋め合わせができるだろうか……)
命のかかった場面での埋め合わせ方法など、経験したこともないアンネリーゼには分からない。
この罪悪感を何か別の形で赦してもらおうとすることは、いったい誰の為なのだろうか。
(じゃあどうすればいい?)
(言葉じゃ伝えきれなくなっちゃうな……)
そう思い、自分は通訳で言葉を専門に扱っているのに、言葉じゃ伝えられないと思っていることに苦笑する。
(伝えるために言葉はある)
(でも、もっと深い部分で自分の気持ちを伝えるには、時間と行動でじゃないと伝えられない)
(再会した時に沢山謝って、みんなにできる精いっぱいをしよう)
寝なければ明日に支障があると、寝ようと心掛けるが、思えば思う程寝付けない。
何度も寝返りを打ち、結局寝られたのは明け方だった──




