第六十九話 泥
エルデンシュトラの伯爵邸へ続く森の中腹。
うねる樹冠の膨らみから押し出されるように、四畳半ほどの岩の平地が露出していた。
そこに佇む三人の男達。
いずれもグローテハーフェンを故郷に持ち、ユリウス侯爵の裏組織として隠密行動をしている。
ジークフリート少佐がこの地の平定の任を受けてからは、もっぱら少佐関係の情報収集の依頼を受けていた。
裏仕事を一手に引き受けるこの者達。
それぞれが違った因縁を持っているが大元を辿れば、『冬の門作戦』へたどり着く。
大きな力で歪めれば、それだけ多くの者の人生を歪める。
過去に縛られ、その手を伸ばせる形すべてを報復の燃料とする。
復讐の名の下、奪う側になった人間は、己の感情を歪ませていく。
この中の頭である白髪の男は、自分の娘が”偵察中に自害した”との報せを受けた時でさえ、表情ひとつ変えなかった。
短髪に煙草の煙を巻きつかせこうつぶやいた。
「日陰者であれば当然だ」
咥えたタバコをひとつ大きく吸い込み、ヂッとその種火で葉を焼きつける。
先端が赤く温度を上げる様を細めた鋭い目つきで眺めていた。
喉元で煙をくゆらせた後、タバコを指の根元に挟み口から離す。
顔前をぼやかすように吐き出すと、まとわりついた煙の奥で眉を顰めた。
吸い口を親指ではじく。灰はその塊を空気に溶かしながら左足の義足の傍に落ちていく──
裏組織で”鴉”と呼ばれるこの男の元に、新たなる指示が舞い込んでいた。
その指示で今、遠撃ち用の長銃の銃口を天に向け、森を見渡せる岩場に腰を下ろしている。
帝国の少佐が落石を逃れた場合、この道を通る。
それを仕留めるのが指示された内容だ。
難を極める重要な仕事は、この男がいつも受け持っている。
帝国には積年の恨みがある。
過去の侵略戦争で、祖国を失い、この男の血筋も途絶えかけた。
失った左足もその時の侵略戦争が原因だ。
鴉の息子が隣で遠撃ち用の長銃を持って待機している。
双眼鏡を覗き周囲を確認する別の男が一名、傍に立つ。
森を見渡し、見落とさぬよう慎重に。
もし、落石を潜り抜けここを通るとすれば、陽が沈んでしばらく経ってからだろう。
徒歩での行軍。まだ時間はある。そう思っていた時だった。
「遠方に影あり。単騎。森へ向かって進んでいる」
(単騎?)
(……予定より早いのはそのためか)
無言で手を差し出すと、双眼鏡を覗いていた男はそれを”鴉”に手渡した。
(黒毛の馬。騎乗しているのは黒髪の男)
(少佐の特徴と一致)
双眼鏡を返す。
「仕留めるぞ」
天に向けていた銃口をスッと対象へ向ける。
片膝を付き義足の足を立てると、その上に腕を預け、鴉は銃を構えた。
銃身の先と根元についた小さな金具を目で揃える。
その動作を見習い、息子も隣で長銃を構えた。
あたりは日没直後。暗がりからの狙撃はそう容易くない。
標的は狙いやすい角度に侵入した。引き金を引く。
パッパーン!
息子も同じタイミングを見定め、銃声が二発鳴り、白い煙が岩場を包む。
息子の成長に鴉は口角をにやりと上げる。
標的は身を伏せ、馬をさらに加速させ走らせていた。
まだ白煙の残る中、鴉は手早く次の弾と火薬を押し込み、再び長銃を肩に乗せる。
装填のまだ終わらぬ息子を横目に見やり「まだ青い」とひとつ言葉を落とす。
月が雲間から顔を出し、逃げる影の輪郭を浮かび上がらせた。
「俺はしつこいんだ」
パーンッ!
鴉の放った弾丸は、一直線に対象へと吸い込まれていく。
双眼鏡を覗く男が静かに報告する。
「少佐は落馬した」
「そうか。確認しに行くぞ」
鴉は義足をキシッと唸らせると長銃を肩に担ぎ、岩場を後にした──
青毛の馬の馬上にいたノエルは、右肩の衝撃に手綱を離した。
次の瞬間、ドンッと腰の側面と肩が地面にぶつかる衝撃を感じ、ぐっと声が漏れた。
落馬のダメージは運よく泥濘で吸収されていた。だが撃ち抜かれた肩はジンジンと熱く、その先はしびれているように感じる。
(まずいまずいまずい)
傷口を確認しようと手を這わす。
幸い出血の勢いは穏やかだ。
泥濘の中で仰向けで混乱する思考を整えようとする。
近くで青毛の馬はノエルの周りをぐるぐると歩いていた。
頭の中が真っ白で、次に何をすべきか分からない。
その時だった、青毛が一瞬、両前足を持ち上げた。次にそのまま泥の中に着地する。
べチャと泥濘の泥が跳ねノエルの顔にかかる。
「なにするっすか!」
青毛は泥を跳ね飛ばした前足を、そのまま折り曲げ姿勢を低くする。
視界の近くに入ってきた黒い光沢に、あの時の言葉を思い出す。
『頼んだ──』
「そうだ、俺は……伝えに行かなきゃいけない……」
右肩をかばう様に上半身を持ち上げ、青毛へずり寄りその背に乗る。
右腕は上手く力が入らず、手綱を握れない。
それでも姿勢を整えると、青毛は並歩から徐々に駈歩へと変えて、森の中へと入って行った。
森へ入ってしばらく経った時、青毛の馬は更に速度を上げた。
ノエルは左手ひとつで手綱を握り、必死に落とされないようにしているが、片手では難しい。
手綱を引き、速度を落とすように伝えるが、青毛の馬は言うことをきかない。
(こんな時にまた我儘言いだしたっす)
そう思った時だった──後方からパーン!と銃声がひとつ鳴る。
「嘘だ」とノエルはチラっと後方を確認する。
森の闇を裂くように一頭の馬が追ってきている。
その背には二つの影。
前の男が手綱を握り、後ろの男が肩越しに身を乗り出していた。
再度、距離感を測るために振り向く。
樹木の葉の切れ目から、こぼれた月明かりが突き出された銃口を白く反射させた。
(銃っす……こっちを狙ってる……)
(さっきより詰められてる……)
(必ず、伝えなきゃいけないんだ)
だが、右肩は撃ち抜かれ、左手ひとつで手綱を扱うのに精一杯だった。これ以上速度を上げれば落馬する。
目の前で揺れる青毛のたてがみに視線が吸い寄せられる。
首筋に浮かび上がる白い汗。
(青毛も同じなんだ)
同じ想いを必死に繋げようとしている。
ノエルは、左手に巻き付けていた手綱を緩めると、鐙にかけている足に力を入れ、腰を浮かす。
不安定になった重心はたてがみを一握り掴み、持ちこたえる。
「頼んだっす」
青毛は地面を力強く蹴り上げ、速度を上げた。
森のうねり曲がる細道を、一心同体となり駆け抜けていく──




